「自由な人として」ペトロの手紙一2章11~25節

この8月10日に、詩人、新川和江氏の訃報が伝えられた。1929年の生まれ、齢95年の生涯であった。「わたしを束ねないで」と題された詩が代表作とされ、国語教科書にもしばしば取り上げられている。この作品が発表されたのは1966年、37歳の時であった。短く紹介しよう。

「わたしを束ねないで/あらせいとうの花のように/白い葱のように/束ねないでください わたしは稲穂/秋 大地が胸を焦がす/見渡すかぎりの金色の稲穂」、こんな風に語り出され、「束ねられる」ことの拒絶から始まり「止めないで」、「注(つ)がないで」、「名付けないで」、「区切らないで」と続いてゆく。

この詩について、ある記者からインタビューされた時、作者はこんな応答をしている「こういう気持ちは少女の頃からあった。女は、子どもの頃には親の、結婚したら夫の、年を取ったら子どもの言うことに従わなければならない。でも、そんな生き方ってなんだか悲しい。大人になったら一人の人間として広々と生きてみたかった」。さらにこのような言葉を続けて語っている。「最初に詩人がやることは、故郷を捨てること。そして心を遠くに飛ばすんです」、「詩は生活に入り込まないと駄目。トイレットペーパーに印刷されるのが理想です」、「詩は人間にとって最も大切な生活に密接につながることによって、意味を持つ」。

この詩人にとって、「詩」とは生活そのもの(の表現)であり、しかも「トイレットペーパーに印刷されるのが理想」と言い切る。かつて各家の落とし紙には、古新聞を切ったものが置かれていたが、ある国の公衆便所のトイレットパーパーには、「これは公共の財産」なる警告が10センチ刻みでぐるりと印刷されている、という。その位、生活に即すべし、というのであろう。そして何より「故郷を捨てる、心を遠くに飛ばす」つまり「一人の人間として広々と生き」る手段、あるいは方法が、自ら詩を書くという営みである、という。この詩人にとって「生活に根差す」こと、これは終生変らない生き方であったようだ。

今日の聖書の個所は、教会の歴史において、また今日でも、大きな問いを投げかけて来るテキストである。16節「自由な人として生活しなさい」、教会はその当初から「自由」が問題であった。最初の教会の指導者たちは、「キリスト者の自由」についてさまざまに論を展開したが、それは宗教改革期にも同様であった。かのマルティン・ルターは自らのアイデンティティ(宗教改革の精神)の表明とも言える『キリスト者の自由』と題される小著を公にしているし、そもそも新約においても既にパウロによって、また今日取り上げるペトロ書簡において、「人間の自由」はしきりに論じられているところである。

主イエスの下に多くの人々が集った、さらにその後を継いだ教会に人々が集まった、その理由は何か。ヨハネ福音書で、ニコデモやアリマタヤのヨセフといったユダヤ人の有力者が、夜、人目を忍んで、余人に知られないように、密かに主イエスに会いに来た、話に来たという伝承は、当時、人が教会に集うことが、何をもたらしたか、どういうことであったのかを知る良い手掛かりとなる。教会につながることは、家族や地域社会、地縁や血縁といった関係、しがらみからの断絶を生みだしたのであり、さらにそれに起因して、妬みや不快感、あるいは不信が引き起こされ、そこから「迫害」が生じたのである。

それでも尚、人々が教会に集ったのは、お金が儲かるわけでも、出世ができるわけでもない、この世的にはあまり「利益」はもたらされなかったであろう。それでも教会に足を向けたのは、ひとえにそこに「自由」があったからである。それは何にも代えがたかった。ところが、この大切な「自由」というものは、いろいろ厄介な問題をも引き起こすことも事実である。聖書はそのあたりのところを実に興味深く語っている。出エジプトの後、奴隷から自由にされたイスラエルの人々が示した態度は、モーセに対する愚痴であり文句であり、つぶやきであった。自由にされたのに、却って不平や文句ばかり言う人間の態度を、私達はどう考えるか。何より自由は他とぶつかるものなのである。一人の自由ともう一人の自由がぶつかって、摩擦を起こす、葛藤を生み、主張がなされ、議論がはじまり、それでおさまらず争いが生じ、得てして力と力の衝突ともなって行く。

今日の聖書の個所は、キリスト者の自由をめぐって、巧みな議論が展開されていると言えるだろう。「自由」という言葉が、いろいろに言い換えられている。「旅人であり、仮住まいの身」、これは結構文学的な表現であるが、共感させられる。「自由」であることは悪く言えば「野垂れること」、もっと言えば「野垂れ死にすること」、芭蕉も自らの終わりにこう一句を詠んだ「旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る」。私たちは「野垂れる」ことに、自らを合点できるだろうか。

また「立派な行い」「真実の生き方」という表現にも、「自由」のあり方が語られている。2節「また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります」。「悪口」を言われて、「立派な行い」をするとは、「売られたけんかを買わない」、ということだろう。悪口を言われて、自分もまた悪口で返すなら、同じ程度の人間になってしまったということである。人の和(輪)が大切といっても、悪まで同じになる必要はない、ということか。

13節以下のパラグラフもまた自由の文脈で語られている訳だが、非常に教会の間で議論を呼び覚まして来たみ言葉が記されている。「すべて人間の立てた制度に従いなさい、云々」と命じられる。この個所ともう一つローマ書13章にほとんど同じような意味合いの文言が記されている。新約聖書の時代、教会の抱える一番の問題は、「迫害」であった。そして大迫害で名を知られるネロ皇帝の時代に、60年代には、ローマ帝国がキリスト者を激しく迫害するようになった。そういう社会状況の下、教会はどういう態度をもって歩んで行くのかは、やはり喫緊の愁眉の問題であった。

そういう背景から、この個所のような、あるいはパウロのような主張、即ち、お上に対して、表立っての反抗や抵抗は控えよう、従順な態度で、という穏健な主張が唱えられたことは、当然である。ところが、新約の文書は、どれも迫害を背景に、周囲の無理解への困難をかこちつつ日々歩む教会、そしてそこに集うキリスト者たちによって記されていったのだが、その中で、直接、お上への従順、それもいささか律法的な命令を説く文章は、この二か所だけである。これをどう考えるか。この二か所をもって、初代教会のキリスト者の創意だったとみなすことができるか、これはよく洞察するべきであろう。おそらくは、教会は、置かれたところ、抱えている課題、さまざまな苦労や圧力の中でも、それぞれの「信仰的決断」や「折り合いの付け方」あるいは「妥協」や、時には「対決」をしながら、歩み続けた足跡のひとつが記されているのである。

しかし「自由」ということについて、一つだけ、すべての教会が、困難を抱えつつも、例外なく目を向けていた事柄がある。あまりに当たり前のことなのであるが。それが13節の冒頭に記されている。「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい」。主のために」、協会共同訳では「主のゆえに」、問題は、小さな前置詞ひとつ「ディア」をどう訳すかなのである。もちろん、「ために」「ゆえに」、どちらにも訳せる用語である。ところが翻訳は、こういうささやかな言葉をどう訳すかで、その価値が決まると言っても過言ではない。「ために」と訳すと、誰かに対してつくす、とか利益をもたらすとか、とか一生懸命にがんばる、という「努力・精進」的意味合いになる。「ゆえに」と訳すと「動機」が問題となる。自分が偉くなりたいとか、お金を儲けたい、というのではない。いわば「そうせざるを得ない」「やむにやまれず」という心が強調される。

そもそもこの「ディア」という用語は実に興味深い。元々は「通って」という意味の言葉である。そこから「歩み」とか「足跡」という意味が派生する。「悪魔」をギリシャ語で「ディアボロス」と呼ぶが、「ボロス」とは「物を投げつける」という意味で、人の歩いている足下に、何かものを投げつければ、その人はつまずいて転ぶだろう、正に悪魔の所業である。しかし私たちの「ディア」の向かう所は、主イエスなのである。主イエスの歩み、足跡をたどって、この世に生きる時に、即ち「人間の立てた制度」の上に私たちは歩まざるを得ないのだが、そこでも私たちの歩みは、自分の判断や思惑を超えて、「主イエスの歩み」が問題となるのである。

「主イエスのゆえに」、共に食卓で飲み食いし、み言葉を語ってくださった主、あの十字架に釘付けられ、血を流され、わたしのために祈り、赦しを告げてくださったあの主イエスは、まさにこの世を、人間の社会を生きられたのである。そして私は自身の拙い人生を、何とか主イエスを見上げながら、み言葉を生きようとしているのである。それこそが「主の自由」への道ではないか。

新川氏の詩の最終連、「わたしを区切らないで/,コンマや.ピリオドいくつかの段落/そしておしまいに『さようなら』があったりする手紙のようには/こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章/川と同じに/はてしなく流れていく 拡ひろがっていく 一行の詩」、こうして詩は閉じられる。最初に誰が思いついたのか、定番の宿題があるらしい。「この詩の“6連め”を作ってみましょう」、皆さんなら何を拒んで、どんな続きを記したいだろうか。「何々しないで」と言いたくなる事柄は、この世に、人生にたくさんあるだろう。そして、作者が詠うように、「終わりのない文章、果てしなく流れてゆく」のである。止まってしまうことのない、生きていて、死んでもなお、主イエスの道、その歩み、足跡は、私たちの目の前に記されている。それをたどるのが、私たちである。