「聞いて、立ち返る」エレミヤ書36章1~10節

12月を迎えた。メール全盛の世の中だが、やはり師走に入ると、そろそろ年賀状の算段なども、頭をよぎるようになる。

直木賞作家、向田邦子氏の作品に『字のないはがき』という随筆がある。幼い頃の家族の様子を伝える作品である。「死んだ父は筆まめな人であった。私が女学校一年で初めて親元を離れたときも、三日にあげず手紙をよこした。当時保険会社の支店長をしていたが、一点一画もおろそかにしない大ぶりの筆で、『向田邦子殿』と書かれた表書きを初めて見たときは、ひどくびっくりした。暴君ではあったが、反面照れ性でもあった父」。戦前の父親のならいとして、「おい、邦子!」と呼び捨てにされ、「ばかやろう!」の罵声やげんこつは日常のことであった。ふんどし一つで家中を歩き回り、大酒を飲み、かんしゃくを起こして母や子供たちに手を上げる父の姿。「最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が『文面』を書いた、あの葉書ということになろう」と作家は語る。

1945年の夏に妹が学童疎開をすることになった。一人で甲府に行く妹に父は自分宛の葉書を大量に渡し、「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい。」と言う。字の書けない妹は、はがきに大きな丸を描き家族に近況を伝える。はがきはよく送られてきた。最初の頃は威勢のいい丸を描いていたが、どんどん小さくなり、ついにバツに変わった。妹は心細さ、家族に会えない寂しさを伝えたかったのだろう。やがて葉書さえ来なくなった。三月目に母が迎えに行くと、妹はしらみだらけの頭で、病気で寝かされている。それで母は妹を連れて帰ることになった。「夜遅く、出窓で見張っていた弟が、『帰ってきたよ!』と叫んだ。茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」。葉書だからこそ伝わる心情がある。

今日の礼拝ではエレミヤ書を取り上げる。現在、私たちが目で見て読むことの出来る聖書のみ言葉が、どのように文字という形になり、今に伝えられてきたのか、その背後のドラマを知ることができる貴重なテキストである。とりわけ預言者は、神の啓示を受けて、霊に満たされて神の言葉を自由に語る人たち、それは「酒に酔った人のよう」とも評される、だったから、普通なら、預言というものは、語られたその時限りで消えてしまうはずの言葉である。それが時代を超えて受け継がれたのは、どういう事情なのか。

2節「巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい」と神は預言者に命じる。言葉を文字に書き記すことは、神からの命令なのである。それで4節「エレミヤはネリヤの子バルクを呼び寄せた。バルクはエレミヤの口述に従って、主が語られた言葉をすべて巻物に書き記した」。長い間、文字を書く、記録を取って保存する、という作業は、普通の人々のできることではなく、特別の技能を習得した専門家の仕事であった。彼らの多くは宮廷や神殿に奉職し、さまざまな公文書の記録、保存という作業に従事した。他方、民間では、代書屋のような仕事にも手を染め、字の書けない人々の代わりに、手紙や文書を記したのである。当時の古文書は、時代の慣例に則って行数、文字数が整った書式で記されている。コンピュータのワード文書のような体裁である。

預言者の言葉もそのように専属の書記が居て、彼らが預言の言葉を記し、保存したのである。エレミヤにはバルクという右腕がいたようである。5節以下にこう記されている「エレミヤはバルクに命じた。『わたしは主の神殿に入ることを禁じられている。お前は断食の日に行って、わたしが口述したとおりに書き記したこの巻物から主の言葉を読み、神殿に集まった人々に聞かせなさい。また、ユダの町々から上って来るすべての人々にも読み聞かせなさい』」。エレミヤは、神殿にいわゆる「出禁」にされているのである。

ひどいクレーマーや迷惑をかけるお客が、店から「出禁」にされる、という話を時に耳にすることがある。主イエスもおそらくは神殿を「出禁」にされたと思われる。何せ、あれほど派手に、神殿の前庭で、立ち振る舞いをしたのだから。おそらくそれが十字架を決定づけた。しかし、そもそも神殿は、「すべての人(ユダヤ人も異邦人も)の祈りの家」のはずである。それがどうしてこの預言者は拒絶されたのか。エレミヤ活動の時代、ユダの国は隣国バビロニアからの圧迫や脅威を受けていた。エレミヤは平和のために自らの命の危険を冒してまで王に進言した。預言者は戦争が起こることを案じて、そうなれば祖国の滅亡は免れないことを危惧していた。しかし、人々は楽観的で、「我々には主の神殿があるから、そんな不幸は起こるはずがない、いざとなったら神風が吹く」と誰もが安穏としていた。だから国に対して都合の悪いことばかりを語り、縁起の悪いことばかりを語る預言者は、当然、排斥されることとなる。仮にもエレミヤは、預言者である。口から出された言葉が、現実になってはかなわない、という訳である。8節「そこで、ネリヤの子バルクは、預言者エレミヤが命じたとおり、巻物に記された主の言葉を主の神殿で読んだ」。

このバルクが記した預言者の言葉は、宮廷の役人たちに衝撃を与え、巻物にされて王の下にも届けられた。王は役人に命じて、その言葉を読み上げさせたという。それを聞いた王の反応はどうだったか。22節「王は宮殿の冬の家にいた。時は九月で暖炉の火は王の前で赤々と燃えていた。ユディが三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった」。文字となった神の言葉を細かく切り裂いて(シュレッダーにかけるように、そうすればもう読むことは出来ない!)、火に燃やしてしかったという。今も昔も、人間の発想は同じである。「書類など存在しない」、つまり証拠(エビデンス)がなければ、どうにでもなる。

神の言葉を燃やした王の所業に対して、さらに神はエレミヤに告げられる。22節「改めて、別の巻物を取れ。ユダの王ヨヤキムが燃やした初めの巻物に記されていたすべての言葉を、元どおりに書き記せ」。コピーを作って対抗し、み言葉を伝え続けよ、というのである。そしてコピーされる度に、エレミヤの言葉がさらに加えられて、豊かなものとなって行ったというのである。諸々の預言者の言葉が、今に伝えられている背景には、同じような事情が反映しているのであろう。真の預言者のことばを、不都合に思い、燃やし尽くし消し去ってしまおうとする勢力に、このように預言者は対したのである。

しかしそのように、不吉な、禍の預言の言葉を人々に伝えることを神は殊更に求めたのか。8節「この民に向かって告げられた主の怒りと憤りが大きいことを知って、人々が主に憐れみを乞い、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。」「立ち返る」、「方向転換」、即ち人々の悔い改めを求めて、神はみ言葉を告げられるのである。燃やされても燃やされても、神の言葉は、繰り返し語り続けられるのである。そこに神の慈しみが現われている。

今日の聖日は、クランツに二本目のローソクが点される。二本目は「平和」のローソクと呼ばれている。メシア、救い主は、「平和の君」だからである。飼い葉桶の幼な子、十字架の主は、そのご生涯のすべてを通して、私たちに平和の福音を繰り返し示してくださった。

こういう文章を命にした。『♪へいわって、なんだろう』。息子が広島の保育園に通っていた頃、よく口にしていた歌だ。聞くたびに「そうだね、なんだろうね」と心の中でつぶやいていた。爆心地近くの園だけあってか、折り鶴を折ったり、原爆や戦争の絵本を読み聞かせたりする平和学習が行われていた。しかし、相手は3歳から6歳までの幼児である。いったいどうやって「平和」を教えているのか先生に尋ねてみると、みんなで仲良く暮らしたり命を大切にしたりすることが「平和」なのだと話しているとのことだった。

保育園では、「穏やかにやわらぐ」と「戦争がない状態」という、「平和」の二つの意味を共に学んでいるが、どちらかというと前者に重きを置いている。「平和な心」や「平和な暮らし」であれば、幼くてもつかむことができるからだろう。そのうえで、戦争で命や家族を奪われた子どもの話をすると、「戦争」や「原爆」は「平和」を壊すものだと、子どもたちにも伝わる。こうして、それが何であるかは理解できなくとも、戦争や原爆は嫌だという気持ちが、子どもの心に芽生えるのだろう。(直野章子「平和主義の実践 子どもにどう教えれば」)。

書記バルクの記したエレミヤの預言は、無残にも切り刻まれて火に投げ込まれた。しかし神は「もう一度書き記し、人々に語れ」と言われる。神の言葉を火に投げ込み、闇に葬ろうとしても、神は、繰り返し平和の福音を告げられる。主イエスは十字架上で息絶えられたが、死人の内より甦られた。「神の言葉は永遠に立つ」(イザヤ書40章8節)。