とある老人ホームの敬老のお祝い会で、高齢者を代表して99歳の方が挨拶された。「100年近く生きて来て、いろいろなことがありましたが、『楽しかった』というのが一番の思いです」。「生きることは『楽しい』」、これは、後に続く者たちへの最も大きな励ましであり、慰めであることを感じさせられた。一世紀近い人生の歩みは、順風満帆で楽な出来事ばかりで成り立っていた訳では決してないだろう。その世代の方なら、先の戦争で生命の危機を経験されただろうし。戦後のこの国の復興期には、額に汗して、懸命に働かれたことだろうと思う。さらに病気やケガ、老齢による身体の不自由さをも、無縁ではなかったはずである。そういう人生で起こって来たこと全てをひっくるめて、「楽しい」と言えることは、生きる意味や喜びを、真に受け止めているからこそなのだと思わされた次第である。「人生は決して楽(らく)ではないが、楽しい」というところか。
さて今日の聖書個所、ヨハネの手紙一は、いろいろな意味で議論となる書物だが、とりわけ3章は、著者らしさがよく表れている個所だと言える。12弟子ひとりであるヨハネは、他の使徒たちが迫害によって殉教してゆく中、高齢で天寿を全うした人物であると伝えられている。「彼は死ぬことはない」とまで噂されたが、それは非常に高齢になるまで生きながらえたからだとも思われる。長老として、天に召されるまで教会に仕え、講壇に立ち続けたという。最晩年には、もはや自分の力で登壇することができず、左右から若い人に抱き抱えられるようにして、人々に語りかけたという。
この使徒が記したとされる福音書によれば、主イエスは十字架上で亡くなる時に、足元に佇む母マリアとかの弟子に遺言をされた。母マリアに向かっては「ヨハネはあなたの子」、そしてヨハネには「これはあなたの母」。この言葉によって、ヨハネは、母マリアを引き取り、エフェソの地で終生、彼女の世話をし、介護したという。エフェソにはマリアが晩年過ごしたとされる家があったという。この話が本当なら、史上初めての介護サーヴィス事業の始まりということもできる。殉教せず、天寿を全うしたことについての、背後の物語をも伺い知れる逸話であろう。
今日の聖書個所は、11節以下に語られる事柄、ヨハネがこの手紙で人々に最も語りたい教えの導入として記されている。「兄弟よ、互いに愛し合おう」この言葉が二度、パラグラフの前後に繰り返されている。ヨハネと言えば、このみ言葉に尽きると言っても言い過ぎではない。最晩年の彼の礼拝説教は、ただこの言葉を繰り返すのみだったとも言われている。「兄弟姉妹よ、わたしたちは互いに愛し合おうではないか」。
4節に「罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです」と語られ、「罪」と「法」についての議論がなされている。現代で「法」とは、この国の『六法全書』のように、法律の条文が記された「法律書」が連想される。ところが古代においては、「法」は、石板や石柱に刻まれた「碑文」のような体裁をしていたのである。例えば、古代のまとまった法典として有名な「ハンムラビ法典」は、紀元前1792年から1750年の間、メソポタミア文明最盛期にバビロニアを統治したハンムラビ王が発布したことで知られているが、アッカド語によって楔形文字で記され、高さは2m25cm、周囲は上部が1m65cm、下部が1m90cmの玄武岩製の石柱に刻まれている。この石柱は元々、バビロニア帝国の四隅に建立され、これによってこの地がハンムラビ王の統治下にあることを、公に宣言する意味合いを持っていたと考えられている。
つまり、古代の「法」とは、国民にその法の条文を守らせ、忠誠を誓わせ、内政の秩序を保つためというよりも、外側の世界に向かって、主権が誰にあり、その勢力範囲がどこまでに及ぶのかを公に宣言し、告知するためのものだったのである。だからその法の内側に住む者には、その法に則った保護が与えられるが(もちろん、義務も課せられる)、その外側は、もはやその法の支配の及ばない異世界であることの境界を示す道標なのである。だから「罪」とは、諸々の法の条文を守らないことではなくて、その法の埒外に出てしまうことを意味する。「アウトロー」とは一般に「無法者」という意味だが、古代では法の支配する範囲の外に出てしまった者という意味で、いわゆる「犯罪者」を指すのではない。
ヨハネの手紙で語られる「法」もまた同様な理解のもとに主張されていると言えるだろう。6節「御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません」、と語り、とりわけ「御子の内にいる」という文言は、極めてよく古代の法律観を示している。即ち、信仰者はキリストの勢力範囲の内側におり、その御手に絶えず守られている者たちなのである。「法を守る」というと、私たちはすぐに、その法律の条文に違反しないで生きることと考えるが、主イエスの恵みの内に生かされることを意味しているのである。実際、現代に生きる私たちも、この国の法律の集大成である「六法全書」のすべての条文を、一つひとつ意識しながら、その規定に抵触しないかきゅうきゅうとしながら、自らを吟味、点検しながら生きている訳ではあるまい。余程のことがなければ、法律などほとんど意識しないで毎日の生活を続けているではないか。しかしそれこそが、法の内側で生きることに他ならないのである。
ヨハネはキリスト者の生き方の原点を、次のように示している。1節「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」。神が私たちひとり一人の人間を、ひとり子イエスの如くに、実の子どもとして呼んで下さり、愛してくださっているというのである。因みに「呼ぶ」とは「養育する」という宣言を表す言葉でもある。この愛を思い、そのあたたかさの内側で生きることが、ヨハネの言う「正しい生活」であり「罪を犯さない」という生き方なのである。
第一次世界大戦下のクリスマスに、英軍、ドイツ軍の間に生じた一時的な休戦は、命令や指示ではなく、複数の戦闘地において双方の部隊の間で自然に発生したと伝えられている。戦場では有名なあの歌が、一時休戦を導く役割を果たしたそうだ。1914年のクリスマス・イヴの日、ドイツ兵の一人が前線の近くにやって来て「きよしこの夜」を歌った。最初はドイツ語、次に英語で。これに促され両軍の兵が「きよしこの夜」を歌い始めた。こうして撃ち合いは終わり、双方の軍は無人地帯へ退いたのだという。この出来事が起こされたのは、御子の誕生を通しての、実に神の愛ではなかったか。