説教『あなたが立ち直った時には』(ルカ22:31~34)

2014年6月29日  創立記念日礼拝・説教(加藤久幸牧師)要約
説教『あなたが立ち直った時には』(ルカ22:31~34)

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◎今日は鶴川北教会の創立記念日に招かれてお話しできることを光栄に思います。神学校時代は、結婚直後で2人の幼子を抱えていましたが、鶴川北教会では家族でお世話になりました。卒業後は、新庄教会、三鷹教会を経て現在、茨城県の水海道教会に赴任して9年目に入りました。妻の輝勢子牧師は本所賀川記念館の常務理事をしていて、現在、4つの児童館の責任を担っています。皆様に宜しくということでした。
◎今日は、創立記念日礼拝ということですので、教会の基本は何かということについてお話ししたいと思います。私は牧師になって今年で25年目を迎えました。従事してきた3つの教会では幼稚園などの兼務があり、いずれも自転車操業で目まぐるしく過ごしてきました。不義理を欠くこと限りなしで、今、手元には何も残っていないように感じます。3年前に「3・11」が起こり、茨城県の諸教会も被害を受けました。水海道教会でも改修工事に取り組む予定です。鶴川北教会からも援助を受け、感謝しています。これまで、被害を受けた者として伝えることの難しさを感じてきました。当事者の痛みを受け止めることは難しいことです。いじめやハラスメントもそうですが、体験した人でなければ分からない苦しみの重さがありますし、かけがえのない痛みがあります。茨城は、大きな被害を受けた東北地方と被害を受けていない地域の中間にあります。茨城は早く復興しましたが、まだ未整備の所もあります。放射能の測定が行われている所とそうでない所があります。東北の被災地を訪ねることがありますが、被災地とそこにある教会を覚えて歩んで行きたいと思っています。生きにくさを共にしていきたいと思います。中間にあるということは、両方が見えるということでもあります。ここに茨城の教会の意義があるように思うのです。
◎私が仕えている水海道教会は、今年、創立115周年を迎えます。30名の礼拝出席者がありますが、その内、10名が幼稚園関係者と求道者で、教会員は20名です。その内の多くが80歳以上です。若い人が集まる教会にしなければと言う人もいます。今、小銭をためて会堂を建てようと考えています。補強工事とバリアフリーの工事が始まります。そういう中から聖書の読み方も変化してきたように思います。例えば、マタイ福音書27章50節以下のイエスの十字架の出来事を見ると、人間の思いが雲散霧消し、残りの者の交わりが生まれています。このようなイエスの出来事が私達にも起こると信じています。生きにくさを抱え、生きることの重さを抱えている私達ですが、必ず道はある、生きて行く希望が見えてくると思います。
◎ 今日の御言葉は、弟子達の上に起こる試練を見通していたイエスが弟子達に語られた言葉です。ここには「わたしはあなたのために信仰が無くならないように祈った」とありますが、この「あなたのために」は「あなたがたのために」と言い換えてもいいでしょう。主イエスは、試練を乗り越えて、やがて立ち帰ってくることを見ていた。救いが現実のものとなっていく道筋がイエスには見えていたのです。ここにおいてペトロの息づかいは主イエスに聞こえていたように思います。確かに、あの3・11から3年が経ち、ボランティアにも疲れが見えてきましたし、牧師の疲れも見えます。しかし、十字架を前にして主イエスを否定し、挫折したペトロは、ヨハネ福音書20章によれば、復活の主イエスに出会い、「わたしの羊を飼いなさい」という命令を受け、伝道へと歩んで行きました。十字架と復活を経て、歩み出したのです。
◎ そのようにして教会もまた主イエスに養われていきます。わたしは、1987年から1990年まで鶴川北教会で養われました。鶴川北教会の10周年記念誌には「たえざる小さな出エジプト」というタイトルが付けられていたと思いますが、わたし自身の歩みを振り返ると「たえざる小さな十字架と復活の出来事の歩み」と言えます。主の十字架なしには再生・復活はありませんでした。私達は、主イエスの愛に保たれて歩むことが許されていると言っていいのではないでしょうか。これが教会の姿だと言っていいでしょう。
教会の基礎・基本はここにあります。教会とは、主イエスの十字架と復活の出来事に基礎を置いています。
私達はここに基礎・基本を置きながら、さらに前に向かって歩んで行きたい。そう思うのです。