祈祷会・聖書の学び 使徒言行録4章23~31節

先日、毎月恒例の主治医の診察と投薬を受けに、病院に行った時のこと、薬局が混んでいて多くの人が順番待ちをしていた。そこに2歳と4歳くらいの二人のお子さんを連れたお母さんが座っていた。長い待ち時間に耐えられず、子どもたちは気を紛らわすため、いろいろに振舞う。下の子は暑くて不快なのかぐずり始めた。上の子は椅子の上に立ち上がって、窓の鍵をガチャガチャさせたり、「水が飲みたい」と落ち着かない風情である。子どもの落ち着かない様子にお母さんもイライラするのだろう、ついついきつい言葉が口から洩れる「静かにしなさい!」。案の定、それでも子どもたちは言うことを聞かない、相変わらず、いたずらを続ける。するとお母さん、携帯を掛ける真似をしてこういう。「今から、お父さんにここに来てもらうよ、どうなるか分かるよね!」、すると子どもたち、「いい子にするから、呼ばないで!」と泣き顔で訴えたのである。

子どものしつけについて、「叱る」さらに「脅す」ことの是非、その塩梅については、いろいろ議論があるだろう。それはひとまず置くとして、考えさせられたのは、仰々しく言えば「父親の役割」あるいは「その存在の意味」である。やはり、今でも小さな子どもたちにとっては、男親は「怖い」存在なのか、家庭では「叱り、脅す」役割を担っているのか、ということである。

聖書のみ言葉に、「神を畏れることが知恵のはじめ」(例えば箴言1章)とあるが、家庭でのしつけや教育に、「おそれ」(決して、脅かし、怖がらせるという意味ではないが)がどうしても必要なことを教えている。但し、それは力によって誰かを支配、統制し、序列や秩序を維持し、体制の安寧を保つ、という意味などではないことは明白であろう。人は誰でも、自分のまことを誠実に表明し、向かい合うべき存在が必要であり、親がそれを率先して子どもたちの前で謙虚に示すことが、家庭での教育の根幹であると考えたのである。これは極めて現代的な課題でもあるのだが、そのまことを示すべき相手が、本当のところ誰なのかが、見事に隠されている時代でもある。その相手如何によって、実はその人自身の人間性が、あらわにされるのであるが。

今日の聖書の個所は、3章から続く長い物語の結末が語られる部分である。エルサレム神殿の「美しい門」(この国の日光東照宮の「日暮らしの門」のようなものか)の前に座る、身体の不自由な人と、ペトロ、ヨハネとの、たまさかの出会いが語られる。その人に二人の弟子は言う「わたしには金や銀(お金)はないが、わたしにあるものを上げよう」。ここから出来事が始まる。初代教会の実情が、この一言だけで読み取れる。恐らく教会は、維持費や運営費の捻出に、非常に苦労していたのだろう。「金や銀はない」のである。しかし、何はなくても、教会にはあるものがちゃんとある。それはただ「主イエスのみ名」である。しかしこの一事、これを忘れる時、教会は他の世俗集団と何ら変わらなくなる。

ところが、この「主のみ名」から始まる小さな出来事が、大騒動を引き起こすのである。テキストの最後に「場所が揺れ動いた」とあるが、「主イエスの名」が教会を、そして地域を揺り動かしたというのである。「金や銀はない」、というこの世では惨めな憐れむべきその群れが、地域を、そこにいた人々を揺り動かした。事実これが教会というものである。

この個所のキイワードは、「大胆に」である。13節「ペトロとヨハネの大胆な態度」、そして31節「大胆に神の言葉を」という具合に、「大胆に」が幾度も繰り返されているのはなぜか。二人の弟子がたまたま神殿の門で出会った人は、生まれながら不自由さを抱えていたという。おそらく低い姿勢で、萎縮したように、おどおどと弱気になって、誰かの憐みにすがって生きて来たのである。しかしこの風変わりな主イエスの弟子という「金銀を持たぬ」無力な者たちによって、癒しがもたらされたのである。彼ばかりではない、この二人の弟子たち自身も、かつて、おどおどと弱気になって部屋に鍵をかけて内にこもっていたのである。その彼らの身の上に生じたことは、等しく「大胆に」という変化であったのである。ここで「癒し」とは「大胆になる」ことの言い換えと言っても差し支えない。

この「主イエスの弟子」で、「金銀はない」とか臆面もなく言う者たち、即ちこの世の権力も富にも無縁な者たちが、「大胆に」語るのである。19節以下「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」。騒ぎを起こす厄介者、と目される彼らを捕らえた神殿当局者たちも、この「大胆さ」がどこから来るものか訳が分からず、「二人を更に脅してから釈放」したのである。権力を持つ者、つまり人間的な駆け引きや、相手を都合よく動かそうと策略を巡らす人間にとって、できることはせいぜい「脅し」だけなのである。「身体を殺しても、それ以上何もできない者どもを怖れるな」と喝破した主イエスのみ言葉は厳しいが、痛烈でもある。そしてこれが「大胆さ」の源である。

こんな文章を読んだ。「兵庫県西宮市内の小学校では、阪神大震災でのボランティアを児童たちに追体験させる行事を取材した。2004年のことで、震災から9年が経っていた。その小学校には震災時、千人を超す被災者が身を寄せた。だが小学校も断水で水が使えない。トイレで使う水をプールで汲んで、リヤカーで運ぶのは児童たちの仕事だった。水がなくなると『パンダさんチーム出動してください』と校内放送が流れる。1日数回、水汲みをしていたという。行事では、震災時と同じようにプールから水を汲みリヤカーで運んだ。担当したのは6年生の6人だ。震災時は2歳。当時のことはよく覚えていない。私が『いいな』と思ったのは、6人が胸を張ってリヤカーをひいていたことだ。行事の後、『なんで胸を張ってたん?』と聞いてみた。児童たちによると、震災当時にこの作業をやっているところを撮影した写真が、小学校に残されていた。その写真ではみんなが胸を張ってリヤカーをひいていた。だから自分たちも同じように胸を張ったのだという」(渡辺周「児童たちが胸を張ってリヤカーをひいたのは」)

「大胆に、胸を張りながら」、水を運んでゆく子ども達の姿、ここには「生命」に仕える者としての誇りがある。そしてそれは、かつての震災の痛みを受け継ぐ者としての誇りである。まことの誇りは、生命にかかわる所で生まれて来るだろう。そしてその根源にあるものこそ、主イエスである。主イエスのみ名こそ、人をまことの大胆に導く。