「何の役にも立たない」ガラテヤの信徒への手紙5章2~11節

7月1日主日礼拝説教
「何の役にも立たない」ガラテヤの信徒への手紙5章2~11節

先月の23日は沖縄「慰霊の日」であった。沖縄戦での日本軍の組織的抵抗が終わった日とされている。内実は、この日に、兵隊達に命令を下す責任を持つ日本軍司令官が、自決したのである。これにより「言葉」が喪われるのである。戦争を始めるも、終わるのも、結局、言葉による。命令する者がいなくなったら「戦いを止めよ」という言葉が喪われ、そうして沖縄戦は泥沼化する。言葉に対する無責任、言葉が喪われるということは、何という悲惨や悲劇を生んでしまうことか。

今年の沖縄慰霊の日の様子を、テレビで見られた方も多かろう。式典をよそに木陰で弁当を広げ、楽しく談笑し、寛いでいる人たちの姿も映し出されていた。平和の具体的な姿を象徴的に示している。聖書に「一人ひとりがぶどうの木の下に、いちじくの木の下に座す」ということわざがあるが、それは「平和の内に喜ぶ」ことの比喩である。同時に沖縄では、「死者との共食」という慣習を、今なお残しているからである。
「慰霊の日」戦没者追悼式典の中で、浦添市立港川中学校3年の相良倫子さんが読み上げた自作の「平和の詩」が反響を呼んでいる。「平和の詩、生きる」は、相良さんの曾祖母の言葉を聞いて、そこから自分の言葉を紡ぎ出して、詩にしたという。94歳になる曽祖母は、沖縄戦で友人を亡くし、収容所に入る過程で家族と離ればなれになった。「戦争は人を鬼に変える。絶対にしてはいけない」と幼い頃から何度も言い聞かされてきた。それが平和を考える原点になった。言葉が生きて働いて出来事となっていることに、改めて驚く。
「小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、(中略)みんな、生きていたのだ。日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた/私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ」。戦争の現実を、中学生の等身大で、ありのままに語っている。そしてこう語る「私は手を強く握り、誓う。奪われた命に想いを馳せて、/心から、誓う。/私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、/絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないことを」。「過去を未来にしない」、この小さくて大きな言葉を、私達はどう聞くのか。
今日はガラテヤ書5章から話をする。2節「ここで、わたしパウロは」、と語られている。この書き出しは、大上段からの物言いのようで、いかにも仰々しい。ある聖書学者は、「ここから数節は、パウロ自身が筆を執って、自ら記したのではないか」と推定している。当時、文字を書くのは、特殊技能であった。専門の筆記者がいて、手紙なども口述筆記したのである。パウロの例外ではなかった。勿論、文字を書くことは出来るが、専門家のようにきちんと書ける訳ではない。どうも「下手くそな大きな字」であったようだ。それでもここで、パウロは自分で、記さない訳にはいかなかった。それ程彼にとって、重大事だったのである。

「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何にも役に立たない方になります」。これは過激な表現である。キリストの恵みも愛も、その働きも、ご生涯も、十字架も、何もかも無駄に、無意味になる、というのである。どういうことか。「割礼を受けるなら」。「ユダヤ人であること」「ユダヤ教徒であること」の証は、一番に「割礼」の有無である。律法を守っているという「目に見える証・象徴」がそれである。「私は律法を守ります」とい目に見える誓いといってもよい。
キリスト者は、主イエスを信じることによって、「自由」を得た。もろもろの束縛、くびきから解き放たれた。初代教会に人々が集ったのは、そこに自由があったからだ。このことは今も昔も変わりない。パウロにとって、その自由の中で、最も大きかったのは、「律法からの自由」であった。自分をがんじがらめにしていた律法主義から、主イエスによって解き放たれた。彼の救いの確信はここにあった。
ところが、ガヤテヤの教会に、エルサレムからうるさ型の「ユダヤ主義者」がやって来て、「キリストのみでは救われない、律法が必要だ」と主張したようである。ガラテヤ教会の信徒達は、ユダヤのお偉いさんと事を構えるのも、どうだろか、と考え、受け入れるふりをして、お追従したのかもしれない。ところがパウロは、ガラテヤの人々の優柔不断に憤り、怒りの手紙を書いた、というのがガラテヤ書の背景である。

心理学者の河合隼雄氏がこう書いている。「一番生じやすいのは、180度の変化である」。人間は変化する生き物だ。しかし変わる時には、少しづつではなく、ガラッと劇的に変わる。アルコール依存症でも、少年の非行でも、突然、酒をきっぱりやめる、あるいは突然、良い子になる、のである。ところが周囲が驚き、喜んでいると、ある程度の時が経つと、またがらっと百八十度変わる。元の木阿弥である。皆さんにそういう経験はあるか。

パウロもまた、「人間が変わる」、という現実を良く承知していたから、自分もまたそうであったから、ガラテヤの人々が、そして自分自身が元の木阿弥にあることを心配していたのであろう。自分が自分の努力や精進や力によって変わる、ということの限界や空しさを、パウロは良く知っている。人間が変わるとは、キリストによって変えられるのでなければ、本当には変わらない。「一番生じやすいのは、180度の変化である」。だからパウロはこう言う。4節「キリストとは、縁もゆかりもないものとされ、いただいた恵みも失います」。「恵みから抜け落ちる」と表現されている。キリストの恵みは、ちっぽけではない。この世のものすべてを包み込むほど、大きく広がっているのである。もっと言えば、大きな罪を犯したとしても、信じる者も、信じない者も、全て大きく包み込むものである。しかし神の恵みは自由であるから、「信」の絆で主イエスと繋がっていないと、いつのまにか滑り落ちてしまう。丁度、山登りで急峻な崖を登るようなものだ。互いにザイルを結び合い、絆を作り登ってゆく。もし誰かが足を滑らせても、信頼のザイルが、その人を滑り落ちないように、支えるのである。
「もう二度と過去を未来にしないことを誓う」と中学三年生の少女は語った。時の首相はその言葉に、顔を上げることがなかった。人間に一番生じやすいのは、180度の変化である。私達の、風見鶏のようなくるくる回るだけの変化を、つなぎとめるのは、何か。ただ主イエスとの絆しかない。十字架で罪人と一つになり、祈ってくださった主イエスの絆がある。これをしっかりと魂に結び付けたい。