「住む」という言葉について、こんな一文を読んだ。「『一つの場所に落ち着く』といったイメージがある『住む』ですが、『住む』の語源は実は『澄む』と同じです。乱れて濁っていたものが、落ち着いて澄んでくることを『住む』とあらわし、建物のなかで寝起きをすると人の心が安定し、澄んだ状態になることから『住む』へと派生したと言われています。騒音のある街中の屋外で寝泊まりすることを想像すると、わかりやすいかもしれません。ちなみに、『住む』と同じ響きを持つ言葉には、『済む』もありますが、同様に『乱れていたものが落ち着く』ことから、そうあらわされています。そんな風に『住む』ということを考えてみると、ただ毎日を過ごす場所であったお家のイメージが、なんだか変わってくるのではないでしょうか」(キコの「暮らしの塩梅」第48話)。
「芸は身を助くる」と言われるが、使徒パウロは生活がひっ迫した時に、若い頃、手に職を付けた「テント(天幕)作り」の仕事に従事して。口を糊したと伝えられている。「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。」(使徒18:1~3)
アキラとプリスキラ夫妻は、ローマに住むユダヤ人であったが、皇帝の退去命令によって無慈悲にもその町を追われ、コリントの町に寄留していたという。パウロもまた旅行者である。寄留者でユダヤ人同士ということで馬が合ったのか、すぐに気の置けない親しい関係になったようである。身一つでできる仕事、ということで、テント作りは流れ者の生計の常であったのか、機械のまだない時代、テント作りはすべて手作業である。現在、テントはできるだけ「軽く、小さく、簡便に、しかし丈夫に」作ることが求められるが、この時代は、羊や山羊の毛を密に編んで防寒、防水性の高いしっかりした厚い布にして、それを裁断して縫い合わせて出来上がる。結構な力仕事である。そうした作業をしながら、お互いにいろいろな身の上話、人生の体験談を語り合ったのだろう。とりわけこのパウロが自らの信仰体験を語らないはずはない。いつしかこの夫婦は、キリスト者として、パウロの宣教の右腕として長く使徒の働きを援けることになったのである。以来ずっと親しい良い関係が続いたことを証しするように、コリント宛の手紙、またローマ書簡には、彼らの名前が記されている。
今日の聖書の個所には、そんな天幕作りを副業としていた使徒ならではの思考が、強く投影されていると思われるみ言葉が語られている。ここで用いられている特徴的な用語を、拾って並べてみると、興味深い視点が見えて来るであろう。まず「天幕」、さらに「建物」、「住所」、そして「着る、脱ぐ、裸」、また「ため息」、「安心」、「保証」、そして「住む」。最後の用語、「住む」ことに準えて、比喩的に人生のさいわい、そして信仰の歩みのさいわいを語ろうとしているのである。彼は日常生活に引き付けて、即ち「衣食住」といった当たり前の人間生活を基に、神の救いのみわざ、キリストの出来事を、喩えを多用しながら解き明かそうとする。その中でも、この「住む」ことを巧みに喩え話として用いながら、話を進めてゆく筆致は、見事である。
当時、ローマ人の建築は、先進的な建造技術が使われなされていた、ローマン・コンクリート作りの4階建ての、この国で言う所のマンションも既に建てられていた。それが2000年経た今も、現存しているのだから舌を巻く。ヨハネの福音書で、主イエスが「わたしの父の家には、住む所がたくさんある」と教えているが、これはヨハネの時代、その当時のローマ市街のたたずまいを思い描いている節がある。神の国が、高層マンションだらけだとは、あまり想像したくないが。但し、ローマのマンションは、低層階の方が、値段が高かったと言われる。高層階は人気がない、それは水を運び上げるのが一苦労だから。
パウロはそんな邸宅に住んでいた訳ではない。彼の実人生からは、自分の住みかは、「天幕(テント)」のようだ、と語りたい気持ちは、非常によく察せられる。宣教旅行で旅から旅の毎日である。彼が一つ所に腰を落ち着けたのは、ほぼ一年未満であろう。しかしそういう生活を、豪奢なマンション住まいでなく、貧しいテント生活の日々として、殊更に嘆いているわけではない。2~4節の言葉は、実に生活感が込められている「わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません」。
ここで「苦しみもだえる」、「重荷を負ってうめいている」という訳語が使われているが、元々の原意は、「ため息をつく」という意味である。つまり自分の家で、テントのような居場所かもしれないが、一日働いて疲れて帰って来て、座り込んで「ふうっ」と深い息をつく、という意味合いなのである。この「ふうっ」という深い息をどう受け止めるか。きつかったが今日もよく頑張った、「一日の苦労はその一日にて足れり」だという主のみ言葉とどこかでつながっているとしたら、それはまことに生きる幸いであろう。そう思いつつ、外で着ていたものを脱いで、裸になって着替えて、床につけるなら、それそこが「安心」の極みであろう。新共同訳は「心強い」と訳しているが、それよりも寛ぎ感は強い。
「辛い、こんな生き方は嫌だ、自分は何をやっているんだ」、ため息をつくことは多々あるだろう。うめくことは人生の中で、度々起こって来るだろう。しかしそのため息が、空虚なものとして虚しくただ消えて行くのではなくて、それが確かに受け止められるところ、祈りが聞かれるというところに、私たちの日常生活は置かれているのである。「それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません」。なぜなら「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです」。
この私は、そして誰も皆、いつか地上の幕屋を離れて、死んで行くことになるだろう。しかしそれでまったく行き場を失って、裸で路頭に迷う、などということはない。神の住みかが用意されている。パウロは「着る」と表現しているが、人間が生きる営みで、他の生き物がしない独自な事柄が、服を着ることである、生きること、即ち「住むこと」とは、服を着ることでもある。家具家電付きの賃貸住宅というものがあるが、神の住まいには、何と「服」が備えてあるらしいのである。
しかし、そのような住まいは、「お高いんでしょう」と心配になるだろう。「わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです」。神はわたしたちを、そこに住むにふさわしいものとしてくださっている」と使徒は言う。さらに「保証」、これは原語では「保証金、手付金」のことで、既に前もって支払ってくださっている、というのである。主イエスが、私たちのこの世にお出でくださり、わたしと共に生きて、歩んで下さり、さらに十字架によって「死んで葬られて」、生きる時、死ぬ時をつなぐ救いの道を開いてくださった、そこに、私たちの生きる安心の根本がある。
漢字で「住」は「人」偏に「主」と書く。「主」というのはともし火を描いた象形文字で、一番上の点が炎、その下の横線は燃料の油を受け止めるお皿だと言われる。そしてその下に「土」の字があるのだが、これはそれを乗せている台を表している。人が住んでいる所には灯りがあるからということでもあろうが、「主」があるじを表す言葉であることから「住」の字が生まれた。古代の中国においては神聖である火を取り扱うのは、長老など一族の中心人物・すなわちあるじだからという。住まいには「主」がある。
こんな文章を読んだ「保育園への子どものお迎えで、時間に間に合わず慌てたことはないだろうか。暗い夜道を急ぎながら、一人残るわが子を想像し、自責の念に駆られる。子どもが幼いころ、そんな経験をしばしばした。いざ園に到着すると、わが子は保育士と楽しそうに遊んでいた。早く帰りたいであろうに、こちらをねぎらってくれる保育士には頭が下がった。親子共に保育園は心のよりどころだった。子育てに懸命だった頃を思い出す。夜道の向こうに保育園の明かりが見えると、安堵(あんど)の気持ちがこみ上げてきた。あの明かりは、仕事と子育ての間で揺れる心を導いてくれた」(9月1日付「金口木舌」)。
遅くなったと気がせき、心配が心をよぎる中に、建物に明かりがついて、そこで保育士さんが、子どもと楽しそうに遊んでいる光景、これほど「住まい」にふさわしい風景もないだろう。神の住まいがある神の国は、子どものようなものの国である、と主イエスは言われる。そこは「安心」の場所である。子どもは自分と遊んでくれる人によって、信頼を形づくって行く。「安心」は、「信じる」がなくては生まれてこない。暗い夜にも、その信頼でつないでくださっている方がいることを思いつつ、また自分の住まいから出で行き、戻りたいと願う。