「裁きに打ち勝つ」ヤコブの手紙2章8~13節

この夏に、私の故郷にある群馬県立文学館で、「宮沢賢治展」が開催されていた。賢治のご係累、宮沢和樹氏の講演会も企画されていた。地元紙が次のような記事を記していた。

教室のガラス戸を震わせる風を従え、赤い髪の少年が山の学校にやって来たのは9月1日のことである。宮沢賢治の『風の又三郎』は少年と村の子どもたちの12日間を描く。孤独な少年ジョバンニが友人カンパネルラと旅をする『銀河鉄道の夜』。下手な演奏で楽長にしかられてばかりの主人公の家を、夜ごと動物が訪れる『セロ弾きのゴーシュ』。天文や鉱物に詳しい賢治の小説は不思議な世界にいざなう。

子どもたちに一番良く知られているのが『雨ニモマケズ』だろう。賢治の弟、清六の孫にあたる宮沢和樹さんが県立文学館を訪れ、エピソードを披露した。手帳に作品が書かれたのは亡くなる2年前。結核で体が弱っていた頃だった。賢治は出版したいと思った作品は全て原稿用紙に書いており、手帳につづったこの作品を世に出すつもりはなかった。和樹さんによると、賢治が大切にしていたのは〈東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ〉に続く東西南北の部分だ。〈行ッテ〉というのが大切で、「いくら知識や知恵を持っていても、それをこの世で実践しなければ意味がない」と賢治は考えていたという(9月1日付「三山春秋」)。

「行ツテ」の部分、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ツテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクワヤソシヨウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」、成程、東西南北、すべての方向、そこにいる人々、疲れ、呻き、嘆いている人々のいる所に行って、が強調されている。確かに彼は、大学出のインテリとして、また敬虔な宗教者として、地方に生きる農民の生活の改革、向上に尽力しようとした人である。「農民学校」と組織し、そこに集って来た若い人々と、熱心に語り合い、教え、指導した。しかし、その献身的な働きも、自身の健康が損なわれたことで、費えていく。

今日の聖書の個所は、「ヤコブの手紙」、皆さんはこの手紙となじみ深いだろうか。この書物をめぐる有名な逸話として、ルターが「藁の書」と呼んだことが知られている。自分の翻訳したドイツ語聖書に、最初はこの手紙を削除しようとさえした。とにかく彼はこの書物が嫌いだった。理由は「飼い葉おけの中に、肝心の主イエスがおられない」、ただ藁しか見当たらない、虚しい「藁だけの書」だというのである。

ルターは、宗教改革のスローガンとして、「信仰のみ(ソラ・フィデー)」と主張した。救われるのは人間の行いではない、ただ信仰のみによる。新約の主だった手紙の著者、使徒パウロの主張を、復興・再発見したのである。ところがヤコブの手紙はこう語るのである。14節以下には、非常にはっきりと、明快にそれが語られている。「行いが伴わないなら、信仰は死んでいる」。こうはっきり言われては、「信仰のみ」と喝破したルターも、さすがに「おかんむり」という訳である。行いがなければ、救われないなんて「そりゃひでえ」ではないか。

しかし最近の聖書学者はヤコブ書について次のように評する。「古代の文書であそこまで厳しくものを言い得た人の手になる文書が存在するということは、現代人にとっても貴重な財産である」。これでお分かりのように、ヤコブの手紙は、最近、学問的に非常に再評価されている文書なのである。そして今日の個所は、その「らしさ」が如実に表れている。

6節「あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか」。人は金持ちや権力者たちをちやほやちやほやするけれど、裁判でも、商売でも、世渡りでも、酷い目に会わされるのは、いつも一般庶民ではないか。それでいて皆、彼らにへこへこしているのはどういう訳か。こういう言葉が、紀元1世紀の書物に記されている事実をどう感じるか。

9節に「人を分け隔てする」という言葉が見える。この個所のキーワードであるが、かつての翻訳は「えこひいき」「かたよりみる」と訳されていた。2章の冒頭に非常に具体的な譬えが語られる。2節「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい』と言う」。

ここまで露骨な差別が、そのまま教会内で繰り広げられていたとは想像したくないが、まるで目に見えるように語られている。教会の中に身なりの良い金持ちと、みすぼらしい身なりの貧しい人がいる。これらの人々に対して接する態度が全く違う、これをどう考えるか、と問いかけている。ヤコブ書は、事柄の是非やその問題点をはっきりさせるために、あえて極端、ストレートでメリハリの利いた論調をしているのである。そうでもしないと滑らかに通り過ぎてしまう現実がある。

「いじめ」が問題になる。その根本には「分け隔て」「日和見」「えこひいき」が確かにあるが、それが「いじめ」であると認識していなかった、という意見がしばしば語られる。人間が人間を貶める時には、真綿で包むように、本当のところが見えないように、それがなされるものである。「分け隔て」「日和見」「えこひいき」は、人間の心の深いところ、つまり悪の生じる場所で生まれるものだから、なかなか表に見えにくい。そんなつもりはなかった、悪気はなかったと言って、人間は、他の欠けがえのない命を奪うのである。そしてヤコブ書は、信仰の名によって、それが見逃されるのが許せなかったのである。

だから今日のテキストの終わりには、強い言葉で叫ぶように語られている。13節「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。」、「あわれみ」、旧約で何度も繰り返される言葉、原語は「ヘセド」、「哀れみ、慈しみ、悲しみ、共感」そして「愛」全体を表す言葉である。そして「裁き」とは、即ち「正義」「正しさ」、直訳すれば「愛は正しさに勝ち誇る」というのである。あなたの信仰に、愛は息づいているか。愛が死んでいないか、私たちにとって、重い問いかけである。

こういう文章がある。「彼はこういう人だ」、どうしてこうも私達は人を決めつけるのが好きなのでしょう。(先ほどの「分け隔て」、はもっと意味を広げれば「決めつけ」であろう)、それが間違っているというのではないのです。むしろ当たっている場合は多いし、必要な場合だってあります。それができる程に正確に相手を読めないようでは、後れを取ることも事実です。ただ決めつけると言うことは、自分の心が相手のいのちから、離れた状態だということを気づきたいのです(いのちとは人間が推し量るよりも、もっと深いもの)。それは自分自身のいのちからも離れている死の相のことです。(決めつけによって相手でではなく、自分自身のいのちをも小さく、みすぼらしいものにする。人を軽蔑する人は、自分自身をも軽蔑しているのである)。決めつけることにおいて、私達は相手をも自分をも殺しています。

先に紹介した新聞記事はこのように閉じられている。『雨ニモマケズ』の終わりには「南無妙法蓮華経」の言葉などで構成される文字曼荼羅(まんだら)が書かれている。〈サウイフモノニ/ワタシハナリタイ〉。本当はそうなりたかったけれど、なれなかった。賢治の祈りが込められている。

「そうなりたかったけれど、なれなかった」、どの人の人生にも、どのような生き方をしても、付きまとう問いである。そこには一度きりの人生への「嘆き」があるだろう。しかしそのような「破れ」を負い、嘆きつつ生きることで、はじめて人間は愛に生きることができるのかもしれない。「破れ」は祈りへと連なるのである。「できた、なれた」という人には、祈りは無縁である。かえって、自らの正しさという「裁き」によって、大切な人やものを、自分から切り離し、追い出してしまう。しかし神の正しさは、実に「憐み」として世界に表される。主イエスの十字架である。そしてその「憐み」によって人間の小賢しい「正しさ」を打ち負かす。「憐みは裁きに打ち勝つ」のである。