説教『主イエスは復活された!』(ヨハネ20:19~29)

2014年4月20日      イースター・復活日礼拝・説教要約
説教『主イエスは復活された!』(ヨハネ20:19~29)

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◎今日、私達はイエス様が復活された日、イースターを迎えました。私達は、3月5日に受難節に入って以来、主の御受難を覚えながら過ごしてきましたが、先週は、受難週ということで祈祷会を持ち、祈りを捧げました。主は、金曜日に十字架にお架かりになり、息を引き取られ、墓に葬られた後、三日目の朝、今の日曜日の朝、復活されました。復活の出来事は私達が生きている世界とそこに生きる人間の在り方・生き方を一変した出来事です。今日は、主の復活により私達の救いが実現したことを心に刻んで参ります。
◎今日のみ言葉はヨハネ福音書20:19~29です。ここには主が復活された日の夕方の出来事と、さらにその1週間後に起こった出来事が記されています。その出来事に入る前に、20:1~18を取り上げ、主が復活された日の朝の出来事を見ておきましょう。その日の朝早く、マグダラのマリアが主のご遺体が納められた墓に行ってみると、入り口の大きな石が取りのけてあった。驚いたマリアは弟子達の所に行き、それを伝えます。シモン・ペテロともう一人の弟子が走って墓に向かいますが、墓の中が空であったことを確認して家に帰っていきます。一方、墓の前で泣いていたマリアに主が「マリア」と呼びかけ、ご自身が復活されたことを明らかにされたのでした。マリアはそのことを弟子達に伝えに行ったと書かれています。
◎今日の記事は、その日の夕方の出来事です。20:19によると、その時、弟子達はユダヤ人を恐れて、家の戸に鍵をかけていたと言います。イエス様が十字架により処刑されたことで自分達も捕えられ処刑されることを恐れて鍵をかけて隠れていたのです。そこに復活の主が現れます。主は弟子達の真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われたとあります。原文では「エイレーネー・ヒューミーン」とあります。「エイレーネー」は「平和・平安」を意味し、ヘブライ語でシャロームと言います。「ヒューミーン」は「あなたがた」を意味します。「あなたがたに平安あれ」とも訳せますが、ドイツの牧師ボンヘッファーは「平安あり」と訳しています。つまり、イエス様は恐れと不安、恐怖の中にあった弟子達に「恐れるな。私がここにいる。あなたがたには平安があるのだ。安心しなさい」、そう呼びかけておられるのです。
この言葉は19節、21節、26節と繰り返されています。復活の主の第一のメッセージは「平安あれ・平安あり」なのです。弟子達は十字架の出来事により頼りにしていた先生を失った失望感、先生を裏切った自責の念、捕えられる恐れと恐怖で一杯でしたが、復活の主は「平安あり」と呼びかけます。この言葉には弟子達を叱責する響きはありません。愛に満ちた言葉をかけ、弟子達に平安を与えようとされたのです。
◎しかも、主は「そう言って、手と脇腹をお見せになった」と言います。自分が十字架につけられて復活されたことを示し、死んだ後、陰府(よみ)に降り、復活したこと、罪と死に勝利したことを示しておられるのです。弟子達は、そのような主に出会って喜びました。ここで私達はヨハネ福音書16:20、「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」の言葉を思い起こします。主は、弟子達に対して、十字架の悲しみを経て復活の喜びが訪れたことを示しておられます。これは私達へのメッセージでもあります。たとえどんな悲しみがあっても神様は必ず復活の喜びを与えてくださることを主は教えておられるのです。
◎しかし、話はそこで終わりません。主は、喜びに溢れる弟子達に「父があなたがたをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」とおっしゃったと言います。主は弟子達を派遣されたのです。十字架に架かり、復活された主イエスこそ、私達を苦しめてきた罪と死に勝利された救い主であることを伝えるために派遣されるのです。その派遣は、主ご自身が父なる神から派遣されたことに基づいています。主が神に派遣されたように、私もあなた方を派遣すると言われ、弟子達を派遣しようとされたのでした。しかも、ここでは「聖霊を受けよ」と言われています。神が土で造られた人間の像に息を吹き入られ、人は生きる者なったとある創世記2章の記事を思い出します。息とは霊です。主は弟子達に聖霊を注いで新しい人間に生まれ変わらせ、聖霊によって主イエスによる罪の赦しの福音を宣べ伝えさせようとされたのです。
◎ところが、20:26には、その8日後も弟子達は家に鍵をかけて隠れていたと言います。これが人間の姿・現実です。しかし、主は再び弟子達の間に現れ「平安あれ」と言われます。そして、疑うトマスに対して手と脇腹の傷跡を見せ、触れてごらんと言われ、「信じる者になりない」と呼びかけます。その時、トマスは「わが主、わが神よ」と信仰を告白します。そのように主は弟子達に何度も現れ、弟子達を立ち上がらせます。弟子達は立ち上がり見違えるような伝道活動を展開します。復活の主が弟子達を変えたのです。
復活の主は私達をも立ち上がらせ、生まれ変わらせてくださいます。復活の主と共に歩んで行きましょう。