「終末期医療にたずさわる医者が思いなやむのは、『余命』を聞かれたときだという。患者の生きる力はそれぞれに違う。何より『命の残り』を言い切るにはためらいもあるだろう。そんなとき、作家でもある医師の徳永進さんは季節を伝えるそうである。『桜でしょうかね』『サルスベリのころでしょうか』などと。桜は2月に咲く品種もあれば、北国なら5月ごろ花開く。季節の花はいつ咲くか厳密ではない。『いつしか』『なんとなく』移り変わっていく四季のあいまいさが、ときに生きる支えになることもある」(11月7日付「有明抄」)。
「終活」という言葉が語られて久しい。やはり人は自分の人生の終わりを予感する時に、「ただでは死ねない」とばかり自らの終わりに向けて、何ほどかの準備を行い、また総括を行なおうとするものなのだろう。そこでやはり後に残される者たち、とくに親しくふれあって来た人々、とりわけ家族への気遣いを表すことになる。それが時にちぐはぐに心が交錯するにしても、である。
今日の聖書個所は、アブラハムの「終活」とも言うべき人生の取り組みを描く場面である。1節「アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた」。この記述は人生の幸いの極みを物語るものであるが、それでもはや一切心配無用という訳にいかないことが、この後に語られるのである。「あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように」、と一族の財産管理、運用のすべてを任せている最も信頼のおける僕に命じるのである。それは長子イサクの結婚相手についての問題であった。
「結婚は両性の合意のみによって成立する」とこの国の憲法は規定しており、そこに親のしゃしゃり出る余地は法的にはないにしても、昨今の「結婚」事情では、放っておけば自ずとなる、と手放しで楽観できるというものでもないだろう。古代においては「家の存続」が一族の最優先課題であったから、アブラハムにとっても頭の痛い問題、一族の長として「家の安泰と繁栄」は最優先課題であるにしても、長男の伴侶を何とかしようとするのは、人の子の親としての当然の心情の発露である。豪胆かつ細心な一族の長であるアブラハムもまた、息子の将来に安心を見るまでは、「死んでも死にきれない」のである。すでにその母は他界しているのでなおさらのことであろう。
息子のイサクの性格がどのようであったのか、聖書はそれほど詳らかに記してはいない。後に彼のもとに生まれる双子のひとりエサウは、「野の人」であって狩猟の技術に長けた活発な活動家であったようで、結婚相手も自らの手で探し出して、ちゃんと自分で一家を構えている。ところがもう一人のヤコブは、成長してなお母の元で暮らし、身を固める様子はみじんもなかった。その後、この兄弟たちは深刻な対立を生じ、激しい軋轢からヤコブは、母リベカの実家のあるハランの叔父のもとに身を寄せることになる。否が応でも家を離れざるを得ない運命が、ヤコブに新天新地を開き、生涯の伴侶を得ることにもなる。
それにしても青年時代のイサクの人となりは、あまりに寂しいと感じられる。生計を保つために真面目に日々の働きに勤しむ姿は伝えられているので、決して怠惰で生きる意欲に乏しい人だとは思えないが、あまりにその人柄の描写が貧弱でパッとしないのである。父親も自分亡き後の息子のことを案じたであろう。
そこで信頼する僕に、自分の親族が今も暮らすハランに赴き、そこで伴侶となるべき相手を探すことを命じる。この理由について、地元カナン宗教の偶像性を危惧したとの解釈がなされることが多いが、親族のつてを頼る方が、確かで安心だとの判断からであろう。結婚は家同士の縁組でもあり、アブラハムは寄留者、よそ者であったから、特定の家との結びつきが地域の力関係に支障を来すのを避けようとしたのである。但し、ハランはメソポタミアの中心地、今でいう「都会」であり、パレスチナは「田舎(山地)」である。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか」、もしイサクをハランに送ったら、その都市性に幻惑されて、パレスチナを捨てるかもしれないと危惧したのである。だから老獪な父は、僕に命じるのである。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない」と言明して送り出すのである。好き好んで田舎くんだりまでやってこようという若い娘はそうそういないだろう。しかしそういう人物ならば、人間的にこれほど確かなことはないではないかと考えるのである。
さて主人の息子の連れ合い候補者を、ハランで探す、という厄介な職務遂行にあたって、僕はどういう方策を取ったか。この点でさすが一族の財務を一身に司っていた家令である。実に有能な判断をする。彼は町の泉の井戸の傍らに座して、そこに訪れる未知の人々との出会いに期待するのである。そこは、「井戸端会議」という物言いによく表されているように、古代の情報交換の中心であり、何より女性たちの集う集会所の役割を果たす場なのである。そして僕はそこで「期待される人間」を待とうというのだ。「この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください」と神に祈るのである。実に具体的で実際的な選考基準である。素より水くみは重労働である。その労務に耐え得る身体能力と素より、家族のために苦労して汲んだ水を、惜しげもなく異邦人に飲ませるばかりか、彼の家畜にも労を惜しまず飲ませるような大らかさは、桁はずれの人間的な技量、度量をもった人物にしかできない資質であろう。
これは優しさや共感力だけでなく、実行力、逞しさをも併せ持つ資質である。彼女は「際立って美しく」と評されるが、聖書における「美しさ」は、人間の生き方そのものを問題にするのである。果たして都合よくこんな人物に巡り合えるのか、と疑問を呈する向きもあろうが、「出会いや縁」というものは、思いがけないところにその契機は転がっているということか。僕は「祈り」の内に、職務を遂行する。やはり人と人とを結びつけるのは、神のみわざなのである。神は人と人との関係の中で、豊かに手を伸ばし働かれる。そういえば、サマリアの井戸端で、主イエスもまた一人の女と出会い、その女は、その出会いによって人生の歩みを変えられる。井戸旗は、のどばかりでなく、生命そのものをも潤す場なのである。そこからイサクの人生も、また豊かに始められるのである。