「足を洗う」という慣用句がある。悪事や悪業をやめて、善人あるいは堅気になることを意味する。元々は宗教的な意味合いがあるという。即ち、かつて仏教の僧侶は、修行のために素足で外を歩いていた。仏教では、寺の中を救いの世界、外を迷いの世界と見なし、素足で修行に赴いた僧は、寺に入る前に足を洗うことにより、俗世界の煩悩を洗い清めたとされている。このような習慣から、「足を洗う」とは悪い行いからの決別の意を持つ言葉になったと説明されている。
片や、英語のイディオムでは、日本語の「足を洗う」に相当する言い方は、”wash one’s hands”「手を洗う」である。なぜ「足」ではなく「手」なのか、西欧ではこの国のように履物が草鞋や草履、下駄のような簡便なものではなく、足を丸ごと保護する「靴」をほぼ一日中履いており、着脱が厄介だから、直ぐ洗える「手」になった、とか俗に説明される向きもある。ところが、「手を洗う」の起源は、どうも福音書に遡るらしいのである、
ゲッセマネの園で捕縛された主イエスは、ローマ総督の官舎に連行される。「十字架につけろ」と群集が騒然とする中、ローマ総督ピラトは、イエスは死刑に処せられるような罪を犯していないと考えつつも、群集の騒ぎを沈め、事を丸く収めようと、衆前で十字架刑を許諾する。しかし「無実の人間の血が流れることに、わたしは無関係だ」という証として手を洗うのである。「わたしの手は、血がついておらずきよい。お前たちが、彼を十字架につけたければ、それは、そちらの責任だ」という意思表示である。この総督の象徴行為が、「手を洗う」という慣用句を生み出し、以後、長く用いられることとなったというのである。
但し、「足を洗う」あるいは「手を洗う」という行為は、ユダヤ教でも宗教的な行為であり、律法にはこう規定されている。「洗い清めるために、青銅の洗盤とその台を作り、臨在の幕屋と祭壇の間に置き、水を入れなさい。アロンとその子らは、その水で手足を洗い清める。すなわち、臨在の幕屋に入る際に、水で洗い清める。死を招くことのないためである。また、主に燃やしてささげる献げ物を煙にする奉仕のために祭壇に近づくときにも、手足を洗い清める。死を招くことのないためである。これは彼らにとっても、子孫にとっても、代々にわたって守るべき不変の定めである」(出エジプト記30章18節以下)。
もちろんこれは、現代の保健衛生思想からの規定ではなく、「浄・不浄」という宗教的観念からのものである。外界は「穢れ」に満ちた場所であるので、日常生活において知らず知らずの内に「穢れ」にまみれることになる。そのまま「聖(神)」の前に出る時には、聖なるものの力によって、穢れもろとも滅ぼされかねないからである。こうした「聖」に対する畏怖が、古代の宗教行為の根源を形づくっていた訳である。
今日の聖書個所は、「十二人の派遣」と題されるように、弟子たちが主イエスの名代として「付近の村」に遣わされる記事である。弟子たちだけの宣教の発端を語る場面であり、後の初代教会の宣教を先取りして語るテキストであろう。ここで主イエスは弟子たちにこう命じている。8節「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた」。最低限のミニマムの持ち物、風体で赴け、というのである。「旅」という言葉があるから、さぞかし遠方にと考えるのであるが、遣わされる所は「付近の村」なのである。そうだとすれば、大した重装備の必要もないだろう。丁度、隣近所にちょっとした用事を済ませに行くようなものである。気軽に気楽に行けばよい、というニュアンスであるだろう。そもそも弟子たちが遣わされる場所は、まだ前人未到の未開地なのではない、すでに主イエスが弟子たちと共に、巡回した日常の場所なのである。
そしてそこで行う宣教のわざとは何かといえば、「汚れた霊に対する権能を授け」、これは今流にかみ砕いて言えば、病気に痛み、悩む人のすぐ近くに行って、「権能」つまり「祈り」を行うことである。そしてさらに「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい」、「留まること」すなわち、「そこにいる」ことが、一番の働きなのだという。何か超人的なわざや、人々が驚天動地するような奇跡を行って見せよ、などという途方もないことは命じられていないのである。結局、教会の働き、つまり宣教とは、煎じ詰めれば「祈り」そして「そこにいる」ことにつきるのではないか、
今日の個所で最も興味深いのは、11節のみ言葉である「しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」、まったくこちらの思いや気持ちとは裏腹に、けんもほろろに遇される時、というのである。所詮は人間関係である。こちらの善意や真心がいつもそのまま受け入れられるわけではなく、拒絶され冷たくあしらわれることもままあるだろう。それを承知しておきなさい、と主は言われるのである。「十字架の道」を歩まれた主イエスらしい覚悟から来る言葉だろう。何も宣教活動は、販売営業目標達成のノルマなど課せられてはいないのだ。「もっと気軽に、もっと気楽に」、という主イエスのみ声をいつも思い起こす必要がある。「福音」は、喜ばしい音信であって、苦役ではない。それを伝えるのに、完全武装をして、寸分隙のない出で立ちをする必要などない。
但し、そうはいってもやはり受け入れられない、拒絶というのはいささか心持が悪い。折角、手弁当で出向いて来たのに、悔しさもにじむだろう。その心を主はお分かりであり、「そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」とも助言されるのである。これは一種のアンガー・マネジメント的な意味合いの作法であるのか。「埃を払い落とす」ということで、穢れや不信に対するきよめや裁きや訣別を意味する、と解釈する向きもある、かのポンティオ・ピラトが手を洗ったように、である。しかし、当時の一般的な履物は、サンダルの類であったことから、歩いている内に、足裏に砂粒や小石が入り込み、不快や痛みを感じることも普通にあったろう。確かに拒絶されるのは、あまりいい気持ではない、腹も立つし、やっかみもする、そんな時、サンダルを脱いで、パンパンと景気よく大きな音を立てて埃を払う、それで少しは気も収まろうというものである。
それで気を取り直して、次の一歩を歩み出せ、主にあっては、すべてきよいのである。