説教『人は、なぜ、祈るのか』(詩編63:2~6)

2015年 9月27日   主日礼拝(修養会に向けて)・説教要約
説教『人は、なぜ、祈るのか』(詩編63:2~6)

mono_032
◎ 先週、私達・教会の3名は豪雨被害に遭われた水海道教会に被災支援ボランティアに参加しました。現地に入 り、改めて被害の大きさを知りました。どうか、被災された方々のことを覚え、祈り続けて参りたいと思います。

◎さて、教会修養会が近づいて参りました。今年度のテーマは、「祈りの生活を築く―祈り・黙想・霊性」です。今年度の課題は「礼拝を大切にしながら祈りの生活を築く」ですが、礼拝と祈りは信仰生活の原動力です。私も牧師として、皆さんが毎週、礼拝を守り、日々、祈りながら主を証しする充実した信仰生活を歩んでほしい、と切に願っています。今回の修養会では加藤常昭先生にお話をしていただきますが、私からも今週から3回にわたって祈りについてお話したいと思います。第1回は「人はなぜ祈るのか」、第2回は「私達は何を神に祈るのか」、第3回は「いかに祈るか」と題してお話をしたいと思います。今日は「人ななぜ祈るのか」と題してお話します。

◎さて、私達はなぜ祈るのかという問題ですが、それはすべての人の心に祈りの心があるからだと言っていいでしょう。私は学生時代に宗教学を専攻しましたが、宗教のない民族・文明・文化はないことを痛感しました。人の心にはこの世を越えた超越者を感じる心があり、祈る心があると言えるでしょう。聖書もまた祈りに満ちています。詩編63編に「神よ、私はあなたを捜し求め、私の魂はあなたを渇き求めます」とあります。私達の魂は乾ききった大地が水を求めるように神を求めています。では何を求めているのでしょうか。それは、魂の平安・真の平安といえます。アウグスティヌスは「神よ、あなたは私達をあなたへとお造りになりました。それ故、私達はあなたの内に憩うまで安らぎを得ることはできません」と書いています。人は魂の平安を神に求めているのです。

◎ところが、現代人は神から離れた生活をしています。現代人の不安と恐れ、不安定感は、ここに起因することが大きいのではないかと私は感じています。仏壇や神棚があった昔の日本人と異なり、多くの日本人はこの世を越えた神や仏には無関心で、結びつきはありません。しかし、そういう現代人でもこの世を越えた超越者の存在を感じることがあります。大自然の中に入り、その美しさ・広大さ・脅威を感じた時、虫や花々の精巧さ・処凛さに触れた時、人生において貴い出会いや体験をした時、内なる良心の痛みや満足感を感じた時、辛く苦しい時・絶望的な時に求救の祈りが思わず口から出た時など、隠された神への信仰と祈りの心が顔を出す時があります。

◎そのようなこの世を超える超越者、神とはいかなる方か、を聖書は教えます。使徒言行録17章に伝道者パウロがアテネの市民に語り掛ける場面があります。「アテネの皆さん、あなたがたが信仰の篤い方であることを、私は認めます。『知られざる神』に、という祭壇さえ見ました。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを知らせましょう。世界とその中の万物を造られた神が、その方です」と語り、天地創造の神を教えます。そして、その神が私達一人一人に命を与え、共におられ、さらに、主イエスを遣わし、十字架と復活の出来事によって、私達の罪を赦し、罪と死に勝利されたことを教えます。神とは我らの創造主・救済者であることを教えたのです。

◎そのような父なる神に向かって、私達は神の子どもとして親しく呼びかけ、祈ることができます。いや、父なる神は私達が親しく語りかけ、祈ることを待っておられます。最初は、今まで語り掛けたことのない神様に祈ることはためらいがあります。しかし、神に向かって「神さま!」と呼びかけることができた時、大きな喜びがあります。加藤常昭先生の著書に、「神さま!」と呼べたのですと言って涙を流された女性の話が書かれていますが、「神さま」と呼びかけ、父なる神様と深く結びつくことができた時、私達の心には喜びと感動が湧いてきます。

◎祈りとは、私達と神様を結びつける絆のようなものと言えます。詩編63編にはこうあります。「今、私は聖所であなたを仰ぎ望み、あなたの力と栄えを見ています。あなたの慈しみは命にまさる恵み。私の唇はあなたをほめ讃えます。命のある限りあなたを讃え、手を高く上げ、御名によって祈ります」と。ここには神の慈しみを深く感じ、神の愛と恵みに満たされている詩人の溢れる思いがあります。そして、最後に「あなたは、必ず私を助けてくださる、支えてくださる」と確信をもって神を讃えているのです。このように祈りとは、父なる神との結びつきを深めること、神の命と愛、恵みを受けることです。そこに人としての溢れる喜び・平安・安心があります。そして、この神の与えてくれる自己受容・自己肯定が他者受容・他者肯定へと向かいます。そしてさらに、この祈りは愛と奉仕の行為、神の正義を行なう正義の行為、勇気ある行為・行動を生み出します。ボンヘッファーが「祈りとは、外的奉仕のための内的集中である」と書いたように、祈りは愛と奉仕の行動・行為を生み出すのです。

◎祈りがもたしてくれるもう一つの恵み・働きがあります。それは、私達の自己中心的な生き方を変え、神の御心 ・み旨を第一とする神中心の生き方、また、自分よりも他者を大切にする他者中心の生き方へと変えてくれることです。ゲッセマネの祈りにあるように、祈りの中で私達は神の御心を第一とする人へと変えられるのです。祈りは、私達の信仰を深め、豊かなもの、真実なものにする絆・管・根です。祈りの生活を深めて参りましょう。