永六輔著『無名人語録』にこのような言葉が載っている「俺、この間、ちょっとしたことで尊敬されちゃってさ、尊敬されるって、疲れるね」、ある職人さんの言葉だとされているが、人物評価というものは、他人から見損なわれても、逆に買いかぶられても、居心地が悪いということだろうか。人間ありのままの自分でいることは、簡単ではないらしい。
『戦国策・楚策一』の故事に、「狐假虎威」(虎の威を借る狐)の話がある。「虎が狐を食おうとした時、狐が『私は百獣の長として天帝から遣わされた者で、私を食うことは天帝に背くことになる。嘘だと思ったら、私の後からついて来い。みんな、私を見て逃げるだろう』、虎はなるほどと思いついて行くと、獣は確かに逃げ出した。虎は、自分を見て獣が逃げたことがわからず、狐の言うとおり、狐を恐れていると思った」。この故事は「自らに権力・権威があるわけでもないのに、他人、特に仕えている者の威光を背景に権勢をふるう者の喩え」とされている。
古来、人が神となる、神に祀られるという「現人神」の思想は、まさにこの「狐假虎威」の具体化とも言えるだろう。私たち人間は、とかくありのままの自分を、それ以上の存在として他に表したい欲望を秘めているのだろう。小さく見られたり、軽んじられたりすると、自分が消え失せてしまいそうで、非常な不安を覚えるからである。根本でそれは、「死」によって、この世のすべてが自分から奪われるという恐怖から来ていると言えるのではないか。だからできるだけ大きく、崇高に自分を装おうとするのである。ところがいかんせん、メッキはたやすく剥げるのである。
今日は「灰の水曜日」で、この日から受難節を迎える。これから日曜日を除く40日の間、主イエスの十字架への歩みを偲び、新たに心に刻む時を守ることになる。代々の教会は、主イエス・キリストを「まことの人にしてまことの神」と告白し、使徒信条を始めとして次のように言い表して来た。「主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架に付けられ、死にて葬られ」。即ち、主イエスは人間のように見えた、とか仮に人間の姿をまとった、というのではなく、まさしくひとりの人間として生まれ、人としてこの世に生き、そして人として死なれた、というのである。そして「まことの人」、それは「十字架のみ苦しみ」において、頂点に達するのである。
今日のみ言葉を記したパウロは、フィリピ書の2章において、おそらく初代教会の礼拝で詠われていただろう讃美歌を引用している。「キリストは、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、かえって己を空しくして人となり、十字架の死に至るまで従順であられた」。神の謙遜としての「まことの人」キリストを語るのである。そしてこのキリストの使徒として立てられたパウロも、これを他人事ではなく、正に自分の生き方に深く関わるものとして理解していたのである。今日のテキストには、それが端的に表明されていると言えるだろう。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のように。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のように。弱い人に対しては、弱い人のようになりました」。この言葉には、神のみ子の自由さゆえの謙遜、謙卑が強く意識され、さらに使徒自身の歩みと重ね合わせられて語られていることがよく分かる。主イエスが、罪人や取税人をはじめとして、すべての人のところに行かれ、食事を共にし、豊かに交わりを持たれ、共に生き歩まれたその有様を想起し、自分もまたその歩みに預かることを願い求めて生きようとする、この使徒の生き方が髣髴とされるのである。
但しここで「ように」と訳されている言葉に留意する必要があろう。「まねをする」「ふりをする」というように、本当はそうではないのに、自分を偽る、という意味にも受けとられかねない表現である。世の中に「嘘も方便」という諺がある。「嘘は罪悪ではあるが、よい結果を得る手段として時には必要であるという」意味だと説明され、「目的は手段を択ばず(正当化する)」ことだとも主張される。この体で、戦争もまた「方便」として、「正義」を目的や口実にして、しばしば発動されて来たのである。
「きれいごとは言っておれない、なりふり構わず、結果を出すのみ」、とばかりこの世の業界のあらゆるところで「嘘も方便」が幅を利かす現実があるだろう。そして「宣教」もまた同じであるとも密かに語られる。元々「方便」という用語は「信心への動機づけ」に源を発するが、その意味は「原語のウパーヤは接近する、到達するという意味の動詞から派生した語で、方法や手段の意。方便は一般に、衆生を導くためのすぐれた教化方法、巧みな手段を意味する(『岩波仏教辞典』第三版)」とされる。ここで「接近・到達」という語義に注目したいのである。
主イエスが、神の国の宣教において取った方策は、まさに「接近・到達」であった。即ち、弟子たちと共に、ガリラヤの村や町、さらにユダヤのさまざまな地域を巡回し、さまざまな階層の人々、不特定多数の人々と出会い、語り、食事を共にし、病を癒されたのである。神殿や聖所の奥に鎮座ましまして、善男善女の参拝を俟つような仕方でなく、自分の方から人々のもとへと足を運び、近づき、関わりを持たれたのである。これはまさに「まことの人」としての自己開示として、人々に理解されたであろう。いずれの福音書も、主イエスを喜怒哀楽の人として、時に飢え渇き疲れ果て、時に感情の高ぶりを押さえることができない有様を、ここかしこに描き出すのである。使徒パウロにとっても、幾度もの宣教旅行の実践は、主イエスの歩みに倣う「接近・到達」であり、それこそが「ように」あろうとする姿勢の内実だと言えるのではないか。「わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません」と使徒は語るが、これは主イエスの地上での生涯の後ろ姿を見て、それを目当てに歩むところから、語られている告白であろう。
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」と使徒は語るが、「福音のゆえに」、「福音と共にあるゆえに」、という言葉は、まさに「生きる喜び」がどこから生み出されるかを端的に示しているであろう。福音、喜びの音信とは、まず、生きて働いて出会って味わうものである。