「別れの言葉」というものがある。この国なら「さようなら」と挨拶をする。英語圏ならば“Good bye”であろうか。何も言わずに、無言で立ち去る、というのはドラマならば時に絵になるかもしれないが、やはり関係を保ちながら生きるのが人の世であるから、何程かの言葉を掛けて去るのが礼儀に適っているだろう。
「さようなら」という言葉は、もともと「左様であるならば」という意味の「しからば」「さようならば」といった接続詞であると説明される。即ち「そのように、どうしても別れなければならないとするなら」、という意味合いであり、さらに「それ(別離)をお互いに受け入れて、それぞれに歩んで行きましょう」という心を表すものだというのである。
他方、“Good bye”は、”God be with you“(=神はあなたとともに)の短縮形であると考えられ、しばらく、当分の間、会えなくなる場面で用いる挨拶の言葉で、「自分はあなたと共にいることはできないが。インマヌエルの神がいてくださる」ことへの祈りを表すとされ、そこから相手の無事を願う別れの心を表すものとなる。かくして日本語も英語も、別れの言葉の背後には、宗教的な動機が潜み、それは祝福の祈りに通じると言えるだろう。
「祝福」と「呪い」は、宗教の最も原初的形態と見なされている。宗教一般は「呪術」と呼ばれる行為によって成り立っていたとされる。「呪術」というと、例えば「藁人形への釘打ち」のようにおどろおどろしく禍々しい行為のように感じられるが、大雑把に言えば「豊穣儀礼」を指している。自然は自分たちの命を支える糧をもたらす大いなる力である。但し、いつもそれが人間に都合よく働いてくれるものでもない。だから自然が豊かな恵みを与えてくれるように、祈願をすることが、「祝福」であり、自然が猛威や災厄をもたらさないように、宥めることが「呪い」なのである。つまり「呪いの言葉(いのり)」によって、自然の力を強めたり、撓めたりしようという試みが、「祝福」であり「呪い」なのである。いのりの言葉は霊となり強力に働きかける、と信じられたから、安易に発せられれば、思いもよらぬ禍をももたらしかねない、それ故「呪わば穴二つ」なのである。自らの発した言葉は、ブーメランのようにいつしか自分に戻って来る。
今日の個所は、ヘブライ書の掉尾「結びの言葉」と題されている。ヘブライ書は手紙というよりは説教ないし神学論文と呼んだ方が適切であるが、パウロ書簡を強く意識しており、前後を手紙形式により構成されている。末尾には祝福の祈りが記され、その後、挨拶をもって閉じられている。この形式は、当時のキリスト教会の行っていた礼拝の流れにも準拠している。現代の礼拝でも、招きの詞から始まって、祈り、賛美、み言葉、説教(解き明かし)、祝祷、報告という具合に式次第が進行してゆくのが一般的であるが、古代教会の礼拝も、大まかな点では共通しているという証左であろう。とりわけ教会宛の書簡が、自ずとそのようなスタイルを取ろうとするのは当然である。パウロを始めとして新約中の文書は、地域の諸教会で回覧され、礼拝で説教として読まれるべく意図され、記述されたのである。
さて21~22節の「祝福」に注目するが、この言辞を用いて今でも礼拝での「祝祷」とする伝統が受け継がれている。(『讃美歌21』では、「祝福・祝祷」の項に転載されている)。ヘブライ書のそれは、かなり長めの祝福の祈りであることが特徴的である。既述のように、古代において「祝福」は宗教行為の定式であったから、新旧約聖書には、祝福の祈りが多く記されている。それらを比較して見ると、パウロの手紙に記されている「祝福の言葉」が、時代と共に膨らんで、その文言が徐々に豊かにされ整えられてきた経過を見ることができる。もちろん「祝福」の祈りは、ユダヤ教の伝統の中から育まれ、キリスト教もそれを踏襲し、自らのものとして来た訳である。二コリント書13章13節の祝祷は、非常にシンプルなものであるが、三位一体の教理の萌芽を伺わせる文言となっている。但し、これもパウロ独自の祈りという訳ではなく、初代教会がすでに行っていた祝福の祈りを、パウロもまた引用した、ということであろう。もちろんそっくりそのままではないにしても。
ヘブライ書は、新約の中で後期に成立した文書であるから、パウロの記している祈りと比べると、象徴的、観念的な文言が多く配置され、文章も長いので、それだけ教理の進展が背後に読み取れる。総じてヘブライ書には言及されない「復活」についての教説が明確に語られていることからも、それが理解されるであろう。やはりすでに多くの諸教会で用いられていた式文を利用して、教会の公同性を示すという意図があるのだろう。
しかしその中で「平和の神」という言葉が、特に私たちの目を引く。聖書における「祝福の祈り」が持っている共通項は、「平和」の希求である。古代イスラエルの時代から、挨拶の言葉になったほどに「平和(シャローム)」を求める祈りは、途切れることなく連綿と続けられてきた。復活の主イエスは、弟子たちに姿を現された時、まず「平和があるように(シャローム)」と声を掛けられた。これは単に、挨拶の言葉、決まり文句だからというのではないだろう。「平和を求める」のは、平和が「ある」からではなく、平和が「ない」からである。実にその時の弟子たちの心は「ユダヤ人たちを怖れて、家の戸に固く鍵をかけていた」のである。「命あっての物種」とはいうものの、彼らは、声を潜めて互いに慰めの言葉やいたわりの言葉すらも忘れて、内にこもって居るのである。平和がないのである。
ヘブライ書の成立時代は、地中海周辺世界にあまねく「ローマの平和」がひろまり、ローマ帝国のその絶大な権力の前に、諸国民はひれ伏したのである。それは「力による平和」の実現であったが、それですべて人間の悩みが解決したかと言えば、かえって生きにくさや生きる目的の喪失が露わになっていったのである。時に迫害の高波を受けつつも、キリスト教会に多くの人が足を向けたのは、やはりまことの平和、まことの安心を求めてのことだろう。「平和の神」は、天地創造のみわざの七日目に、神が安息されたことに由来する。「それは極めて良かった」とあるがままに安んじる神は、この日を祝福し、聖別されたという。「神の安息」、ここに私たちの平和の源がある。平和とは、争いがないということだけでなく、「今、あるがままに安らぐ」ことである。神の安息にあずかることこそ、一番の「祝福」であるだろう。私たちは主の復活を記念し、祝いつつ、安らぐのである。