説教『信仰の賜物を最大限に生かす』(ルカ19:11~27)

2015年11月15日            主日礼拝・説教要約
説教『信仰の賜物を最大限に生かす』(ルカ19:11~27)

stam_005
◎11月第3の主の日を迎えました。昨日は教会バザーが行われました。小雨の中でしたが、大勢の方が来てくださり、提供していただいた衣類や品物、作っていただいたカレーやおでん、クッキーなどよく買っていただきました。利益は教会の会堂積立や東日本大震災被災地支援などに捧げられます。皆様のお祈りとご協力に感謝します。

◎さて、今日取り上げる聖句は、ルカ福音書19:11~17です。前回は、イエス様の愛を受けた徴税人ザアカイが大 きく変えられた話を取り上げましたが、今日はその続きです。さきほど読んでいただきましたが、「ムナのたとえ」として知られた話です。この話で最初に考えたいのは、「なぜ、イエス様はこのような話をされたのか」ということです。その理由は、9:11にあるように、人々、特に弟子達が、イエス様が都エルサレムに入られるのを前にして、イエス様が都に入られるとすぐにユダヤの王となり神の国を実現していると考えていたからです。イエス様は、神の国はすぐに来ないことを弟子達に教えるために、このような話をされたことが分かります。

◎それでは、神の国はいつ来るのでしょうか。それは、19:12~15にあるように、「ある家柄の立派な人が王の位 を受けて帰って来る」時です。すなわち、イエス様が王として再び、この地上に来られる時、つまり再臨の時であることをこの話は教えています。神の国は、イエス様がエルサレムに入られてすぐに実現するのではなく、イエス様が十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に復活され、その後、天に帰り、再び地上に来られる時に完成すること、だから、神の国が完成するまでには時間があることを、イエス様はここで教えておられるのです。

◎それでは、それまでの間、どう生きたらいいのか。そのことを今日のたとえ話は教えています。イエス様が再臨 される時まで、どうい生きたらいいのか。それは、19:13に「そこで彼は10人の僕を呼んで10ムナの金を渡し、私が帰って来るまで商売をしなさい」とあるように、イエス様から預かったお金を用いて商売をすること、すなわち、イエス様から預かった恵みを最大限、活用すると言うことです。この1ムナは、100日分の賃金に相当する金額です。1日1万円の賃金で換算すると100万円の金額です。有名な「タラントのたとえ話」(マタイ25章)では、旅に出る主人が3人の僕に、それぞれ5タラント、2タラント、1タラントを渡します。そして、帰ってきた時、前者2人はそれぞれ5タラント、2タラントを儲けますが、1タラントを渡された者はそのお金を土の中に埋めてしまったために主人から叱られます。1タラントは6000日分、約20年間の賃金に相当しますから、約1億円と金額は多い。このタラントは、一人一人に与えられた才能・能力・命と言えます。それに対して、ムナは、それよりも額は小さく、10人に平等に分配されていること、かえって来る機関も短いことを考えると、ムナとは、神の言葉・福音、イエス様からいただいた愛・恵みを意味すると言えます。ですから、この「ムナのたとえ」は、イエス様が再臨されるまでの間、それぞれがイエス様からいただいた神の言葉・福音・愛・恵みを最大限、活かし、福音を宣べ伝えること、伝道すること、主の愛と恵みを多くの人に伝え、証しすることを教えていると言えます。そのことが主イエスの福音・愛・恵みを受けた者の使命であり、役割であることを主自らが教えておられるのです。1ムナで10ムナ、5ムナを儲けた人がほめられ、何もせず布に包んでしまった人が叱られたのは、そのためです。

◎しかし、彼が叱られたのは、何もしなかったこと以上に、彼が主人を厳しい方であると思い、主人が恐ろしかったからだと述べていることです。主人、つまり、イエス様が恐ろしかったから何もしなかったと語っているのは彼の大きな誤解と言わざるを得ません。前回、ザアカイの話を取り上げました。徴税人で金持ちであったザアカイが悔い改め、正しい人間になることを宣言したのは、イエス様の愛に触れたからです。ザアカイはイエス様の愛に触れ、イエス様の愛に満たされ、喜びに満たされたから神の教えに従って生きることを決意したのです。つまり、信仰とは恐れから生まれるのではなく、主の愛・神の愛に触れて起こります。信仰とは喜びであり、主の愛に満たされることなのです。主の愛に満たされ、喜びに満たされた時に信仰が生まれ、伝道がなされていきます。恐れからは本当の信仰も伝道も生まれない。愛と喜びに満たされてこそ信仰が生まれ伝道が起こるのです。

◎さらにもう一つ、心得ておかねばならないことがあります。それは伝道には必ず困難が伴い、敵対者が現れると言うことです。19:14には「しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、我々はこの人を王にいただきたくないと言わせた」とあります。つまり、イエス様を王として認めたくない人達、イエス様を憎む人たちがいることを伝えています。イエス様は迫害されて十字架につけられました。初代教会のキリスト者も迫害されました。伝道には迫害や困難があります。その困難を乗り越えて今日世界中に福音が広がったことを知るのです。

◎現代に生きる私達もまた今日のメッセージを真剣に受け止めます。イエス様はやがて、再臨され、神の国を完成させてくださいます。それまでの間、私達は主のことを多くの人に宣べ伝え、神の国の完成に備え主の愛と平和を地上に広げていかねばなりません。与えられた賜物と共に、受けた福音・愛と恵みを活かして参りましょう。