説教『クリスマスの大きな喜び』(ルカ2:11~20)

2014年12月21日               クリスマス礼拝・説教要約
説教『クリスマスの大きな喜び』(ルカ2:11~20)

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◎クリスマス、おめでとうございます。今日、私達は待降節第4主日を迎えて、イエス様のご誕生を祝う礼拝を捧げようとしています。今日私達は不安と闇が支配する世界と私達の心に光として来られたイエス様をお迎えし、そのご降誕を共に喜び、祝いたいと思います。さきほどルカ福音書2:8~20を読んでいただきました。今日はこの御言葉を通して、私達の喜びはどこから生まれるのかを知ると共にその喜びを分かち合って参りたいと思います。ここはイエス様誕生の知らせが夜通し羊達の番をしていた羊飼い達に告げられた場面です。その夜、イエス様はユダヤの小さな町・ベツレヘムの家畜小屋にお生まれになりました。誰も知らない真っ暗な闇の中、救い主が誕生したのです。神の計画は密かに進められていたのです。
◎その救い主誕生の知らせも密かに知らされていきます。町の人や王・貴族・祭司にではなく、野から野へ羊達を引き連れて旅を続ける名もなき羊飼い達に知らされます。羊飼いは、当時、最も蔑まれ差別されていた人達です。また、野から野へと羊達を導いて旅を続ける過酷な仕事でもあります。自然と社会の脅威を受け、不安と恐怖の中に心細く生きていました。この姿は私達の姿でもあります。私達もまたすべて、いつ自然災害を受け、病になり、仕事や家族を失うか分からない実に無力で弱く頼りない存在です。そのように実に弱く無力で、はかなく頼りない私達に、救い主誕生のニュースが伝えられたと言うのです。
◎ではどのようにしてそのニュースが告げられたのか。聖書には天使が近づいて主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れたとあります。なぜ、彼らは非常に恐れたのでしょうか。それは主の栄光の光が人間の弱く醜い部分を照らし出すからです。主の光の前に私達が露わにされる。すべてが暴露されるからです。しかし、そのように恐れる羊飼い達に向かって天使はこう告げたと言います。「恐れるな、私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と。天使が告げる知らせは大きな喜びの知らせだというのです。その内容は何か。それは、長年、待ち望んでいた救い主が、今日、ダビデの町・ベツレヘムで生まれたということです。しかも、その救いは全世界の人々のためものであると。これが大きな喜びの知らせでした。
◎それではその救い主であるしるし・目印は何かというと、それは布にくるまって飼い葉桶に寝かせられている乳飲み子であると告げます。布とはおむつのことです。着る物もない貧しい赤ちゃん、飼い葉桶に寝かせられている赤ちゃんが救い主だと言うのです。そのような赤ん坊を誰が救い主だと信じるでしょうか。誰がそこに喜んで行くでしょうか。ここに私達がつまずく、つまずきがあります。主は「私につまずかない者は幸いである」と言われましたが、ここに多くの人がつまずきます。なぜなら、私達は強く大きく権威ある救い主を求めるからです。前回「狭き門より入れ」という話をしましたが、弱く貧しく卑しい赤ちゃんを救い主と信じる道は狭き門です。キリスト教の価値観はこの世の価値観とまったく異なります。この世は強さ・大きさ・豊かさの中に価値を見出しますが、キリスト教はそれとは逆に小ささ・弱さ・貧しさの中に価値を見出し、真理を見ます。なぜなら、神の恵みと真理は弱さと小ささの中にあるからです。
◎なぜ、主イエスは私達を救い出すために貧しく卑しい所に生まれたのか。それは、弱く卑しく貧しい私達と同じ所に立つためです。同じ所に立ち、その苦しみ・悲しみ・辛さを担うためです。私達の苦しみ・悲しみ・苦悩・絶望の中に降りて自らその苦悩と罪を担うために主は貧しく生まれたのです。イザヤ書53章に書かれた苦難の僕。私達の病・苦悩を担うことで救い出す救い主。それが十字架にお架かりになった主イエスにおいて起こったと人々は信じました。十字架の主は既に誕生の時から貧しく生きられたのです。
伝道者パウロはコリントの手紙Ⅱ8:9でこう書いています。「主は豊かであったのにあなたがたのために貧しくなられた。それは主の貧しさによってあなたがたを豊かにするためです」と。主は私達を救い出すために自ら貧しくお生まれになられたのです。そのようにしてまで私達を救い出そうとされた主イエスと主を送られた神様。そこに神と主の大きな愛があり、そこに私達の大きな喜びがあり、感謝があるのです。
◎聖書によれば、そのように救い主が生まれたことを天使が告げた時、突然、その天使に天の大軍が加わり、神を賛美してこう歌ったと言います。「いと高き所には栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」と。「あれ」は「あり」と訳せます。私達には既に救いと平和が訪れ、その中に置かれているのです。もちろん、私達は流血と殺りく、脅威の世界、不安と恐怖、苦悩と絶望の現実に生きています。しかし、私達は既に主イエスによる救いと平和の中に置かれています。信仰者は目に見えるものにではなく、目に見えないものを見ます。私達は目に見えない救い・平和・愛・恵み・祝福の中に置かれているのです。
羊飼い達は主の元に行き、主に出会いました。私達もまた主の元に行き、主の恵みを受けて参りましょう。