東日本大震災から10年の年月を経た。その間、被災地域復興のために、大勢の技術者、専門家が動き、労し、重荷を担った。ある地域に携わったベテランの土木技術者が、「復興」について、次のように心情を吐露している。「土木の真剣勝負は現場である。土木現場は大学では学べない。予測不能な事態の連続で、それを乗り切る知恵と度量は、経験でしか得られない。ところが、3.11災害は過去の災害と異なっていた。災害現場はガレキだけの原野となっていた。ここまでは過去の災害現場と同じだ。しかし、そこに立つ自分たちの脳裏には、テレビ中継で見た巨大津波の映像が生々しく存在していた。その点が、過去の災害現場と大きく異なっていた。地域のコミュニティーを徹底的に破壊した巨大津波を脳裏に抱えたまま、地域の復興の方針を決めなければならない。
数回、被災地に足を運んだ。しかし、あの巨大津波を制する復旧と復興の方針は頭に浮かんでこなかった。被災地で何人からか意見を求められたが、答えられなかった。沈黙せざるを得なかった」(竹村 公太郎『文明とインフラ・ストラクチャー』2015年)。大きなカタストロフを目の当たりにし、そこから復興への取り組みを担い、歩み出そうとする者の「沈黙」は、何とも重い。しかし、インフラの復興なしには、そこに住む人々の生活の再建、心の復興も覚束ないのである。
捕囚から解放された後のユダヤもまた、すぐに復興への歩みを闊歩した訳ではない。復興を先導した人物、セシバザル、ゼルバベルら神殿の再建に取り組んだ総督はじめ、数多の預言者、祭司たちの働きによって、国としてのユダヤの復興は、遅々としてではあるが、一歩ずつ進んで行った。祭司エズラがバビロンから祖国に帰還し、ユダヤ国家再建に尽力した後、10年程して、祭司ネヘミヤもまた、祖国ユダヤに帰還する。
彼は、アケメネス朝ペルシャの王であるアルタクセルクセス1世(在位465-424BC)の「献酌官(侍従長、秘書頭)」という名誉ある地位に就いていた。しかし、ある日エルサレムから尋ねて来た親戚の話に心を痛める。「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」(ネヘミヤ1:3)。この言葉に心動かされて、紀元前445年、ネヘミヤはエルサレムに赴く決意を固め、王の許可を取り付け、また多くの便宜をはかってもらい、総督として祖国に向かった次第である。
彼の担った課題は、エルサレム市街の城壁の再建である。古代地中沿岸諸国では、人々の居住都市の周囲に、城壁を巡らせるのが常であった。都市に城壁のような「囲郭」を設ける理由として、その都市の独立性誇示、また住民生活の自然的(水害・飛砂など)、社会的(戦争・盗賊など)保全、さらに入市者への徴税などが挙げられるが、それらの理由は地域によって、あるいは時代によって、必ずしも一様ではないとされる。私たちは城壁というとすぐに、外部からの不法侵入者を防止し、外敵の侵入を阻み、治安維持に資する、と発想する。確かにソロモンの造営したエルサレム神殿は、他の地域に比べて、非常に大きな規模を有しており、イスラエルの信仰者だけでなく、物見遊山のために神殿を訪れる外国人も多くあった。それゆえに、町の住民だけでなく不特定多数の人々が、始終往来する、という事情を抱えていた。やはり治安維持に神経を使ったことは、言うまでもない。
パレスチナ地域にある、古代都市遺構の考古学的発掘作業の結果、興味深い事実が浮かび上がって来ている。都市を囲む城壁が破壊された遺構において、外部からの武力攻撃による破壊よりも、内部からの破壊の跡を留める遺構が、数多く発掘されたというのである。すると城壁は、外からの敵ではなく、内側に住む住民が、何らかの理由で城壁を壊し、外部に逃亡したという事実が伺える。即ち、都市の住民は、城壁によって外と隔絶した環境に置かれることになる。城壁は、住民を内部に留め置くための装置であり、都市の支配者に対して、納税を始めとする一定の義務を負うが、法の保護を受け、生命の安全を保障されるのである。ところが、都市に対しての「安心、安全」という希望が裏切られた時には、内側から壁は壊されるのである。
戦後、廃墟のまま長くに打ち捨てられたエルサレムは、その城壁再建に際して、周辺の住民から強い反発を被ることになる。ネヘミヤの再建事業を邪魔し、ついには阻止しようとするさまざまな圧力をも、呼び覚ますのである。ネヘミヤはその圧力に巧みに対抗したことが、今日の聖書個所には伝えられている。
城壁を再建され、きちんと整備されることは、エルサレムという町やそこに住む者にとって、真に復興が果たされたという象徴のようなものであった。「割れ窓理論」という考え方があるが、建物の窓などが、幾つか割れていると、それをきっかけに、さらに多くの窓が割られ、やがて建物がひどく損傷させられることになる。一部の荒廃が、さらに全体を荒廃させていくことにつながるのである。人間の心理として、自分の住む周辺の地域の環境の破壊が、自らの心の崩壊、荒廃を呼び込むのである。
何より、バビロニアの侵攻によって破壊された市街地は、そのまま打ち捨てられて、「野獣の住む所となり、異邦人から、嘲られるところとなった」という旧約の言葉は、祖国に対する人々の心情を端的に表現したものであろう。祖国の再建は、そこに住む者の心の再建を抜きには、なされないものなのである。そして心の再建とは、そこでの暮らしにおける「安全、安心」の復興なのである。前述した竹村氏は、被災現場を訪れ、そこに生きる人々にふれあって、こう感じたという「被災者たちの思いは、はっきりしていた。それは、安全な地域の生活再建である。その安全な地域の再建は、地域の歴史と文化と自然の再建とともにあって欲しい」。しかしこの課題は、単に破壊されたインフラを再建し、再整備すればことが済む、という問題ではないだろう。今日の個所でネヘミヤは、52日間にわたる城壁に再建について、次のような感慨を記している。15節以下「城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。わたしたちのすべての敵がそれを聞くに及んで、わたしたちの周囲にいる諸国の民も皆、恐れを抱き、自らの目に大いに面目を失った。わたしたちの神の助けによってこの工事がなされたのだということを悟ったからである」。やはり神の助けなしには、まことの復興はなされえない、ということなのである。