「がんで入院した実直な自動車整備工と豪放な億万長者。たまたま同じ病室で知り合った2人は、ともに余命半年と宣告され…。米映画『最高の人生の見つけ方』である。歴史の教員になりたかった整備工が、こんな話を語って聞かせる。『古代エジプト人は死について、すてきなことを信じていた』。死者の魂が天国の入り口にたどり着くと、門番が二つ質問をする。『あなたの人生に、喜びはありましたか?』『あなたの人生は、他人に喜びを与えましたか?』。イエスかノーかで門をくぐれるか決まる、と。人生は最後まで、問われることと選択することの繰り返しかもしれない。」(12月8日付「有明抄」)
人生を考える上で「天国の門の前で」という舞台設定は、古今東西、普遍的な道具立てであろう。古代エジプトの死生観を伝える『死者の書』では、死後、魂は冥界に行き、そこで永遠の生命を受けると信じられていた。しかし人が冥界に入る前に、42柱の神々の審判を受けねばならならず、死者は彼らの前で己の魂の潔白を告白し、神々の名の下に誓って、「私は生前に大罪を犯していません」と宣言しなければならなかった。さらに死者は、大きな天秤の前に立たされ、一方の皿には真実を象徴する羽根が、もう一方の皿には死者の心臓が乗せられる。運命の女神は死者の人柄について証言し、学問と文字の神トートがそれを記録する。天秤の羽根と心臓が平衡を保てば、人生の潔白が証明され、神は無罪を宣告し、死者は永遠の生命が与えられた。しかし有罪になった者の心臓は、グロテスクな動物たちに投げ与えられ、その餌食となるというのである。先ほどの映画の話と大分異なる筋書きだが、「真実と心」が平衡を保つかどうか、という部分に着目すれば、後ろめたさのない清々しい心で、満ち足りる気持ちを覚えられるかどうか、が生きる肝心であろうから、「喜び」が天国の扉を開く鍵であることは、納得させられるであろう。
さて今日はフィリピ書に目を向ける。このパラグラフの6節以下は、「キリスト賛歌」と呼ばれる章句として知られている。最初の教会がどのような営みや活動を行っていたのかについて、新約聖書とりわけ使徒言行録や書簡等に記される事柄に、その有様を垣間見ることができるが、特に最初のキリスト者たちは「歌い、賛美すること」に熱心であったことが伝えられている。「彼らは時に、明け方までも賛美の歌を歌っている」と近隣の住人の言葉が残されているほどである(これは苦情か、あるいは呆れているのか)。現代でも「歌」は決して廃れることはなく、多くの人が共に歌を歌い、楽しむ姿を巷のあちこちで見ることができる。まして娯楽の乏しい時代にあって、賛美は人々の心に大きな喜びを与え、勇気や励ましを呼び起こす「よすが」でもあったろう。
初代教会の人々がどのような歌を歌っていたのかについては、楽譜や譜面が残存している訳ではないから、正確に知ることは困難であるが、ユダヤ教の習慣を踏襲して、旧約の詩編を始めとする諸々の詩を「歌」として賛美していたことは、容易に想像することができる。現代の礼拝で「頌栄」(三位一体の神への賛美)が歌われるのも、詩編を賛美したことの名残である。しかし、教会独自のオリジナル讃美歌がどのようものであったのかについて、新約聖書中の章句から、その断片を知ることがでいるのではないかと考えられている。今日のテキスト中の「キリスト賛歌」と呼称される章句が、まさに初代教会の賛美歌に他ならないという見方がある。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」。手短に言えば、実にキリストの「卑賤と高挙」が語られ、教理の基本的文言(キリスト論)が主張されるのである。「まことの神にしてまことの人」、神の「受肉」と「受難」、「復活」と「昇天」、この一連の出来事の意味が、この短い文言の内に、すべて盛り込まれている。ここから後に、キリスト教の教理や教義が細かに、多彩に発展して行くことになる。つまり神学の源は、賛美にあったとも言えるのである。信仰者の心にある思いが、訴えとなってことばとして口から語り出される、歌というかたちになって。このような営みこそが、人間の生命の発露、活動の真実であろう。理屈は後で追いかけて来るのである。
この文言の中で、元々の賛美にない歌詞(文言)を、手紙の著者、使徒パウロが付加したとも考えられているが、さて、どの部分を付け加えたと思われるか。「それも十字架の死に至るまで」、パウロは徹底して、主イエスの十字架にこだわり、それを強調した人である。但し「十字架」は、「神の呪いのしるし」であり「反逆者への見せしめの刑罰」であったから、教会でも宣教の際にこれを強調するのにかなりのためらいがあったと思われる。そういう優柔不断な態度に、パウロは強く抵抗したのである。それが「キリスト賛歌」における「十字架の死」の文言の付加につながったと考えられるのである。
「飼い葉桶」に生まれ、ナザレの人として育ち、成長し、病む人々を癒し、貧しい人々に福音を告げ知らせ、十字架への道を歩むという人生は、まさに神の「卑賤」と「従順」を物語る姿であろう。クリスマスは実にこの始まりであった。神は最初からそのように世に来られたのである。さらに「高挙」もまたしかり、「すべての名にまさる名」が与えられたというのは、「名」とは「生命」の表出であるゆえに、誰よりもどんな人よりも、その人生が満ち足りて、充実したものであったという表明ではないか。
「卑賤」と「高挙」は、とどのつまり「喜び」がどこから生まれ、それがどのように働くかを表す概念であろう。『あなたの人生に、喜びはありましたか?』『あなたの人生は、他人に喜びを与えましたか?』。高飛車な態度で、他人を見下し、高みに立って生きていたら、優越感だけで、どこに喜びがあるのか。かえって喜びは逃げていくだろう。まことの喜びは、今ある自分のありのままを受け止めたところで見いだされ、味わうものではないのか。そしてその「喜び」を誰かに与える、共にすることがあるなら、その喜びはさらにそのひとりの人を越えて、世界に大きく広がって行くだろう。主イエスが家畜小屋に誕生し、飼い葉桶を寝床としたことは、「喜び」の卑賤と、何物にも代えがたい高貴さとのあらわれである。ここにすべての喜びの源があるであろう。