祈祷会・聖書の学び 使徒言行録20章1~16節

「航海日誌(ログ・ブック)」と呼ばれる記録文書がある。船舶の運航に関する情報を記録した重要な書類であり、船の位置、針路、速力、天候、船の状況などを時系列で記録する。これは「船員法」により船長に備え付けが義務付けられて、特に海難事故発生時には証拠資料として法的な意味を持つとともに、事故原因の究明や再発防止に寄与する目的出記載される。具体的な記載内容としては、船位(船の位置情報)、針路と速力(船の進行方向と速度)、天候(その日の天気や海況)、帆装状態(帆の張り具合やその様子)、在船者の状況(死亡や行方不明などの事故)等が記される必要がある。

「航海日誌」の起源については、人が船を造り、遠くに航海をするようになって以来、記して来た慣わしではないか、と推測されている。使徒言行録では、地中海での船舶移動について記される場面が散見されるが、その中には激しい嵐に見舞われて、船が沈没の危機に見舞われた際、積み荷を海に放擲して船の安全を図る記事が見られる。積み荷を捨てれば多大な損失が生じるが、これに対応すべく、荷主と船主の間には保険契約が交わされ、災害時の保障が制度化されていたことが知られている。即ち「海上保険」の先駆けであるが、そのためには事故証明としての「航海日誌」が不可欠になって来る。因みに「ログ」というのは、海に丸太を投げ込んで、船足の測定をしたことに発するらしい。

今日の聖書個所、6節「わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した」と記される。ここから記述の文体が変化するのだが、何か変わったのか、お分かりだろうか。これまでは文章の主語が、「パウロは」と記されて来たのに対して、「私たちは」という風に、変化しているのである。聖書学者たちは、この書式を「われら章句」と呼んで、文体の変化の理由を説明しようとする。「航海」の記事ゆえに、当時の「航海日誌」の書き方を真似て、文章に一層のリアル感を持たそうという狙いだと主張される向きもある。いよいよパウロの運命が劇的な変化をする、そうした緊張感を醸し出したい、という著者の強い意図が伺える。まだ見ぬ遥かローマへの旅が始まった、という告知であろうか。そして読者もまた、この旅への同行(文学的に)を促しているのだとも理解されよう。

7節以下に記される逸話は、非常に興味深い内容を持っている。これも実にリアルな話である。ある若者が、(エウティコという名は、この事件によってずっと皆に記憶されることとなっただろう、皆から「ああ君がかの居眠り青年か」と語り草になったかもしれない)、「寝る子は育つ」といわれるが、若者は眠いものだ。年を取るとどうして朝早く目が覚めるようになるのか。いつの間にか朝寝できなくなってしまった。さらにこの青年、3階の窓に腰を掛けてパウロの話を聞いていたというのである。1階は大勢の人でひしめいていたから、良く見えないので天井桟敷に上った、と推測されるが、若者らしいと言うか、若気の至りというか、若者は時に突飛な、怖いもの知らずの行動をとるものである。

パウロの話がやたら長かった。教会でも「今日はよく眠れた、説教が長かったから」とか評される。「パウロの話が長々と続くので」、これはルカの実感がこもっている。皆そう思うだろう。恐らくパウロは話が超長い人だったのだろう。ある高名な心理学者は、「説教の効果は、長さと反比例する」との偉大な法則を導いておられるが、パウロの場合は、説教の長さによって、若者のひとりの命を危機にさらしている。詳しくは分からないが、3階といっても現代建築とは高さが違うから、落ちたショックでしばらくの間、呼吸が止まってしまったのかもしれない。パウロが抱き起したので息を吹き返したのか。しかし、ここでパウロが口にしたとされる言葉は象徴的である。「騒ぐな、まだ生きている」。正確には原文に「まだ」という言葉はない。「彼の中に、彼の息(プシュケー)がある」。高い所から落ちて、それでも無事でよかったね、という言葉ではない。これは「ここにこそ命がある」という宣言である。

人々の集まる礼拝の部屋には、明るく温かな明かりが灯されている。これは当時としては非常に贅沢なことだったろう。そして礼拝とはパン裂きである。ともにひとつの家族として共にパンを食べるのである。さらに饒舌なパウロの長々した話ではあるが、主のみ言葉が語られ、聖書が解き明かされる。いわば光、暖かさを分かち合い、パンを分かち合い、み言葉を分かち合った。これが初代教会のすべてであり、まことであった。疲れた若者が、安心してぐっすり居眠りをしてしまうくらい、自分を手放して、ありのままで生かされている。パウロの「ここにこそ命がある」と言う叫びは、教会のもっとも本質を表した言葉ではなかったか。これ以上の安らぎがどこにあるだろうか。

礼拝は、居眠りができる場所、しかも我知らず三階から下に落ちてしまうほど、ぐっすり眠ってしまえるところ、とルカが教会について語るのは、実に興味深い。そしてその居眠りの中に「命がある」と告げられる。私たちの世界の向かうべき方向が、示唆されているのではないか。ミサイルがいつ落ちて来るかを怖れて、まどろむことすら許されない人々が、今、この世界に生きていることを心に刻みたい。せめて眠る時くらい、両目を閉じて、自分をまったく手放して、全てを委ねて眠りたいではないか。

今日のテキストの最後「大いに慰められた」という結びの言葉で終わっているが、これは直訳すれば「大きく呼びかけられた」という意味である。呼びかけられた、励まされた、その呼びかけや励ましによって、慰められた、ということである。常に神が大きく、親しく彼らに呼びかけてくださっているということである。かつても今も、それは変わりない。私のこと、あなたのこと、「忘れていないよ、大丈夫だ」と呼びかける神の言葉こそ、私たちの最も必要としている力ではないか。この青年の居眠りは、私たちの姿でもある。「ここに命がある」「生かされている」。ぼおとした居眠りの中でも神の命は働き、私たちは生かされるのである。

船は「母」に喩えられる。そして教会もまた「船」のイメージで語られる。幼子が母の胸に無心にまどろむように、その乗組員は、安心して休み、憩うのである。そしてその有様を神はご自身の「航海日誌」に記されるだろう。「まだ生命がある」、いかに苦難や苦しみの嵐の中にも、主イエスが船長として乗り組んでおられるのであるから。