「愛されている子として」エフェソの信徒への手紙5章1~5節

ようやく秋の訪れを感じる日々を迎えた。この季節、子どもの頃の楽しみは、遠足であった。小学校一年の時の遠足は、学校近くのお寺が目的地で、そこでただ弁当を食べるという地味なイベントだったが、帰りには雨が降り出し、ビニール風呂敷を頭にかぶって(なぜ傘がなかったのか、忘れたのだろう)、びしょぬれになりながら歩いた記憶がある。皆さんの遠足の思い出はどんなか。

向田邦子氏のエッセー『ゆでたまご』を読んだ。「小学校4年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいましたIは足だけでなく片目も不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。ゆとりのない暮らし向きとみえて、襟があかでピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。性格もひねくれていて、かわいそうだとは思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。たしか秋の遠足だったと思います。リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばに、Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。かっぽう着の下から大きな風呂敷包み出すと、『これみんなで』と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。

古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。ポカポカとあたたかい持ち重りのする風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは言えませんでした。歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました」。

今日はエフェソ書を取り上げる。この書簡はパウロの名によって書かれているものの、文体、用語、思想等がパウロの真正の手紙とは異なるので、無名の著者による偽パウロ書簡と考えられている。現代のように「著作権」という感覚のない時代、有名人の名を用いてその権威にあずかることは、実に正当なこととされた。コロサイの信徒への手紙(これも偽パウロ書簡のひとつ)とよく似た構成、内容を持っており、コロサイ書を前提にした書き方がされているので、それを強く意識した著者の手になるものであろう。紀元1世紀の終わり頃に書かれたものか。もうすでに教会の組織も制度もある程度整っていたのだろう。終末の遅延によって、当初の信仰的緊迫感を失い、弛緩した心を引き締め、励ます目的で記されたと考えられる。

特に、エフェソ、コロサイ両書簡には、「家庭訓」と呼ばれる、夫婦や子ども、召し使いへの勧告の言葉が記されており、初代教会の早い時期には、終末への待望が顕著であったから、家庭生活を始めとする日常については、いわばなおざりな感覚であったのに、これらの書簡では、信仰生活の中心的な課題として取り上げられていることも、その時代性を証しするものであろう。「時代性」と申し上げた。この書の背景となっている状況とはどのようなものか。3節「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません」。「卑猥、愚か、下品、貪欲」という刺激的な言葉が連ねられているが、やはり爛熟期のローマ帝国にあってこうした風潮、世相の波は、欲望をあおるおびただしい情報となって、どこにも、どんな人にも、キリスト者にも、等しく大水のように押し寄せてくるのである。そして今日では、SNSはじめとするネットによって、おびただしい情報の渦と波の中に、人は投げ込まれている。

現代の情報の氾濫について、このように警告されている。「現代の情報環境で特に注意が必要なのが、『フィルターバブル』と『エコーチェンバー』です。フィルターバブルとは、自分の関心や好みに合わせて情報が自動的に選別され、似たような情報ばかりが届く状態のことを指します。検索エンジンやSNSのアルゴリズムによって、私たちは気づかぬうちに『自分に心地よい世界』に閉じ込められてしまうのです。エコーチェンバーとは、同じような意見や価値観を持つ人同士が繋がり、互いに同じ考えを繰り返し肯定し合う環境のことです。多様な視点が届きにくくなり、自分と違う意見を排除してしまいやすくなります。これらの現象は、極端な主張が拡散しやすい土壌を生み出し、社会的な分断や対立を深める要因にもなりかねません」(「学校では教わらなかった『メディアとの付き合い方』リテラシー向上委員会」。

キリスト教会が誕生して70年程経過した時代の社会状況は、今日の私たちの抱える悩みと、驚くほど似ている。そして問題は、これにどう対処したら良いのか、ということである。ある自治体の長は、「スマートフォン等の適正使用の推進に関する条例案」を議会に提出し、可決されたという。この条例は余暇時間でのスマホの使用時間について、「1日2時間以内」を目安にするよう市民に促す内容が盛り込まれており、10月1日に施行された。罰則や強制力はないという。これは有効に働くだろうか。では私たちはどのように対処することができるのだろうか。

しかしそれ以上に考えさせられ、立ち止まるのは、1節の文言である。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」。この書は、信仰論が子どもの養育、教育をと絡めて議論されていることに特徴がある。信仰者を「神の子ども」になぞらえるのは、新約後期文書の特徴であるとされるが、子どもの「無垢」さが、信仰のあるべき姿に喩えられたのである。現在では子どもの純粋さがノスタルジックな感傷と共に称賛されることもしばしばであるが、(但し純粋さとは、残酷さにも通じる)古代においては、「子どもらしさ」とは未熟で未完成な早く脱却すべき負の課題であったのである。それがどうして信仰の手本のかについては、議論ある所だが、やはりその源には、主イエスのみ言葉にその根があるだろう。「子どものようにならなければ、神の国に入ることはできない」、これは古代の常識的な価値観を揺るがす逆説でもあったのである。

「愛されている子どもですから」、子どもが健やかに成長するためには、「愛されている実感」が必要であることは、いうまでもないが、子どもはそれをどこで、どんな風に学び、知るのか。聖書の時代から、今日までも、「愛されている実感」をどう育むか、これは実の親子の関係ばかりか、子どもも大人も、たとえ一人で生きている人も、今、死んで行こうとする人にとっても、切実に人生に印を押すような事柄であろう。これを巡って人はゆがみ、卑屈になり、絶望し、あるいは、希望を抱き、向上し、立ち直る。

「倣う」という言い方がなされている。子どもは親の(写し)鏡」と言われるように、子どもの言葉や行動は、実に親譲りという面が少なくない。かつて「親の顔が見たい」という言い方がなされたが、子どもの顔を見れば、親の顔も一目瞭然、外の顔もうちの顔も、言えなくはないか。それはどのように獲得されるか。それは子どもがいつも親に付きまとい、離れずいっしょにいることでそうされるのである。しかし悲しいかな、私たちは肉の親であり、肉の子なのである。言葉の行き違い、言い過ぎ、舌足らず、つい手が出て、激情に駆られて、「愛」と真逆の振る舞い、言葉、仕打ちをしてしまう、祈りを忘れてしまう。親も子も。それで関係がゆがみ齟齬を来たす。

だから聖書は言う「神に倣う者となりなさい」、この言葉を神のように「完全」になるという意味だと理解しするなら、それは端から不可能である。人間と人間の関係だけではだめなのだ。愛が全うされない。子どもが親に付きまとうように、つねに、神と離れず、いつもふれ合っていなさい、と語る。「倣う」とはベターとくっついていることで、自然とその立ち居振る舞い言葉遣い、生き方が似たようなものとなるという意味だが、人と神の関係を比喩として喩え、観念的イメージで語られていると言えるだろう。つまり神は目には見えない存在であるから、形や振る舞いを真似ることはできない相談なのである。

向田邦子氏の話はこう続く、「私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆでたまごのぬく味、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です」。

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」、

先の作家は「愛」を「ねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆでたまごのぬく味、いつまでも見送っていた母親の姿」と回想するが、聖書は「香りのよい供え物」と表現している。良い香りは、目に見えないが、それが周囲に拡がって、人の心を楽しませ、刺激するように、神もまた良い香りを喜ばれる。但し神が喜ばれるのは、詩編詩人も詠うように、供せられた「犠牲」ではなく、「愛の働き」、その源の「愛」そのものは目に見えない、それこそが、神への最上の応答、供え物なのである。実に愛の育まれる場所、つまりその源である心のあり様は、余人の目には見えない「香り」のようなものである。そして本来、目に見えない「愛」の真実な姿は、人に対してではなく神へと向かうものとして現れるのである。

私たちは、神とつながり、神とふれあう。しかし神は見えない存在で、確かに見たことはない、そんなあやふやな事で信じていいの、という声も聞こえるかもしれないが、しかし主イエスは、「人となった神、まことの人、まことの神」であって、そこに私たちは足を置き、心を向けるのである。主イエスの姿によって、私たちもそのみ後に従い、神に倣う主の姿によって、しかも主が十字架の極みにいたるまでそうであったように、死を超えて神と親しくふれあうのである。ここからしか「愛されている子どもとして」の心は生まれてこないだろう。