祈祷会・聖書の学び ヨハネによる福音書6章60~71節

こういう文章を目にした。「激しい内戦によって打ち立てられた独裁体制が1975年まで、36年もの長い間続き、国民は日夜、恐怖とともに日々を過ごしたという。フランコ政権下のスペインの状況である。そんな中で敢然と筋を通した芸術家がいた。世界的チェロ奏者パブロ・カザルスである。まだ内戦さなかの頃、カザルスとオーケストラ団員がリハーサル中に空襲があった。団員が蜘蛛を散らすように逃げ惑う中、カザルスはひとり舞台に残り音楽を奏で続ける。すると、団員は一人また一人と戻ってきた。そして演奏会は国境を越えてラジオ中継された」(ウェッバー編「パブロ・カザルス 鳥の歌」)。

やはり「命あっての物種」である。爆撃の轟音におびえ、人々は逃げ去る。仕方ない、当然のことだと思う。しかしかの高名なチェリストは、その恐怖の中で、音楽を演奏し続けたというのである。その音色を耳にして、団員は再び舞台に戻って来たことに、深い感慨を覚える。なぜ彼らは立ち戻って来たのか、否、なぜ立ち戻ることができたのか。

今日の聖書の個所、60節以下「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか』」。そして66節「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」という。多くの人々が招かれて、集ったのに、そこから離れて行く多くの人々が生じて来た、というのである。「あなたがたはこのことにつまずくのか」と主は言われている。主イエスの下に集っていた多くの者たちが、そこから去って行ったという。これは

ヨハネの教会の現実をも二重写しにされている出来事であろうし、他ならぬ今の私たちの教会の現実でもあろう。「あなたがたはこのことにつまずくのか」。

「このこと」とは、55節の主の言葉にある。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。このパンを食べる者は永遠に生きる。」、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲め、私たちはこの言葉は「主の晩餐」を指している、と知っているので、これは「比喩、隠喩」、つまりものの喩えであると了解している。ところが、これを比喩ではなく実際のこととして受け取るなら、確かにグロテスクな表現ではある。ヨハネの時代、教会が迫害された強い理由のひとつが、実にこれだった。「教会は人の肉を食らい、人の血を啜っている」。妬みと悪意の籠った誹謗中傷だが、この噂、フェイクニュースに扇動され、教会を迫害した人々も多かったのである。

ところがここでは一般の市井の人々ではなく、「弟子たち」の姿勢、「もはや共に歩まなくなった」が問題にされているから、単にフェイクニュースに踊らされたということでは、ないだろう。教会は主イエスのみわざを、自分たちでできることで(人間出来ることしかできない)、真面目に受け継いで行こうとしたのである。愚直に主イエスのなさったように、共にパンを割き、たとえ僅かなものでも分かち合って、という地味な営みを教会の中心に据えたのである。そういう教会の姿勢に対して、「異を唱える、反発する」というよりは、現代風に言えば「もっと利益の大きい、もっと効果的な経営学的な見地から対費用効果の優れた」宣教のあり方が主張された、ということであろうし、それ以上に、「もっと熱心に、霊に燃えて、自分を捧げつくして」というような「生ぬるさ」への批判も生じたということだろう。ある意味、教会に「期待はずれ」を味わったのである。

この「離れ去る」は、元の古巣に戻る、後戻りする、もとの生活に戻る、という意味合いの言葉である。ここにヨハネの教会の状況を読み取る学者もいる。簡単に言えば、教会に人が来なくなってしまった、のである。迫害か分裂か、あるいは飽きられたのか分からない。かつてこの国でも戦後まもなくキリスト教ブームというものがあった。その時には、教会に人があふれた、という。その頃教会に集った人は、いまどうなったのであろう。以前、偶々ある世俗の会合で同席した方が、私が牧師であると知ってこうささやかれた「若い頃は教会に通っておりまして、今は礼拝に行くこともありませんが、それでもひとりラジオのFEBCを聴いています」、一度真面目に主イエスに出会ったなら、ずっとその痕跡、名残というものがその人に残るのだろうと思う。

「あなたがたも去ろうとするのか」と主に問われて、ペトロはこう答える「主よ、わたしたちはだれのところに行きましょうか」。この応答の言葉はどこから生まれるのであろうか。熱心な信仰、真面目な祈り、熱心な奉仕、聖書の深い学びから生まれるとは思えない。ただ、主の十字架への歩み、十字架の苦しみ、十字架そのものにしっかりと目を据えたときに、自分と一つになって苦しまれる主イエスの姿が見えてくる。私の苦しみや悩み、それを苦しまれるイエス、そこから始めて「誰のところに行きましょう」という告白が、歩みが生まれてくるのであろう。

最初のカザルスの逸話について、「なぜ彼ら(楽団員)は立ち戻ることができたのか」という問いに、皆さんはどう考えるだろうか。爆撃の中、生命の危険をもろともせず、ひとり演奏を続けるカザルスの勇気や大胆さに打たれた、音楽家魂、そのプライドを彼の姿勢によって教えられた、彼の振る舞いによって、今、自分たちのできること、本来の使命に目覚めた、いろいろ想像することはできるだろう。晩年に至るまで、カザルスが愛奏した曲が、彼の故郷の民謡であった「鳥の歌」である。「故郷の森に飛ぶ鳥は、ピース(平和)、ピースと口ずさむのです」と彼は演奏の中で度々語った。ウクライナ戦争以降、この曲は祈りを込めて世界各地で演奏が続けられているという。この名演奏家の平和を希求する思いに、楽団員たちも、共鳴や共感をし、あふれる平和への思いが、「立ち戻る勇気」をかきたてたのだ、とは考えられないだろうか。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」、これは「あなたがたも離れて行きたいか」と主から問われて言ったペトロの返答である。「永遠の命の言葉」とは、言葉を換えれば、実に「平和のみ言葉」のことである。戦争や争いは、人を敵味方に分け、分断させる。十字架という苦しみの中に、平和をもたらした主の歩みが、私たちの目の前にある。「わたしたちはだれのところへ行きましょうか」、私たちはどう応答するのか。