「ヨハネは帰ってしまった」使徒言行録13章13~16節

6月24日子どもの教会礼拝説教
「ヨハネは帰ってしまった」使徒言行録13章13~16節

「おはしもて」という標語をご存知だろうか。阪神淡路震災以後、小学校で避難訓練の標語として作られた合言葉である。「おはしもて」とは「押さない、走らない、しゃべらない、戻らない、低学年優先」の頭文字を取ったものである。
阪神・淡路大震災から20年以上経つが、先日の高槻を震源とする震度6の地震は、当時を体験した人にとって、かつての思い出が、鮮やかに甦る出来事であった。人間の体験は、たとえそれが一度きりの、小さなものであっても、決して忘れ去られて、なくなってしまうようなものではない。よく死ぬ時には、回り灯籠のように、自分の一生が目の前をくるくる早回しのように過ぎる、というではないか。
阪神淡路の震災の数ヵ月後、ようやく私は、最も被害が酷かった、神戸・長田区の永田カトリック教会を訪れることが出来た。周りの住宅は、倒壊し瓦礫となり、あるいは火事で燃え落ちた。教会堂も倒壊したが、庭に置かれていた手を広げたキリスト像は不思議に残り、その目の前で火事は沈下した。
その教会は、長田区の震災ボランチィアセンターとして、活動の中心となっていた。その訪問の際に、震災を経験した地元の人から、自分の持ち場に帰ったら、そこにいる人に、逃げることの大切さ、難しさを伝えて欲しいと言われた。地震の合間に、家に財布を取りに戻り、余震で当会に巻き込まれた人も、少なからずいたということである。

災害の後の救援活動で、最も重要な役割を果たしたのは、「情報」「言葉」であった。どこに行けば水がある、食料がある、雨露しのげる避難所がある。怪我の手当てをしてもらえる、医師が巡回する等。そしてその教会の地域FM放送局、「FMわいわい」は、震災直後から5ヶ国語で、その情報を伝達し続けた。長田区は、在日外国人が多い地域でもあった。「信頼できる言葉」が、どれほど人間を支えるか、守るか、「言葉はいのち」なのである。
今日の聖書の個所で、気になる事柄は、13節である。「ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」。5節に「二人(パウロとバルナバ)は、ヨハネを助手として連れていた」。「助手」だからまだ半人前、若者であったろう。昔の教育は、親方の後をくっついて周り、見よう見真似で覚えていく、と言う方法であった。学ぶとは「真似る」が語源である。体験重視、技術は盗むものだ。
ところがその「ヨハネ」が、二人と別れて、エルサレム(故郷)に帰ってしまった、というのである。理由は書かれていない。皆さんは、彼が帰ってしまった訳を、想像できるだろうか。二人に断って、理由を言って、戻ったのではない。断りなしに、勝手な行動を取ったのである。有体に言えば、「心が折れた」のであろう。

ただこの勝手に帰った、逃げた、ことで、バルナバとパウロの中は、後に決裂することになる。再び伝道旅行に出かけようとするとき、15章37節「引用」。バルナバは、ヨハネにもう一度チャンスを与えようと考え、パウロは、それを拒絶した。皆さんならどちらの、判断をするだろうか。パウロと別れて、バルナバはヨハネを連れて、旅にでることになる。
この後、マルコと呼ばれたヨハネがどうなったか、はっきりとは分からない。しかしパウロの最晩年の手紙、フィレモン書には、その名が見える。そしてマルコによる福音書は、このヨハネ・マルコが記したと伝えられている。「おはしもて」、逃げることは、人間にとって大切な課題であるし、逃げるためには、技術が必要である。むやみやたらに逃げることは出来ない。逃げるということの中にも、神の御手は伸ばされているし、逃げることをも、神はご自身の目的のために用いられるのである。