ユダヤの諺に「舌の先に幸せがある」という言葉がある。どういう意味として受け取るだろうか。私たちの感覚として、「舌」は食べ物が最初にふれる所だから、おいしいものを味わった時の幸福感を語るものか、と想像したり、もっと下世話に、焼き肉のタン(舌)は旨いよな、と思ったりする。いささか食い意地が張っている洞察である。かの諺には続きがある、「黙っていては幸せが逃げてゆく」と続く。つまり「言葉」と「幸せ」は一つ、不可分だというのであるが、成程、言葉で苦労し、言葉で生きて来た人々の、長い歴史の裏打ちも、そこに読み取ることができるだろう。
ある地方紙のコラム(6月15日付「天風録」)にこうあった。「『舌』を使った日本語の言い回しには言葉と行動の不一致をいさめるものが少なくない。〈舌先三寸〉〈舌の根も乾かぬうちに〉などで、〈舌は禍(わざわい)の根〉ともいう。日本人の議論下手とも関係ありそうだ。対照的に、ユダヤ人は議論好きとされている。〈はにかみ屋は学ばない〉といった教えや、〈舌の先に幸せがある〉との格言があるぐらいだ。納得のいくまで質問をし続けることや、言葉を尽くして諦めずに討論をすることが、幸せを手繰り寄せるすべだと考えられているらしい」。
教会の始まり、その源は何から始まったか、それは「炎のような舌」からであった。そこから生まれた教会の歩みもまた、このユダヤの格言を思い起こさせるかもしれない。「舌の先に幸せ(福音)はある」、ペンテコステの出来事が起こった時には、最初の教会の人々が持ち合わせていたものは、語るための小さな器官「舌」だけであった。「舌先三寸」というものの、その小さな身体の部分から、偉大な神のみわざが語り出されたのである。そこにたまたま居合わせた世界各地からの人々は、それを「福音」として聞いたのである。もちろん「新しい酒に酔っている」という誹謗中傷もまた併せて聞こえてきたのであるが、これもまた「舌」のなせるわざであった。
そしてこのユダヤの地、世界の片隅で起きた出来事は、歴史の大きな舞台にまで広がって行くのである。ギリシアのアテネの町で、「舌の先に幸せがある」という出来事が、ひとりの使徒によって引き起こされるのである。この使徒もまた、「舌」しか持ち合わせていない人間であったのであるが。
さて、今日の聖書個所、使徒言行録17章の舞台は、アテネである。現在もギリシア共和国の首都で、アッティカ半島の西側に位置している。前8世紀ごろに都市国家を形成し、長く古代ギリシア文化の中心地であった。パルテノン神殿などの古代遺跡が残るアクロポリスは、1987年、世界遺産(文化遺産)に登録された。古代のギリシア語では、この町は「アテナイ」と呼ばれている。ソクラテス、プラトン、アリストテレスら滔々たる哲学者を輩出した町でもある。「アテネ」という町の名の由来は、一説に「アトス(花)」という言葉だとされ、これが確かなら、アテネは「花の都」という意味となる。いろいろな理由で由緒あるこの町の広場で、使徒パウロは通りがかりの人々と盛んに舌戦を展開し、ついにアレオパゴスで大演説を振るった、と伝えられる、その消息を伝える記事が今日のテキストである。
アレオパゴス、「アレオの丘」には、古からここに法廷あるいは評議会が置かれ,アテネ市の長老たちによって運営され,初期には政治上,宗教上の事件の詮議、後には刑事事件の法廷となっていた、と伝えられる。大勢の市民が集まり、評判の何某かの演説が行われ、聴衆が議論をするのに、都合の良い場所だったのだろう。政治家や哲学者にとっての「檜舞台」とも言える場所で、パウロにとっても、これほどの大舞台での演説は、おそらく初めて、というか思いもよらぬことであったろうと思われる。
どうして彼がこんな大舞台で語る羽目になったのか、その理由を、ルカは19節以下に記している。「そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。『あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。』すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」。
アテネの人々は、とても「暇」であった。だから「暇」潰しになるような「新しいこと」をいつも欲していた、というのである。「どうせ暇だし、時間つぶしの慰みに、この得体の知れぬ輩の戯言でも聴いてみようか」というので、パウロをアレオパゴスに連れて行ったという次第である。こういうアテネ市民の生活をどう思うか。何もすることがなくて暇を持て余している、日常生活の細々したことは、みな奴隷がやってくれるだろう。「遊んで暮らせる」、皆さんは、こういう生活にあこがれるか。することがなく暇を持て余したアテネ市民は、そこで暇つぶしのために、「ある施設」を作ったことが知られている。ギリシア語で「スコーレ」と呼ばれる施設、英語ならば「スクール(学校)」と称される場所である。その意味は実に「暇、余暇」である。そもそも日々の生活に追われて、かつかつとその日の糧を求めるような生活では、「学問」なぞできはすまい。暇でなければ「勉強」などできないのである。だから「勉強したくない!」とか「勉強して偉いね」などというのは、およそ論外であった。しかし教育制度の整ったこの国でも、ヤングケアラ―と呼ばれる子どもたちが、勉強の機会を奪われているという現実がある。
結局パウロは、アテネ市民の暇つぶしに供されたということである。ここでパウロが聴衆にどんな話をしたのか。そのあらましが今日の個所から読み取れる。アテネにはたくさんの偶像があったという。神々を祀る祠のことである。市内に三千もの祠があり、ありとあらゆる神々が祀られている。祠を立てておけばそれで済むのではない。それぞれの神々には、「縁日」、つまり祀るべき日が定められており、縁日毎に、花を手向け、犠牲を供しなければならない。そうしないと神々が怒って禍を下すかもしれないのだ。一年通じて三千の神々を祀るのである。一日当たり約10件に上る。その祀られた神々の中に、「知られざる神に」と刻まれた祠をパウロは見かけ、これを話の種にしようと目を付ける。
パウロは「ミステリの神が」と人々に語り始める。これは上手い口上である。「秘密にされ、隠されている事柄の裏側を教えよう」、というのである。誰でも隠され覆われていることの真実を知りたいものだ。週刊誌などは、政治家のあるいは芸能人のゴシップ、隠されて伏せられている事実?なるものをネタに、巧みに記事を書いて耳目を集めようとする。
「知られざる神」パウロは、この文言を自分の信じる神を表現するのに、誠に都合が良い、と考えたようだ。確かに聖書の神は、目に見える「像」を刻むことを厳しく禁じる神であり、「己を隠される神」なのである。人間の側からでは、人間の力では、決して知ることも、捉えることもできない超越者、それが聖書の告げている神である。「天と地の主」であり、「すべての人に、命と息と、すべてのものを与えてくださる」神なのである。しかしそのように人間から遥かに遠い、超越した存在である神は、「探し求めさえすれば、見出すことができる、ひとり一人から遠く離れておいでにならない」のだという。
天と地と人間をはるかに超越、凌駕し、生命の根源であるような神が、人間が手を伸ばせば、すぐそこに、ひとり一人のすぐ近くに居られる、とは、「遠くにあって近くのものは」というような怪しい謎かけのように、文章としては論理が破綻している。しかし、主イエス・キリストにあって、この無茶苦茶な言葉は、真実となったのである。神の言葉、神の生命が、ひとりの人間となった。そして私たちと同様に、女から生まれ、この地上を生き、人々と共に歩み、十字架で血を流し亡くなられた。しかし神によって復活させられ、今は見えない霊として働かれている方、「探し求めさえすれば、見出すことができる、ひとり一人から遠く離れておいでにならない」主イエスが、ここにもおられる、とパウロは語るのである。
さて大舞台に引き出された使徒の演説は、どのような結末を迎えたか。残念ながらどうやら不首尾に終わったらしい。32節「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それで、パウロはその場を立ち去った」。熱を帯びて佳境に入り。主イエスのよみがえりの話題を口にしたとたん、集まっている人は興ざめした。「いずれまた聞かせてもらおう」、復活、そんなおかしなことがあるはずはないだろう。
最初に「舌の先に幸せはある」というユダヤの諺に因む文章を紹介した。続きをもう少し。「その格言は空爆を前にネタニヤフ首相らの頭をよぎらなかったのか。イスラエルがイランの核関連施設などを攻撃した。イランもミサイルなどで報復に出た。中東のみならず世界を巻き込んだ戦争に発展しかねない。祖国を失い、離散先で差別やホロコーストに遭った苛烈な歴史がユダヤ人にはある。だから世界を敵に回しても生き残るのが譲らぬ論理かもしれぬが、決して正当化できない。パレスチナ自治区ガザへの執拗(しつよう)な攻撃も。多くのイスラエル市民は迫害の記憶から命の重みや戦争の痛みを分かっているはずである。むきだしの暴力から〈舌の先に―〉へ立ち返る力になってほしい」。
父祖たちから受け継いだ「舌の先の幸せ」よりも、旧約の民の末裔たちは、「暴力の呪い」に身を委ねてしまった。「むきだしの暴力から〈舌の先に―〉へ立ち返る力(悔い改め)になってほしい」という祈りで、この文章は結ばれている。アテネの人々も、「舌の先の幸せ」に立ち帰ることはできなかった、いずれまた。世界はその幸いに見向きもしないように見える。しかし、今日のみ言葉は告げている。パウロはその場を立ち去った。 34節「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた」。福音を聞いて、その幸いへと立ち帰った人々がいた、という。神のみ言葉の幸いは、反発や反目、無視や無関心の中にも、働くのである。