祈祷会・聖書の学び サムエル記下6章1~19節

皆さんは「芝居」や「演劇」がお好きだろうか。学生時代、関西に住むようになって、「演芸場」に初めて足を踏み入れたところ、漫才や落語が一区切りついた後に、引き続いて「喜劇」が上演されたので、びっくりさせられた。ひとつの舞台で「笑いの集大成」が提供されるという上方の笑いに対する「貪欲さ」に感心する思いであった。

「演劇」の魅力は、舞台と観客の一体感にこそあるだろう。演じる役者は、「劇」と一体になってドラマを創り上げるばかりでなく、客席に座る観客も、ただ舞台を見て、見物しているだけではなく、見ている「劇」と自分を一体化させて、まるで舞台に演技するドラマのひとりのように感じるからではないだろうか。もちろん舞台は、自分の生きる現実ではなく、架空の時空の場ではあるのだが、それが「劇」の最中では、現実以上にリアルなものとなるところに、「演劇」の力があるのかもしれない。

最近、「劇場型政治」とか「劇場型犯罪」とか、「劇場云々」という造語をよく耳にする。例えば「劇場型政治」とは、こんな風に説明される。「単純明快なキャッチフレーズを打ち出し、マスメディアを通じて広く大衆に支持を訴える、ポピュリズム的政治手法。敵対勢力を悪役に見立て、自分は庶民の味方として戦いを挑むといった構図を作り上げ、国民の関心を引きつける」。最近の各国の政治的な傾向として、善悪や黒白を明確に区分して、論点を極めて単純化し、世論を一定の方向に誘導しようとする手法が、よく用いられているようだ。そこで画策されているのは、舞台と観客席の一体化であり、共感を呼び覚まそうとすることである。いくら高尚で高邁な議論でも、それが多くの人々と共有されなければ、勢力にならないと考えるからである。但し、そこにファシズムへの落とし穴があることも歴史が証しするもう一つの側面であるが。

サムエル記下は、主にダビデが全イスラエルの王となり、王位がその子ソロモンに継承されていく経緯を描く物語、後の歴史家が名付けるところの『ダビデ王位継承史』がその中核となっている。歴史上の王家というものは、ほぼ「お家騒動」と無縁なものはなく、ダビデ王家もまた例外なく、王子たちのすったもんだの継承争いの顛末が語られる。

5章において、イスラエルのユダ族の長、(12部族の中でユダ族は、パレスチナの南を制する有力な地位を保っていた)、であったダビデが、他の11部族の長老たちからの要請を受けて全イスラエルの王として、油を注がれ(メシア)る。さらに、長らく敵対関係にあったペリシテ人を掃討し、これまでの失地回復を得たのである。すると残るは、自らの政治機構の構築が大きな課題となるが、その初めに行った事業が、実にダビデらしいパフォーマンスに富むものであった。何よりも今でいう「劇場型」の催しを大きく展開したのである。

その中心は、人々の心を集約させる目に見える事物として、「契約の櫃」をエルサレムの都にかき上り、安置することであった。財政規模の脆弱さ、世論形成の弱さによって、神殿建立は後に委ねねばならない、そのための経過措置として「契約の櫃」を据えようというのである。ところが「聖なる遺物」は取り扱いが要注意であり、禍幸両方の威力を発揮するので、かつて戦利品として収奪した敵方も、思いがけず厄介な目にあい、これを放棄する。この曰く因縁の品を無事に手元に安置できれば、その影響力は絶大である。但し、運搬の最中に突発事故が起こり、ウザが亡くなるという不幸な出来事があったが、これもまた「櫃」に聖性を高める縁となったろう。

ダビデはこの時、櫃の前で、祭司の着るエポデ(祭服)を着て、力の限り踊ったという。これは平祭司の行う儀礼行為だったろうが、この振る舞いによって、ダビデと民衆の距離感は、一層のこと縮まったことであろう。さらに「祭服」を着用し、犠牲を奉げる行為を為すことは、「王」が「祭司」であることの両義性を示そうとするものである。イスラエルは基本的には、王の治める国ではなく、神自らの支配する国であり、祭司がこれをコーディネートすることを、新しい王は公に演出したのである。

さらにこの催しに集った全会衆に、ダビデはこのように遇したという。「ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った」。催しの終わりに際し、お家へのお土産を持たせて、すべての人々を帰らせたという。ダビデの祭典を見た人々は、どのような思いで、帰途に着いただろうか。容易に想像できる。

この逸話を通して知れることは、ダビデは、人々の上に立ち、世の政を行うにあたり、市井の人々の共感を得ることこそが、最も肝要であるとの認識を持っていた、ということである。毛色のいいサウル王は、ただ己の力量だけで、政を司ろうとした。しかしダビデは、これまでサウル王の執拗な圧迫にもめげず、何とか走り抜けたのは、人々の支持が後押ししたことが分かっていたし、そもそも前王との確執も、民衆からの共感によってもたらされたものだったのである。一介の羊飼いの末子に過ぎなかったダビデには、民衆の共感と共鳴が、いかに権力への有効な武器となるかを、経験から悟っていたのだろう。

この日、王宮に戻った王に対して、ミカルは皮肉を言う「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」 するとダビデはミカルに言い返す。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」

「民の声は神の声」と言われる。但し、民衆の人気が、そのまま神の「よし」ではないことも、彼は熟知していただろう。だからこそ「主のみ前で」と彼は繰り返し言うのである。彼の振る舞い、パフォーマンスも、人生の舞台の観客席におられる「神」の目を意識してのことであった。イスラエルの人々は、今も昔も、彼の渾身の姿(演技?)に笑い、そして涙した。果たして神の目からは、彼の姿はどのように映ったのであろうか。