平和聖日「神から生まれた者」ヨハネの手紙一5章1~5節

酷暑の日々が続き、セミの鳴き声しきりの時候である。ある地方新聞のコラムにこう記されていた「米国では一足早く、セミの大発生が話題になった。その数、1兆匹とも。13年と17年ごとに地上へ出てくる二つの集団の羽化が221年ぶりに重なった。13も17も、1とその数でしか割り切れない素数。221は最小公倍数だ。『素数ゼミ』と名づけた研究者の吉村仁さんによると、他の周期のセミとの交雑を避けて同じ周期の仲間と子孫を残すための進化らしい。数字の魔法を味方に厳しい氷河期も乗り越えた。人間が招いた温暖化による地球の変化は氷河期の比でないとされる。『果たしてセミたちは乗り越えることができるのでしょうか』と吉村さんは著書で問う。多様な命が生き延びるすべを探せと、セミは鳴き声でせかしているのかもしれない」(7月7日付「天風録」)。

「短い命を知ってか知らずか/蝉が懸命に鳴いている/冬を知らない叫びの中で/僕はまた天を仰いだ」、去る6月23日の「沖縄全戦没者追悼式(沖縄慰霊の日)」で朗読された宮古高校3年生の仲間友佑さんの詩の冒頭部分である。「これから」と題されている。少し引用しよう。「あの日から七十九年の月日が/流れたという/今年十八になった僕の/祖父母も戦後生まれだ/それだけの時が/流れたというのに(中略)あの戦争の副作用は/人々の口を固く閉ざした/まるで/戦争が悪いことだと/言ってはいけないのだと/口止めするように/思い出したくもないほどの/あの惨劇がそうさせた/僕は再び天を仰いだ/抜けるような青空を/飛行機が横切る/僕にとってあれは/恐れおののくものではない/僕らは雨のように打ちつける爆弾の怖さも/戦争の『セ』の字も知らない」。

この若い魂の詩人は「あの日から七十九年の月日が/流れた/今年十八になった僕の/祖父母も戦後生まれだ/それだけの時が/流れた」またその年月は「僕らは雨のように打ちつける爆弾の怖さも/戦争の『セ』の字も知らない」と率直にこの国の今、を語るのである。「戦争の『セ』の字も知らない」、確かにそういう中で私たちの日々の暮らしが営まれている。しかしその一方で、ウクライナで、ガザで、ミャンマーで、「戦争」が日常として、毎日毎夜繰り広げられている。悲劇を繰り返し味わいながらも、未だに人間は決して戦争を手放し、放棄してはいない。「果たしてセミたちは、否、人間たちは乗り越えることができるのでしょうか」と問わざるを得ないのではないか。そしてどうしたら乗り越えることができるのだろうか。

今日は、ヨハネ書簡を取り上げる。この手紙は、ヨハネの名が冠せられているように、ヨハネによる福音書と親しい関係があると考えられている。ヨハネ福音書は、主イエスの弟子ヨハネの著述を核にして、彼の弟子が付加記述をして現在の文章が構成されている、と学者は考えている。そしてこの手紙には、その弟子の考え方が強く表に出ている、とされる。ヨハネ文書群は、新約諸文書中、最も後の時代に成立し、1世紀末頃に書かれたと推測されている。その頃、教会には、グノーシス派を始めとして、極端な考え方をするグループが現れていた。また迫害の波も時折激しく臨む状況もあった。さらに終末、再臨の遅延という精神的モラトリアムの中で、教会の人々の魂がゆるみ、空虚となり、力を失った信仰的状況を、何とか励まし力づける目的で執筆されたと考えられている。主イエスが復活され、召天されて人の目には見えなくなって70年、80年という年月が過ぎたのである。記憶の希薄化、体験の喪失が生じているのである。

この個所は、ヨハネの信仰理解が端的に表れている個所である。主イエスを信じる者たちを「神から生まれたもの」と呼んでいる。1節「神から生まれた」とは、詩2編7節に「今日お前を生んだ」という章句があるように、王国時代のイスラエルで、王が即位する時、祭司によって唱えられた式文である。国や人々を統治する王は神の子であり、神から生まれた、との観念が、古代オリエント世界には、普遍的であった。王国となったイスラエルも、その思想的影響を被っている。時は流れて、キリスト教会ではこれを「洗礼」の時の言葉に援用したのである。水に沈むことは、母の胎内回帰を象徴し、一度死んで、新しく誕生すると理解したのである。母の胎からという生物学的誕生とは異なる次元の「新生」、有体に言えば「生まれ変わったつもりで」をイメージしていることは、現代の人間論にも通じる思考であろう。ヨハネ福音書では神殿の議員ニコデモとの対話で、主イエスがこの問題にふれている。頭の固いニコデモは、主イエスから「新しく生まれなければ」本当のことは分からないよ、と言われて、「もう一度母親のお腹に戻って生まれ直すのですか」と頓珍漢な応答をしている。そういうことではないだろう、と思うが、私たちも同じようなものである。

神を「生んでくださった方」と表現することは、「親」という比喩で捉えているということである。親が子を愛し、その愛に育まれて子は親を愛す。さらに同じ親から生まれた兄弟姉妹を愛す、という望ましい、健やかな親子関係、兄弟関係に喩えて、人間と神、人間と人間との関係をイメージしている、といえるだろう。実際の家庭や家族、教会という神の家族も、常にそのようなあり方を希求するのであるが、その最も身近で基本的な関係が破綻しているところに、人間の問題が顕著に表れていると言えるだろう。

だから2節で「神の掟」、といういささかいかめしい呼びかけが語られるのである。人間同士が信頼し、支え合い、愛し合うという、最も日常的でなくてならぬものを、仰々しく「神の掟」と呼んでいる。この背景には、ヨハネの教会内の人間関係に、深刻な対立があったことが想定される。教会では、人と人とが健やかな関係を回復するには、まず神と人との間のこと、もっと言えば、「わたしと主イエス」の繋がりが問題なのである。人を見る前に、主イエスのみ言葉を、ご生涯をどう受け止めるか、あの十字架の主イエスと共に、あなたはどう歩むか、にかかっている。血が流れる御手を目の前にして、それでも隣人を憎み続けることができるか。

「神から生まれる」とは、洗礼の式文で用いられる文言であると言ったが、確かに福音書では、主イエスが洗礼者ヨハネからバプテスマを受ける時に、この同じ言葉が添えられているのである。「水から上がられると天からみ声が聞こえた『これはわたしの愛する子、わたしの喜び』」、洗礼を受ける時に、主イエスと共に、私たちも共に聞くみ言葉である。「あなたはわたしの愛する子、わたしの喜び」、このみ言葉を胸に刻み、毎日、このみ言葉を新しく聞きながら歩むのが、キリスト者の人生なのである。そしてこの言葉は、まことに聞く時に、この私と共に、隣の人、隣の国の人、恨みに思う人、自分に都合の悪い人にもまた、更に敵とされる人にも、語られるみ言葉であることを、知らされるである。「あなたはわたしの愛する子、わたしの喜び」。この神のみ言葉に、私たちはどう祈って応答するのか。

4節に「世に打ち勝つ」と記される。ヨハネは「信仰」とは「この世に勝利する」ものと主張する。その「勝利」とはいかなるものか。敵をやっつけて、皆殺しにして、根絶やしにして、勝利を得るのではないだろう。主イエスは「わたしは世に勝っている」と言われたが、それは決して武力によって、この世の権力を打破しているということではない。十字架で釘付けられ、死んで葬られ、三日目に死からよみがえり、という勝利であり、私たちもまたそのような、神の御手の中にあるという勝利である。誰もそこから引きはがすことはでいない。

平和の詩「それから」は、さらにこう言葉が続く「人は過ちを繰り返すから/時は無情にも流れていくから/今日まで人々は/恒久の平和を祈り続けた/小さな島で起きた/あまりに大きすぎる悲しみを/手を繋ぐように/受け継いできた/それでも世界はまだ繰り返してる/七十九年の祈りでさえも/まだ足りないというのなら/それでも変わらないというのなら/もっともっとこれからも/僕らが祈りを繋ぎ続けよう/限りない平和のために/僕ら自身のために/紡ぐ平和が/いつか世界のためになる/そう信じて」。

この若い魂は、「人は過ちを繰り返すから、時は無常に流れるから、平和を祈り続けてきた」と言う。そして「七十九年の祈りでさえも/まだ足りないというのなら/それでも変わらないというのなら/もっともっとこれからも/僕らが祈りを繋ぎ続けよう」と心の決意を語る。大人は軽々しく「祈るだけではだめだ、何もならない」と分かったような口を利く。こういう人は大体、祈ってなどいない。祈っても祈っても「足りない、変わらない」なら、「もう祈りを止めよう」、ではない。「七十九年の祈りでさえも/まだ足りないというのなら/それでも変わらないというのなら/もっともっとこれからも/僕らが祈りを繋ぎ続けよう」。祈り続ける、これこそ神へのまことの応答であろう、「あなたはわたしの愛する子、わたしの喜び」という呼びかけへの。そして「世に勝つ」というのは、誰にもどんな敵にも、剣にも、空しさにも、祈りを受け継ぐ、祈り続ける、ということではないか。