「中学生や高校生のなかには、私のところに無理やりに連れて来られる生徒がある。たとえば、登校拒否の子など、心理療法家のところなど行っても仕方ないとか、行くのは絶対に嫌だと言っているのに、親や先心などが時にはひっつかまえてくるような様子で連れて来られる。嫌と思っているのをそんなにして無理に連れて来ても仕方がないようだが、案外そうでもないところが不思議なのである。
あるとき、無理に連れて来られた高校生で、椅子を後ろに向け、私に背を向けて坐った子が居た。このようなときは、われわれはむしろ、やりやすい子が来たと思う、こんな子は会うや否や、「お前なんかに話をするものか」と対話を開始してくれている。そこで、それに応じて、こちらも「これはこれは、僕とは話す気が全然ないらしいね」などと言うと、振り向いて「当たり前やないか。こんなことしやがって、うちの親父はけしらん……」という具合に、ちゃんと対話はずんでゆくのである」(河井隼雄『心の処方箋』)。
普通、出会いというと、向かい合って、あるいは顔を合わせて、というのが相場だが、背中での出会い、後ろ向きの出会い、ということもあって、かえってそれが心が触れ合う、とか心が結ばれる糸口にということがあるのか、と思わせる逸話である。心理臨床家ならではの体験であろう。
また作家の遠藤周作氏が『影法師』という作品で、これはご自身の人生の歩みを回顧して記された洞察であろう。「……一人の人間が他人の人生を横切る。もし横切らねばその人の人生の方向は別だったかもしれぬ。そのような形で我々は毎日生きている。そしてそれに気がつかぬ。人々が偶然とよぶこの『もし』の背後に何かがあるのではないか。『もし』をひそかに作っているものがあるのではないか」。かつて親しくふれあったひとりの神父が、聖職者であることを捨て教会を離れて、世俗の世界に埋没するように姿を消す。ずっと後に、場末の盛り場で偶然、食事を摂っている姿を垣間見る。無精ひげを生やし幾分やつれたようにみえるその人物が、食事を前に他の目を憚るように、すばやく胸に十字を切る姿を印象的に描いている。「もし」によって、人生の道を大きく反らされたのかもしれない。しかしその「もし」の背後にいる何者かは、今、消えて、いなくなってしまわない。今なお、変わり果てた境遇の彼と共にある。
今日は教会修養会を開催する。主題「わたしとイエス――いつ、どこで、どのように」、皆さん一人ひとり、主イエスと出会うという経験があって、今がある。教会生活、信仰生活の原点とも言える事柄である。礼拝の後、お二人の方に、証をしていただき、その後、小グループで自由に語り合う、というプログラムである。皆さんそれぞれの主イエスとの出会いの体験を語り合い、分かち合うことができれば、出会いの「豊かさ」がさらに深められ増し加わろうというものである。
与えられた聖書個所は、ローマの信徒への手紙である。使徒パウロの書簡の中でも最も大部であり、彼の神学思想を余すところなく詰め込んでいると評される書物である。この手紙の著者、パウロもまた、主イエスとの出会いによって、決定的に自分の人生を変えられ、それまでと違う人生の歩みに押し出された人のひとりである。まことに思いがけない時に、そして思いもよらぬ方向から、そして思ってもみなかった所へ、行先へと、その「出会い」が導いていったのである。その出会いの主こそ、福音書に語られるナザレのイエスと呼ばれた方である。
今日のパラグラフは、インターミッションの役割を果たし、賛美歌で言うなら「頌栄」のような趣のある文章である。いささか長い手紙なので、途中に、しばらく休憩して深呼吸して、息を整えよう、というような趣向か。ここにはくすしき神の栄光を讃える言葉が記される、33節「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか、だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解尽くせよう」。確かに、人類の歴史を通して、ずうっと人は神について考えて来たし、いろいろ探求もして来た。神についての問いは古いが、絶えず新しく捉え直されて来た。ある哲学者は、「神は死んだ」と語ったが、それで神についての思索や探究が、終わってしまったわけではない。聖書の神は、復活の神とも呼べるであろうが、神への問いというものは、もはや終わってしまったように見えて、絶えず新しい顔を覗かせ、新しい地平を拓き、着地点を示すものである。
しかし、どうしてパウロはこんな風に、神の栄光をここで讃えるのであろうか。「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか、だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解尽くせよう」。「神の富と知恵、知識、その定め、その道」は何と素晴らしく、思いがけなく、自分の小さな思いを越えていることか、というのだが、それは哲学者の考えるような、いわゆる「超越的・普遍的な神」についての認識を語っているのではなく、強く彼自身の人生体験、信仰の出会い、あのダマスコ途上で、光に照らされよみがえりの主イエスに出会い、目が見えなくなる、という自分の人生に生じた、決定的な体験を想起しているのである。そして私たちの「今」には、ひとり一人にもそのような体験が潜んでいるであろう
その前節を読むと、「不従順」という言葉が目に入る。この用語は「信じる」という語の反対語として用いられる。だから「不信、信じない」と訳す方が理解しやすい。端的に、神を信じない、神が生きて働かれているのを認めない、ということである。神は存在する、と思っても、生きて働かれていることを知らないなら、神に対し真っすぐ向き合ってはいないだろう。しかしわたしが真っすぐにないからと言って、神さまがへそを曲げて、私にそっぽを向くのではない。かえって私たちの不信に対し、神は真っすぐに私に向かうのである。
30節「あなたがた(異邦人キリスト者)は、かつて神に不従順でしたが、今は彼ら(ユダヤ人)の不従順によって、憐れみを受けています」というのである。「不従順」なのは誰か、わたし、パウロではないか、と言外に彼は告白しているのである。まことの神を知らないのは異邦人ばかりでなく、選ばれた神の民、ユダヤ人もまた不従順なのだ、そしてこの「わたし」こそ最も不従順な人間であったとパウロは言うのである。32節「神は全ての人を不従順の状態に閉じ込められた(監禁された)」。人間は、ユダヤ人も、異邦人も、すべての者が「不従順・不信」という檻の中に閉じ込められ、監禁され、もがき苦しんでいる。だから、互いに信頼し合えないで、絶えず敵対し、反目し、相手を敵としてしか見ることができず、絶えずけん制し合っている。「不従順・不信」という「檻」は、人間の心を狭め、小さくし、共に生きる喜びを奪う。しかし神は、その不従順な檻に閉じ込められているパウロを、「憐れまれた」と言われる。神の子が引き立てられ、鞭打たれ、十字架に釘づけにされる、これこそ私たち人間の、神への不従順・不信を表す一番の姿である。そしてついに、人間は神を殺すのである。神を殺す人間は、だれも信じることができないから、隣人をも殺し、互いに食い合うのである。しかしそこにこそ、十字架によって、憐れみを注いでくださった。赦しを告げて下った。新しい復活の命を備えてくださった。ここにかつて主イエスの迫害者であったこの使徒の、賛美の根源がある。
こういう証がある。片柳弘神父の一文、「わたしは、埼玉県の農家に生まれた。仏壇もあれば神棚もある、昔ながらの普通の家だ。それがいま、山口県の教会でキリスト教の神父として働かせてもらっている。自分自身のことではあるが、ときどきふと、『なぜこんなことになったんだろう』と思う。これは自分で選んだ道なのか、それとも何かに導かれてここまできたのか。
大学生のとき父が亡くなり、それがきっかけでキリスト教の扉を叩いた。キリスト教を学ぶうちに、もっと深く知りたくなって、インドのマザー・テレサのもとを訪ねた。マザーのもとで働くうちに、マザーから神父になることを勧められた。病気になったため日本に帰り、日本で神父への道を歩み始めた。10年の勉強を経て神父になり、山口県の教会に派遣された。事実をたどれば、そのようになる。父の死や、マザーからの勧めなどは、自分から選んだことではない。しかし、それらの出来事に直面してどの道を進むか、選んだのは自分だ。導かれたともいえるし自分で選んだともいえるだろう」(『導かれて』)。
非情に率直に、主イエスとの出会い、召命を語っておられる。この人だけの唯一の出会いの体験である。信仰者はみな、かけがえのない「この時、ここで、このように」という信仰の出会い、主イエスとの出会いの体験を宿している。みなそれは、劇的な他と比べようのない、その人だけの出会いである。そんなひとり一人の人生にふさわしく、わたしとイエスの人生の歩みが始まるのである。いつもそこに立ち戻り、そこから再び歩み出す、生きる時も、死んで行く時も。