クリスマス・イヴ・メッセージ2023 「飼い葉桶の中に」ルカによる福音書2章1~20節

「食欲をそそる香り」というものがある。皆さんにとっては何か。夕暮れ、住宅街のカレー、盛り場の焼鳥、焼肉、うなぎのかば焼き、どれも思わずお腹を鳴らせるいい匂いである。その中に、焼き立てパンの、温かな香ばしい香りも入るだろう。

「ベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み」と福音書は最初のクリスマスの次第を私たちに告げる。「ベツレヘム」という町の名の、言葉の意味は「パンの家」、その由来はよく分からないが、この町には、多くパン屋が立ち並んでいたからか、この町のパンはおいしいと名物となっていたからか。それほど大きな町ではなかった。現在では、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の町として、キリスト生誕の地として知られ、その場所には「聖誕教会」が立てられ、その前庭は「飼い葉桶広場」として、毎年、とりわけクリスマスの時期には多くの信仰者、観光客でごった返す。

ニュースで伝える所によれば「今年のクリスマス行事が中止になった。ガザ地区へのイスラエル軍の侵攻が続き、民間人の犠牲が日々、増え続けているためだ。教会では、祝祭のはずの『キリスト生誕』の再現が、悲しみの展示に様変わりしている」という。映像では「ベツレヘムの教会に飾られている展示物に、ろうそくに火をつける親子の姿が映し出されているが、そこには(爆撃によって破壊されたことの象徴の)積み重なったがれきの上に、幼いキリストの人形が置かれている。最初のクリスマスの出来事の生起したとされる場所で、クリスマスが祝えない、しかも生まれたばかりの幼子を寝かせる寝床は、「飼い葉桶」ですらなく「がれき」なのである。これをどう考えたらよいのか。

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と福音書記者は記している。「泊まる場所」とは、文字通りには「居場所がない」「身の置き所がない」という意味で、著者がこの福音書れ書いた時には、ユダヤの地は戦争のさ中にあり、ローマ帝国の軍事攻撃を受けて、エルサレムを始めとする町々は、激しく破壊され、がれきの山と化していたのである。ユダヤ人にとってはまさに、「居場所」を失った状態にあったのである。マリヤとヨセフは、ローマ当局の命令によって、安心し平安の内に安らげる自分の場所、自宅を離れざるを得なく、旅の途上にある。そして身を置くべき「居場所」を持たないで、流浪しているのである。そういうルカの今の「時」と、あの救い主の誕生の「時」が重ね合わせられて、クリスマスの出来事の生起が綴られているということができるだろう。

他方、最初に福音が伝えられた人々、羊飼いたちに、救い主誕生の音信がもたらされたのも、「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」という夜、闇の中、しかも荒れ野の原の中、だったのである。羊飼いたちは、安心して身も心も手放して寛ぐことのできる自分の場所ではなく、聖家族と同じく、居場所を喪って闇の中を過ごす人々として描かれている。

しかし、そこにこそ神の御使いはやって来て、居場所を喪い、闇の中にひっそりと息をひそめて過ごしている人々のいる所に、み言葉を告げられるのである。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

この教会前の通りは、「イチョウ通り」と名付けられており、毎年秋には、金色に色づいた葉が陽に映えて美しく輝く。並木のイチョウの木の根元には、地域のボランティアの方々によって、それぞれ小さな花壇が作られていて、四季折々、紫陽花、ユリ、野菊等、いろいろな花を咲かせるので、散歩のついでにそれを眺めるのも楽しみのひとつである。その中に、クリスマス・ローズが植えられている花壇があり、花が少ない真冬の時期になると、淡い薄緑色がかった白い花をつけて、道行く人の目を楽しませてくれる。

この花、クリスマス・ローズは、元々、ヨーロッパからトルコ、地中海周辺に自生する「ニゲル」、「オリエンタリス」と呼ばれる植物のことを指し、寒さで花の少ない冬、丁度、クリスマスの時期に白い可憐な花をつけることから、「クリスマスのバラ」と呼ばれるようになったと、ものの本には記されている。可愛らしい花なのだが、根には毒の成分が含まれており、ギリシア語での呼名は、「ヘレイン(殺す)」と「ボーラ(食べ物)の二語からなり、「食べたら死ぬ」という意味なのだとか。

さて、この花にまつわる有名な伝説がある。主イエス・キリストが誕生された夜、天使から救い主の誕生を告げられた羊飼いたちは、ベツレヘムの家畜小屋に誕生のお祝いに駆け付けた。羊飼いたちは、それぞれ飼っていた羊の毛で作った毛布やスウェターを生まれたばかりの赤ちゃんにプレゼントしたという。その羊飼たちのなかに、マデロンという少女がいた。彼女も皆と同じように、赤ん坊の主イエスとその母マリアに、何かプレゼントしたいと思ったのだが、あいにく貧して、何も手に贈り物を用意できなかった。悲しんだ少女は泣き出してしまうのだが、流れた涙が、冬につもった雪の上に落ちると、そこから真っ白な美しい花が咲き出たので、彼女はこの花を摘んで花束にして、マリアとイエスに捧げたというのである。

夜、闇の中、居場所がない人々、そして「飼い葉桶」、これらは一つに繋がっている。どこに救い主は来られるのか、どんなところに誕生されるのか。今年のベツレヘムの聖誕教会には、がれきの上にまどろむ幼児イエスが飾られている。これは私たちの世界の、今の現実であるだろう。しかしそこにも、救い主は誕生されるのである。そして羊飼いの貧しい少女の流した悲しみの涙が、厳寒の雪の上に、真白い花を開かせたように、荒れ野に、がれきに、夜に、闇に、恵みの花を咲かせてくださることに、希望をつなげたい。涙は涙で終わらない、それもまた飼い葉桶の中の幼い主への、祈りとなることを思いたい。