祈祷会・聖書の学び 使徒言行録26章24~32節

近頃話題の「生成AI」に、「どうして人は勉強をするのですか」と尋ねたところ、このような答えが返って来た。「人はさまざまな理由で勉強しますが、その主な理由としては、次のようなものがあります。自分の教養を高めるため、現在の仕事に役立てるため、職業選択の幅を広げるため、人としての能力を高めるため、思考力や論理的思考の能力を鍛えるため、問題を分析し、解決策を見つける力を身につけたいから、言語能力・計算能力・発想力・表現力などの能力を身につけるため、自立して生きていく力をつけるため。

勉強には、専門的な知識をつける側面と、人としての能力を高める側面があります。また、勉強することで、次のようなメリットが得られます。人類の英知を身につけられる、頑張れば報われる、問題の処理能力が増す、常識が身に付く、 より応用的なことが学習できる。勉強する理由は人によって異なりますが、自分自身で見つけていくものです」。

成程な正論と思われるが、最後のフレーズの「自分自身で見つけて行くものです」という結語には、少々複雑な気持ちにさせられる。つまり「こういう事柄は、自分の頭で考えるべきものですよ」と言われている気になる、しかもAIに諭されるとは、現代的というか先進というか、複雑な思いである。

今日の聖書の個所で、パウロは総統フェストゥスから「大声で」、つまり「聴くに堪えない、あまりにナンセンスだ」という気持ちだろう、こう罵倒されている「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」。パウロ、よりによって、前任者の負の遺産として自分に押し付けられ、「生まれながらのローマ市民」とうそぶく厄介者が、長広舌を振るったのである。こやつの言うところ「ナザレのイエスが、救い主、メシア・キリストであり、しかも十字架に付けられて死に、よみがえった神の子である」と確信的に語るこの弁証を、到底、受け入れることはできなかった。そしてフェストゥスの口に語らせてはいるか、当時のローマ世界に生きている者は、皆等しく、パウロの語る弁明に、簡単に首肯することはできなかったであろう。

まず「救い主、キリスト」とは、ローマの第一人者、皇帝への称号であった。彼こそ世界に「パックス・ロマーナ(ローマの平和と繁栄)」をもたらしたのである。だから偉大なる皇帝こそ、実に「キリスト、神の子」なのである。ところがこの変わり者パウロは、ユダヤの辺境の地、ガリラヤのナザレ出身の大工のせがれを、「キリスト、神の子」というのである。しかもこの男は、死んで甦ったのだというのである。通常の理解の許容量を超える発言に、フェストゥスの大声も分かる気がする。「お前は頭がおかしい」。

私の高校時代のある教師の口癖は、「勉強をし過ぎて、死んだ者はいない」であった。「四当五落」などという言い方が、まだ通用している時代である。曰く「四時間睡眠で勉強をがんばったら合格、五時間寝ていたら、残念ながら不合格」というものだが、「運動中は水を飲むな!」という指針と肩を並べるほどの「権威」ある教えであったと記憶している。まあ、その元祖ともいえるナポレオン公も、昼間、随分うつらうつらして過ごしていたらしいが。二千年以前の時代も、「学問のし過ぎでおかしくなる」というような見解があったのだろうか。確かにパウロは口述筆記であれ程、大部な書簡を物すことができた人である。上手いかどうか、面白いかどうかは別にして、レトリック感覚にも優れており、多種多様な比喩、隠喩を用いる文章術に長けているから、やはりそれだけの研鑽は積んで来たはずである。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」(フィリピ 3:5~6)この自己紹介文から想像するに、彼の若い頃の勉強する姿勢は、極めて真摯で熱心だったと思われる。エルサレムに留学し、ラビ、ガマリエルの下で学ぶことができたということだから、いわゆる秀才のひとりであったことは間違いないだろう。但し、それと人生の実際は、決して同等ではない。

今日の個所の結末にはこう記される。「(アグリッパとフェストゥスは)『あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない』と話し合った。アグリッパ王はフェストゥスに、『あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに』と言った。

この二人は、パウロを悪い輩とは見なさなかったようだが、彼の弁明をきちんと理解した訳ではなかったろう。せいぜい「学識はあるが変なことを言う輩だ」くらいの思いだったろう。そしてパウロを「生き方が不器用な人間」という評価を下したようだ。頭は良いのだから、もう少しうまく立ち回れば、人生が好転するのに、というような多少の憐憫の情も伺える。

勉強やら学問やらには、得てして「評価」が絡むのが常である。彼らのパウロに対する評価は、「学問のし過ぎでおかしくなる」というものであった。人間的な視点ではそれも当たっているかもしれないが、そもそも「評価」とは何かが問われるであろう。人間の評価は人間の都合にそのまま左右される。「人は自分の見たいものしか見ない」から、その見方に適合するかどうかが、ほぼすべてである。だから勉強することの意味を、ただ実利的、功利的な見地から評価することが、本来の学びの意欲を削いでしまうことに留意しなければならないだろう。パウロは「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです」と語り、かつて自分の研鑽の中身について、全くの訣別と転換とを口にしている。「学び」とはこのように、これまでの自分との転換をも促すものでもあろう。

戦下の嵐の中に置かれているひとりの子どもが、インタビュアーから勉強する意味を問われて、「勉強していたら、悲しいことや苦しいことを一時、忘れられる」という答えに衝撃を受ける。人は本来、勉強すること、学ぶことは、実は「喜び」のはずである。自分の知らなかった知識に出会い、自らに獲得する作業である学びが、「悲しみ・苦しみ」を忘却するために、とはどれほどに無残で悲惨な境遇であることか、戦争の持つ罪の大きさが、ここでもあらわになっていると言えるだろう。「勉強・学び」という人間の営みの最も大切な部分を通して、神は人間の罪と愚かさを告げられるのである。そればかりでなく、子どものこの「悲しみを忘れるため」が、真に「学ぶ喜び」に変わることが、平和を実現することの具体的な姿であろう。