「小寒」、「大寒」と呼びならわされる厳寒の季節を迎えた。この新年の寒い時期に、私の生まれ育った故郷では、あちらの町、こちらの町で代わる代わるに「だるま市」が開かれる。新年の風物詩であるが、皆さんもどこかで、紙でできた赤い色のだるまをご覧になったことがあるだろう。一つ目玉を入れ、願をかけ、それが叶えばもう一つの目玉を描く。
群馬県の地方紙に、こういう記事があった。古くから日本では赤色が邪気を払うと考えられてきた。江戸時代には死に至る病とされた天然痘が流行し、赤の濃淡で人や動物を描いた「疱瘡(ほうそう)絵」が魔よけの護符として使われるようになる。この時、だるまも同じ理由で広まったらしい。農閑期のだるま作りが現在の高崎市豊岡地区で始まるのも同じころ。疫病の流行とともに歴史が始まったことになるが、願掛けの縁起物として知られるのは絹産業が盛んになる明治時代になってのことだ。繭を作るまでに4回脱皮する蚕が古い殻を破って動きだすさまは「起きる」と呼ばれていた。これにかけて「七転び八起き」のだるまは特に養蚕農家の守り神として喜ばれ、暮らしの中に入っていく。上州の歴史風土とは深く結びついていた(1月9日付「三山春秋」)。
「だるま」が「養蚕」と深くつながっていたことは、寡聞にして知らなかった。蚕が繭を作って蛾となるまで、4回脱皮する、「古い殻を破って動き出すさまは。『起きる』と呼ばれていた」。冬の最も寒い時期に、すべてのものが眠りについたように見える中で、すでに新しい命が育まれ、殻を破って外に飛び出して来ようとしている、そのような生命への深い洞察がそこにはある。「だるま」は、そういう農民の素朴な希望を、見える形に造作したものであろう。
さて今日の聖書の個所は、主イエスが神の国の宣教を、今や始めようか、という時の次第を記している。「時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」。「福音」とは「喜びの音信」と言い換えられる。「音が聴こえる」、神の国が私たちの生きているところ、日常のすぐそばにやって来ている、その「音」を聴きなさい、というのである。先の新聞記事ではないが、「蚕が4回脱皮し、古い殻を破って動き出す」、その音を昔の農民は聴いて、喜び、希望を育んだのである。神の国の訪れは、「音」でそれと知れる、皆さんはどこにその音を聴くか、どこでその音を聴くのか、どのようにして聴くだろうか。
主イエスは、宣教の始まりに何をされたか。16節「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。ガリラヤ湖の漁師の兄弟、シモンとアンデレに声を掛けられた。呼びかけられた、というのである。これは簡単に言えば、「仲間を募った、同労者を立てた」ということである。「一緒にやらないか」。
おそらく主イエスひとりでも、神の国の宣教は可能だったろう。もしかしたらひとりで活動した方が、手っ取り早かったかもしれない。そのくらいの力量はお持ちである。確かに非凡な能力を持つ人は、自分一人で道を切り開くものである。「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」、昨年ノーベル物理学賞に選ばれた真鍋淑郎氏(90)の受賞決定直後の記者会見での発言を思い起こす。しかし主イエスは、共に食事をし、共に語り合い、共に歩み、苦労を共にする仲間、弟子たちを求めて、彼らを招かれた。宣教開始の、最初に記されているこの主の振る舞いは、実は人間にとっての一番の課題が語られていると言えるだろう。
こんな言葉がある「皆と共にいることが好きな人は、『ひとり』を学びなさい。またひとりが好きな人は、『ともに』を学びなさい」。「ともに」と「ひとり」、人間が生きる上で、この2つを2つながら、どちらも損なわずに、どちらも犠牲にせずに、バランスよく保つのは、かなり面倒で厄介な問題である。主イエスは、弟子たちと共に歩み(あえて言えば、師を理解できず、余計な所でしゃしゃり出て、余計なことを言い、足手まといになることも多かった人たちである。だからこそ私たちもまた、主の後について行くことができると言える)、しかし時に、主イエスは、ひとり寂しいところに行って、(皆から隠れたところで)祈られたという。「ともに」を知る人は「ひとり」を知り、「ひとり」を知る人が、真に「ともに」の意味と価値を知るのだろう。「ともに」と「ひとり」は繋がっている。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」、この主の呼びかけも興味深い。シモンとアンデレはガリラヤ湖の漁師である。その彼らに「人間をとる漁師にしよう」というのである。どこまでいっても彼らは「漁師」なのだ。主の弟子になっても、キリスト者になっても、私たちには変わらないものがある。洗礼を受けたら、外見が聖人のように、栄光に光り輝く、ということはない。頭脳や性格がまったく変わってしまい、別人になってしまった、等と言うことはない。相変わらずの凡人であり、怠け者であり、頑固者であり、罪人なのである。「漁師」であることに変わりはない。「網を捨てて従った」と記されるが、シモンは実家を捨てていない。この後、熱病で苦しむ姑を癒して欲しいと、主に願い、自宅にお連れしている。彼らはまったく自分の家や家族を捨てて、弟子になったのではないようだ。時々は家に帰り、家業を手伝い、そして同時に主の弟子として宣教の手伝いをしていたということなのだろう。実際、十二人だけが主に従ったのではない。かなりの数の人々が、主イエスを師と仰ぎ、その活動に共鳴し、参与し、手伝い、協力していたのである。
しかし「漁師」は漁師でも、主の呼びかけられた彼らは、主イエスの下で「人間をとる漁師」、魚ではなく人間と向かい合い、人間を相手にする漁師と変わるのである。主イエスに呼びかけられ。主イエスに従うとはこういう「変わる」と言うことが起こるものだ。それまでは「魚」しか眼中になかった者が、魚ではなく「人間」に目を向けるようになる。「わたしについて来なさい」、すべてこの主の呼びかけから始まる、今も私たちの人生に、「網を捨てる」ことが起こるのである。
新年にこういう文章を目にした。新しい年にふさわしい言葉である。
「私の人生は10年ごとにターニングポイントが訪れる。今年がその新しいチャレンジの年。これまでの私以上の力を発揮する年になるだろう。ワクワク、ドキドキが止まらない。10年ごとのターニングポイントの際には必ず大きな課題に向き合うことになる。今までに経験したことのない課題だ。考え、悩み、行動する。失敗もあるし、誰かを傷つけることも、自分が傷つくこともある。不安や恐怖が心を占領する」。それでもなお、この方は一歩踏み出すというのである。なぜか、さらにこう記されている。
「私のこれまでの人生は、切り開くというよりも、導かれてきたような気がします。私が20代のころに描いていた人生のビジョンは今とは全く違っていますし、なぜ私が今の立場に立っているのかもよくわかりませんが、こうなると決まっていて、導かれて今日があると感じます。そして、これまでの喜びも、悲しみも、失敗も、成長もすべて必然だったと感じています。誰が、何が導いているのかわかりませんが、私が今、立っているこの場所は、居心地は悪くありません。徐々に居心地が良くなっているように感じます。今の場所から、10年前、5年前、2年前を振り返ると、確実に自分自身が成長している事を実感しています(友寄利津子、NPO法人 ライフサポートてだこ代表)」。
「切り開く、というよりも導かれた」と言われる。弟子たちも自分から名乗りを上げて、主に従った人はいない。自分の決意や信念から、主に従うことの出来る人はいないだろう、
なぜならイエスは十字架の主であり、その道はついに十字架へと向かうことになる。その後に従うことは、自らの十字架を負うことになるからである。それは決して人とは比べられない、その軽重も、大小も、皆異なる自分だけの十字架を担うことになる。その歩みは、「人間をとる漁師」の道である。「なぜ私が今の立場に立っているのかもよくわかりませんが、こうなると決まっていて、導かれて今日があると感じます。そして、これまでの喜びも、悲しみも、失敗も、成長もすべて必然だったと感じています。誰が、何が導いているのかわかりませんが、私が今、立っているこの場所は、居心地は悪くありません」。そういう歩みこそ、神の幸いの道ではないか。