祈祷会・聖書の学び 使徒言行録2章1~11節

フォーク歌手の本田路津子氏が歌った曲のひとつ『風が運ぶもの』(詞:山上路夫)、「街を歩く時に 風に耳をすませてね/風の中にきっと 私の声がする/夜に眠る時も 窓を叩く風の音/どうぞ聞いて欲しい ささやく声がする」。1971年にシングル・レコードが発売され、爽やかな澄んだ歌声で、人々の心をとらえた歌である。「風」をモティーフにして作られた歌は数多い、それは季節の移り変わりを語り、時期の到来を告げ、人の心に何事かを運び、新たに何かをもたらしてくるからだろう。

小さい時に、夜になると風向きによって、遠くの列車の走行音の響き、小学校のチャイムの音が、風に乗って強く弱くうねるように聴こえて来て、不思議に感じたものである。あるいは夕餉時には、家々の台所や町の食堂で調理するおいしそうな食べ物の匂い、パン屋の焼き立てのパンの匂いが、風に乗って漂ってきて、思わずお腹が鳴るという事態も生じる。また、遠くに去って久しい知己の消息が、思いがけず、思わぬところから伝えられるのも、「風の便り」という物言いに、妙にリアルさを感じさせられる。

聖書の世界の中心、パレスチナの気候風土は、概ね乾燥地帯であり、岩山の砂漠が広がる風景が日常的である。そこでは夕暮れ時、風向きによって遠くで話す誰か他人の声が、すぐ耳元で聴こえるような不思議な現象が生じるという。あるいは激しい嵐は、神の言葉を告げる「御使い(天使)」の役割を果たす、とも考えられている。因みに、聖書の神の名は、「YHWH(ヤーウェ)」というアルファベットで表記されるが、これは出エジプト記3章14節、ホレブの山でモーセに顕現された神が、自らを「エフィエ アシェル エフィエ(わたしはある、わたしはある)」と表明されたことによる。この名前の「音」は、一説に、荒れ野を吹きすさぶ「びゅうびゅう」鳴る風の音を象徴しているとも言われている。神は、風の中、嵐の中にみ言葉を告げられる方なのである。そしてペンテコステに始まる教会の歩み、さらに宣教の次第に、「風」が深く関与していることを、使徒言行録は描くのである。

1節「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。教会の誕生は「風」から始まったことを、ルカは告げている。時は「五旬節」“ペンテコステ”とはギリシャ語で「50日目」を意味しており、ユダヤ教の三大祭の一つであった。春分に祝われる「過越祭」は出エジプトと関連付けられ、それから「50日目」は、シナイ山での十戒・律法授与を記念する日とされ、祝われることとなったが、「過越」、「五旬節」どちらも元来は、古代オリエント世界にあまねく祝われていた農耕に起源を持つ祭であったと考えられている。

時は初夏、田畑に小麦が黄金色に実り、その収穫を喜び祝う中に、教会の誕生の出来事が起きるのである。「初夏」と聞いて、皆さんはどんな心象風景を思い起すだろうか。この国では「目には青葉 山ほととぎす 初ガツオ」という塩梅に、季節の風景を旬の事物に託して詠ったが、聖書の世界では、やはり「風」がこの季節の風物の最たるものではないか。冬に砂漠を冷たく吹きさらす寒風、また夏の灼熱の砂漠を渡る熱風、とは裏腹に、色づいた麦畑を渡る爽やかな風こそが、ペンテコステの季節を物語るいちばんの風物詩であろう。時に、それは突風となって実った麦の穂の間、人と人との間、すべての間を吹きわたり、訪れて来るのである。主イエスの弟子たちにとって、教会誕生の出来事は、まさに自分たちの間に風が吹き渡るような経験であったに違いない。主イエスが十字架につけられて、亡くなられ、墓に葬られた後、怖れに満ちてひっそりと扉に堅く鍵をかけて部屋に籠っていた弟子たちである。その閉ざされた扉が開かれて、初夏の爽やかな風が吹き込まれたというのである。

創世記2章7節以下に、「アダムの創造」について記されている。「主なる神は土の塵で人を形づくり、いのちの息(風)をその鼻に吹き入れられた。それで人は生きた者となった」と語られる。「いのち」は神の息、風からもたらされるのである。風がいのちを運ぶのである。たとえ人間の素材は「土の塵」であったとしても、そこに神の風が吹く時に、すべての「土の塵」が、「生きた者」となるのである。教会もこれと同じく、「突然、激しい風が吹いて」生まれ出るのである。赤ん坊が誕生する時に、生まれ出て初めての肺呼吸をおこなう。母のお腹にいる時には、人間は肺で呼吸をしていない。だから肺はつぶれた風船のようである。しかし誕生して外界に出ると、それまでつぶれていた肺に風が吹き込まれて(吹き込まれるという表現が最もふさわしい)、風船のように膨らんで、それから大きな産声が上がるのである。「産声」は、赤ん坊のこの世での最初の「ことば」と言っても良いだろう。その声を、どこに住む者も、どこからやってきた者もみな、喜びの声として、懐かしい声として聴くのである。4節「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの(国々の)言葉で話しだした」。これは教会の産声の記述である。

「産声」は、確かに赤ん坊の泣き声であり、表面的には言語として意味を持たないと見なされる「ことば」である。しかしその「ことば」を聴く者は、ただの「泣き声」として受け取りはしない。かつて子どもが誕生した時に聴いた、あの泣き声は、悲しい嘆きではなくて、誕生の喜びを伝えるかのようであった。そしてそれは同時に、かつて自分も口にしたことのある「懐かしいことば」でもあった。6節以下「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」。「生まれた故郷の言葉」とは実に赤ん坊が生まれ出て初めて発することば、「産声」のことではないのか。

ペンテコステの風は、それに吹かれる者にいろいろな感慨、それ以上に「ことば」を呼び覚ますようだ。最初に紹介した『風が運ぶもの』はこう歌われて節が閉じられる「いつも私は愛の想いを 風の中に告げているのよ/私の愛 何も 気づかないのあの人は/だからせめて風よ 愛を伝えて」。風が運ぶのは「愛」だという。人は見えないものに対して実に鈍感である。そうだけれども、神は風の中に語り続けておられる。そして風は「炎の舌」となって人をみこころの内に押し出すのである。