「聞くには聞くが」マタイによる福音書13章10~17節

こういう統計がある。「20分後には42%、1時間後には56%、24時間後には74%

1週間後には77%、1ヶ月後には79%」、これは「エビングハウスの忘却曲線」呼ばれる数字である。19世紀のドイツに生まれた心理学者ヘルマン・エビングハウスが発見し、彼によって提唱された、「人間の脳の忘れるしくみ」を図式化したものである。学んだこと(学習)をそのままいわゆる復習をせずに、ただ 暗記しただけだと、1ヶ月後には「8割」を忘れているということになる。「頭が良い」と言われている人(=記憶が得意な人)であっても 学習が苦手な人であっても大差はないそうである。

去る1月27日、第二次世界大戦でナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)があったポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所が解放され、この日で80年を迎えた。追悼式典には、ヨーロッパ各国の元首はじめ、収容所生活を生き延びた人たちが出席した。その体験を語る人々は、当然のことだが、皆、90歳を越えている。「80年」という時の流れの大きさをつくづく考えさせられるが、やはりここで思い起こす一つのスピーチがある。2015年2月に94歳で亡くなったヴァイツゼッカー大統領が、ドイツの敗戦40年にあたる1985年に連邦議会で行った「荒れ野の40年」と題された演説である。

「今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。ドイツ人であるというだけの理由で、粗布(あらぬの)の質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在(いま)に対しても目を閉じることになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。「問題は過去を克服することではない」、それでは何をするのか、「非人間的な行為を心に刻もうとする」ことだという。やはり人間にとって「忘却」と「想起」が一番の課題(忘れる能力がある人間の)であり、すべてそこから歩み出すしかないということだろう。ところで「8割を忘れる」ということなら、「2割は憶えている」ということである。その「2割」とは何なのか。いつまでの残るものとは。

今日の聖書個所で、弟子たちが主イエスに近寄って、こう尋ねたという「なぜ、あの人たち(集まっている人々)にはたとえを用いてお話しになるのですか」。今日の個所のすぐ後、34節に「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった」とある。これはその通りであろう、主イエスは宣教の時に、もっぱら譬話をもって語られたことは、疑いはない。福音書の中に主イエスのなさった数々の譬、短編の物語のように比較的長めのものから、ほんの数行の諺のように短いものまで、たくさん伝えられている。その場その場の状況に応じて、巧みに語られたものであろう。しかしなぜ、主イエスはことさらに「譬」にこだわって語られたのだろうか。もっと哲学的に、アカデミックに、深遠に、挑発的に、恫喝するように、いろいろな語り方もできたろう、なぜ敢えて、という疑問が湧いてくる。これは当時の人々にとっても、同じ疑問であったろう。現に、遠回しにだが、バプテスマのヨハネの語り口調、「悔い改めよ!斧がすでに根元に置かれている、蝮の子らよ、永遠の劫火から逃れられると思うのか!」と密かに比べられているとも言えるだろう。

主イエスの話は、当時の庶民、人々の95%の者たちがそうであり、そのほとんどが貧しい農民であった。農民といっても、生きるためには何でも仕事をした。大工仕事、小間物仕事、土方、日雇い、機織り、そういう人々の日常生活がそのまま映し出されている。この13章冒頭の「種蒔きの譬」は、農民の生活そのものを写している。但し、残念ながら一粒の種は、「30倍、60倍、百倍」にはならない。せいぜい条件が良くて「7倍」くらいなものだ。それでもここには、当時の農民の「祈り心」がひたすらに込められている。一見というか一聞、分かりやすそうである。大人から子供まで、自分たちの生きる世界を、そのままやさしく切り取ったように説かれている。主イエスは、ことさら難しいことを語られなかった。難解な事を言って、聞く人を煙に巻くような、そんな小ずるいことはされなかった。

今日の個所では、イザヤ書が引用されて、どうして主が「譬」によって語られたのか、その意図が説明されている。ところが「それが分かりやすい、理解しやすい」からというのではない。14節『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』、イザヤの預言のひとくだりが引用されている。もっともイザヤ書の原文は、少しばかりニュアンスが異なっている。イザヤ書6章9節以下「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」この章句は難解である。イザヤの預言者としての召命の記事で、預言者として立てられたイザヤが、神からその役目を命じられる部分である。「聞け、しかし理解するな」、「良く見よ、しかし分かるな」、「目と耳と心を鈍感にせよ」、「癒されることのないように」。

人にものを教える教師と言うものは、生徒に理解を得させることを第一義と考える。目と耳と心を研ぎ澄まさせる、それが務めだ、と普通なら思うだろう。イザヤはエルサレム神殿、それも至聖所の近くに仕える祭司である。さしずめ今に言うキャリア組の公務員である。知性と教養を兼ね備えた人物、彼の語り口からもそう推測される。そういう人物に対して、「語れ、理解させるな、見せよ、悟らせるな、鈍くしろ」、知的な預言者にとって、この神の言葉はあまりに理不尽、不可解であり、いらいらしたのだろう、反論めいたことを口にしている。「いつまでなのですか」つまり、「いつまでそんなくだらないことを、だらだらしなくてはならないのですか」。

このイザヤに与えられたみ言葉の真意を受け止めるのは難しい。ひとつこんな言葉が理解の手助けになるかもしれない。「人は理解した(わかった)と思ったその瞬間に、忘れる(問題にしなくなる)」。「理解」とは曲者であり、人でも、ものでも、課題でも、分かったと思ったとたん、どうでも良くなってしまうものだ。「もう私には分かっている」これは人間の高ぶりの典型の態度であり、高みに立って見下す姿勢である。これがどれ程、事実をゆがませ、真実を覆い隠し、ほんとうから目を反らせてしまうものか。だから私たちは、安易に分かってはならないし、簡単に「ゆるし」や「癒し」を得ようとしては不可ない。

「主イエスの譬は、みな神の国の教説である」、といわれる。すべてそれらは神の国とどこかで繋がっている。しかしそこで語られることは、種まきの話、親、兄弟の話、金持ちと貧乏人、強盗に襲われた人、失われた羊、等々、日常生活のひとこま、あるいは身の回りに絶えず起こっている、小さな事件や出来事、どれもこれも私たちの生活そのものの風景である。それが神の国と繋がっているというのである。主イエスは言われる。「あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ」。言葉を補足した方が良いだろう。「あなたがたの目は、(今、わたしを)見ているから幸いだ、あなたがたの耳は、(今、わたしの言葉を)聞いているから幸いだ」。つまり神の国は、見えない神の支配の有様である。私たちの目には、それは隠されている。ただ主イエスのみ言葉と歩みを見て、聞くことで、その背後にある見えない神の国の息づかいを知るのである。人は分かったと思ったとたんに忘れる。だからいつも主イエスに戻って、また繰り返し聞くのである。譬話はいい、いつも新しく主に聞くことができるのだから。

人間には、忘れることができる「能力」がある。「人は忘れることで生きていける生き物」だといえるだろう。換言すれば「嫌なことも忘れられる」ので、どうにか今を生きられるということである。どんな人もひと月たったら、「8割」を忘れるのだという。逆に言えばそれでも「2割」は覚えているということになる。このお話での最初の問い、この「失われない2割」とは何か。何が残り続けるのだろうか。

今年は「アウシュビッツ解放80周年」と申し上げた。強制収容所から生き延びたエーバ・セペシ氏、92歳がその時の体験を語っている。氏は1932年にハンガリーの首都ブダペストでユダヤ人の家庭に生まれ、両親、そして弟と家族4人で幸せな暮らしを送っていたという。せめて1人だけでも迫害を逃れられないかと、家族と離れて叔母とともにスロバキアで身を隠したが、1944年11月にアウシュビッツ強制収容所へ送られた、わずか12歳。「列車を降りたときはすでに暗くなっていました。そして、私たちは服をすべて脱がされ、囚人としてしま模様の服を渡されました。私の三つ編みは切り落とされ、髪はそられて丸刈りにされました。みんな外見がかなり変わり、もうお互い誰だかわからなくなっていました。ひどく寒く、見知らぬ人々に囲まれて、絶望的な気持ちでした」。「強制収容所という異常な環境に放り込まれ、どうすればいいのかまったくわからなかった。見ず知らずの女性がスロバキア語で『16歳だと言いなさい』とささやいた。年齢を聞かれたとき、そのとおりに答えると、ガス室送りではなく、兵器の手入れなどの仕事を命じられました。『年齢を偽るように』というささやきは、自分の命を助けようとしてくれたのだった」。

生命のことばは、このようにやって来る。記憶に残り続ける2割とは、このようなものだという。「最初に体験したこと」、「最後(極限)に体験したこと」、「最高の思い出」、「最低の思い出」、これしか記憶に残らないと言われる。だからいつまでも覚えている事柄は、やはり無くてならぬものだと言えるだろう。

主イエスの譬話が、これほど豊かに人々の心に覚えられ、記憶され、今、私たちの心に届いている。そこには神のみ手、即ち神の国がどのように伸ばされ、私たちのもとに訪れるかが、現れているだろう。人の記憶は失われ、忘れるかもしれない。しかし神は一つひとつのすべてを覚えておられ、人の心にまことの事柄を甦らされる。主イエスは十字架に付けられ、死んで葬られ、三日目によみがえられた、「忘れない」とは神のみ手に命がよみがえり、再びつなげられることであるだろう。