「自分の考えか、それとも」ヨハネによる福音書18章1~40節

森鴎外の掌編小説に、『杯』という題名の作品がある(「中央公論」1910年1月初出)。こんな筋書きである。「温泉宿から皷が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。水は井桁の上に凸面をなして、盛り上げたようになって、余ったのは四方へ流れ落ちるのである。青い美しい苔が井桁の外を掩うている。夏の朝である」。ひじょうに爽やかな初夏の情景、その泉に7人の少女たちがそれぞれに杯を持って、湧き水を飲みにやって来る。娘たちが持つのは、光り輝く大きな銀の大杯で、交互に清冽な水を掬っては喉を潤す。やがて遅れてもう一人の娘がやって来る。杯を持ってはいるが小さくて黒っぽい。先に着いていた7人の少女たちは、口々にその杯を馬鹿にする。「お前さんの杯は妙な杯ね」「変にくすんだ色だこと」「火事場の灰の中から拾って来たような物なのね」「墓の中から掘り出したようだわ」「馬鹿に小さいのね」「こんな物じゃあ飲まれはしないわ」「あたいのを借そうかしら」。遅れて来た少女は黙っているが、やがて「第八の娘の、今まで結んでいた唇が、この時始て開かれた。『わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます』、沈んだ、しかも鋭い声であった」。

「また誰かに言われたのか、それとも自身の意思でとなると、何を考えているのかと思う」。こういう最近の新聞記事、政治面の消息を伝える一行が目に留まった。この後、どんな文章が続くか、直ぐに見当がつくだろう。「先日の参議院の政治倫理審査会のことだ」。「誰かに言われたのか、それとも自身の意思か」という問い、これは誘惑が絶えずつきまとう政治の世界だけの問題ではなくして、人間の生きる世界のあらゆるところで問われる事柄であろう。私たちもまたこの問いをどこからか受けて、それに応答しつつ(意識的か無意識的にかではあるにしても)人生を歩んでいることに、間違いはない。ただいくら大きく美しくきらびやかでも、借り物の器で飲む水と、みすぼらしく小さな器でも、「自分の器」、と呼べるもので飲む水と、同じ水でも味わいは違うだろう。どちらが甘い水か、苦い水か、「清濁併せ呑む」とはかの世界の常套句とはいうものの、水が飲めさえすれば、他のことにはかまっちゃおれぬというのでは、「人間」としてどうなの、ということにもなるだろう。

司式者にご苦労を掛け、ヨハネ福音書18章の全文を読んでいただいた。この章から「受難物語」の本編が始まると言っても差し支えない。前章までは、「最後の晩餐」から発する主イエスの告別説教、遺言(とはいっても中身は神学的な議論であるが)が延々と語られ、ついに祈りを持ってそれが閉じられる。そこから18章に入ると、一気に動きの速い物語が語り出され、性急に場面が展開されて行く。佳境を迎えたテレビ・ドラマを観るようである。ローマの軍隊による主イエスの捕縛(一連隊とあるので構成人員は600名ほど、それに対するイエスの一団はわずか12名だから、いささか大げさな捕り物ではある。百獣の王はねずみ一匹を倒すのにも全力を尽くすという訳か)から始まり、大祭司邸での尋問、総督ポンティウス・ピラトゥスの前に引き出されての喚問、その後、民衆の面前での十字架刑の宣告と話は足早に続く、そしてその合い間を縫うように「ペトロの否認」が幕間劇のように挿入されている。随分、ち密に構成されている。共観福音書の描く所と多少の構成の違いがあるので、幾通りかの伝承が存在していたのだろうが、「受難物語」は、早くから独立して構成されていたひとまとまりの文学だったと見なす学者もいる。それがどのように用いられ(上演?され)たかは別として、「受難劇」の台本のように、教会では受け止められていたのかもしれない。

場面設定や、せりふ回し等も実によく練られている。捕縛されて主イエスが最初に連行されたのは、大祭司カイアファのしゅうと、元大祭司アンナスの所(アン元)であったという。つまり公式の取り調べではなく、秘密裏に事を運ぼう、という意図が見え隠れしている。「元」とはいえ、「影の実力者」として、今なお隠然たる影響力を持ち合わせているということだろう。そしてここで交わされる台詞、14節「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった」。これは「おぬしもかなりの悪よな」の言い草である。

さらに尋問中のひとこまで、こういう場面が描かれるのも興味深い、「そばにいた下役の一人が、『大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか』と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。『何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか』。抵抗運動などで、暴力行為のような不当な取り扱いを受けた時には、すぐその場で相手にはっきり事実を確認し、抗議をすべしという鉄則(後になれば記憶にないとか、言いがかりとか有耶無耶にされるので)も合わせて語られている。主イエスもしたたかである。このように受難物語はかなりの程度、ち密に練られ、構成された文学作品なのであるが、とりわけ主イエスとポンティウス・ピラトゥスの議論のやり取りにおいては、際立った印象がある。

ひと言で言えば、この両者の主張はまったくかみ合っていない。厄介払いのように大祭司から引き渡されたナザレのイエス、という田舎者の輩に、総督は少し興味を引かれたのか、それでも4つのことを問いかける。「おまえはユダヤ人の王なのか」、「何をしたのか」、「やはり王なのか」、「真理とは何か」。「神の国」を巡って、総督らしい発言が繰り返される。彼はやはり権力、支配、政治の観点からナザレの人イエスに問いかけるのだ。ピラトにとって「国」とは、ローマやユダヤというこの世の国、国家、領土という観念しか頭になく、それの安寧秩序それしか頭にない。総督としての自身に対する利害はそれだけであり、それ以外は無意味なのである。人間は自分の見たいものしか見ようとしない。自分の見たいものが「真理」なのである。

だから主イエスはピラトにこう語られる、34節「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそういったのですか」。人間の「真理」に対する態度如何が、はっきりと指摘されている。「自分の考えか」あるいは「他の人の言っていることか」。そんな専門家のようなきちんとした知識がないから、自分には考えることはできない、ではない。人の言葉をそのままうのみにし、何も考えない、自分はどうかとは問わない、自分に火の粉が降りかからなければそれでいいと考える。ピラトを始め、ここに出て来る役者は、まさに今日びどこにもいそうな御仁ばかりである。幕間劇のペトロの否認の場面にも、この問いが反映している。17節「門番の女中はペトロに言った。『あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。』ペトロは、『違う』と言った。このペトロの答えは、「No」という用語ではなく「(それは)わたしではない」という言い回しであり、「わたし」を必死になってかき消そうとしているのである。

37節後半「真理に属する人は」、直訳すると「真理から出る人は」、この語には「真理に押し出されて、歩み出して行く」というニュアンスがある。「真理」とは永遠不滅のモニュメントのように鎮座まします、という類のものではない。つまり主イエスの真理とは、人の歩む道のようなものである。自分の歩む道には、おのずと自分の足跡が残る。それこそ、その人の「真理」なのである。いつも不平をかこち文句を言い続ける人は、それがその人の真理であるだろうし、満足して感謝しながら生きる人は、それが真理である。各人、それぞれの行き先を目指すことになるだろう。

さて、私たちはどこに行くのか、「わたしに来る」と主イエスは言われる。わたしの歩む所に、わたしが働いているところに、十字架の道に来て、わたしと共に生きるだろうと言うのである。私たちの「真理」とは、主イエスのおられる所、「神の国」である。神が働いておられるところ、主イエスが生きて働いておられる道、のことである。

こういう文章に出会った。「わたしがここにいる」と題された手記である。「わたしは、双葉町の浅野撚糸に勤める19歳の女子社員。カフェで接客を担当し、訪れた皆さんを、温かなコーヒーでもてなしています―。館内では、糸を撚り合わせる機械が忙しく回る。『きょうも、張り切って』。無言の励ましを受けているよう。いわき市小名浜で生まれ育った。大きな揺れを忘れはしない。幼稚園の中にいた。逃げ出たお庭は割れ、水が噴き出していた。友だちと泣きじゃくった。小学校の入学式は延期され、給食は出なかった。『古里のお役に立ちたい』と思うようになったのは、いつ頃からだろう。この会社でなら、と選んだのが今の職場だ。今年初め、高校生の視察を受けた。同じ世代として説明役を任された。突然、質問が飛んだ。『復興とは何でしょうか』。とっさに口をついて出た。『わたしがここにいること』。この手で建物を造れる訳ではない。でも、何かお手伝いはできる。不便を感じる時もあるけど、双葉で暮らし、働き続ける。決意は揺るがない」(3.12付「あぶくま抄」)。

『復興とは何でしょうか』。とっさに口をついて出た。『わたしがここにいること』、震災の復興について、十人いれば十人の考え方があるだろう。ひとつ確かなのは、元通りに戻すことはできない、という単純な事実である。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそういったのですか」、とっさに口を突いて出たひとつの言葉、「わたしがここにいる」、これは真理に生きる者に最もふさわしい言葉ではないか。「復興」はわたし自身のこと、わたしが回復され、わたしが回復すること、他人事でなく…。

1519年、宗教改革者マルティン・ルターは、ウォルムス帝国議会で喚問され、衆目の面前で自説の撤回を迫られた。この時ルターは「聖書と自分の良心に反して」取り消さないことを明言し、最後に「わたしはここに立つ」と言ったという。自分事か、他人事か、真理とは要するにそういうことだろう。主イエスの十字架は、正に私たちにそれを問いかけるであろう。