説教『都エルサレムへの入城』(ルカ19:28~40)

2015年11月22日      主日礼拝・説教要約
説教『都エルサレムへの入城』(ルカ19:28~40)

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◎昨日は紫園香さんを迎えてフルートコンサートを開催しました。すばらしい演奏と証しをお聴きし、心洗われる豊かなひと時を過ごすことができました。紫園先生と仲立ちしてくださった春日理花さんに心より感謝します。教会歴では、今日は「終末主日」です。教会歴では待降節・アドベントから新年が始まりますので、今日が1年で最後の主日となります。次週から主のご降誕と再び来られる再臨を待ち望むアドベントに入り、新年に入ります。今日はまた、収穫感謝日となっています。今日は、そのことも覚えつつ、礼拝をお捧げしたいと思います。

◎さて、アドベントを前にしてふさわしい御言葉が与えられています。ルカ福音書19:28~40、イエス様が、いよ いよエルサレムに入って行かれるという場面の記事です。ご存じのように、イエス様は故郷ガリラヤから伝道を始められましたが、ある時からエルサレムに向かって旅を始められます。ルカ9章では、その時の決意がはっきり描かれています。そこから旅を続けられて、神の国の教えを語りつつ、一人一人と出会われ、愛の業をなさり、ついにエルサレムに到着されたのでした。今日の場面は、イエス様がつないであった子ロバを二人の弟子に連れて来させ、その子ロバに乗ってエルサレムに向かい、その際、弟子達の群がイエス様を歓迎して迎えた場面です。この話は、一体、どんな意味があるのか、何を伝えようとしているのか、どんなメッセージを伝えようとしているのか。今日は、そのことをしっかりと受け止め、この記事から2つのメッセージを聴いていきたいと思います。

◎第一のメッセージは、子ロバの話が伝えているメッセージです。イエス様は、オリーブ畑と呼ばれる山の麓にある二つの村、ベトファゲとベタニに近づいた時、二人の弟子を使いに出します。地理的にはエルサレムから3キロのベタニア村に到着され、ベトファゲ村に行って、つながれている子ロバを連れてきなさいと命じられたものと考えらえます。弟子達が行ってみると、確かに子ロバがつながれており、それをほどいていると「なぜ、ほどくのか」と尋ねられた。それで「主がお入用です」と言って、その子ロバを連れてきます。そして、イエス様はその子ロバに乗ってエルサレムへと向かわれたのでした。この子ロバの話は何を言おうとしているのでしょうか。その手掛かりを与えるのはマタイ福音書21:3~5です。ここにはゼカリヤ書の9章の言葉が引用されています。「シオンの娘に告げよ。お前の王がお前の所にお出でになる。柔和な方で、ロバに乗り、荷を負うロバの子、子ロバに乗って」、この預言が実現するためであるとあります。シオンとはエルサレムのことです。やがて来られる王、メシア・救い主は柔和な方で、子ロバに乗って来るというのです。馬が戦闘用なのに対し、ロバは庶民的で生活の中で使われる家畜です。しかも、子ロバですから、子ロバに乗って来るメシアとは、この世で最も弱く、貧しく、小さくされた人達と共に歩み、その苦しみ・悲しみ・辛さを担う方であることを伝えています。「柔和な人」とは、低くされた人、辱められた人を意味します。子ロバに乗って入城する救い主とは、低くされ、辱められ、苦しめられる。つまり、十字架につけられる救い主と重なります。子ロバに乗ったイエス様のことは4つの福音書すべてに記されています。子ロバに乗った柔和なイエス様こそ、十字架上で私達の重き罪を担い、私達の苦しみ・悲しみ・辛さ・困難を担って救いをもたらしてくださった救い主であることを伝えているのです。

◎今日の記事が伝える第二のメッセージは、子ロバに乗ったイエス様を人々が歓迎し、神を讃美して迎えたという記事が伝えるメッセージです。これも4つの福音書に共通していますが、人々の歓迎が伝えているのは、ユダヤ人がいかに救い主を待ち望んでいたかと言うことです。ユダヤはバビロン捕囚からの解放以降、ペルシャ・ギリシャ・ローマと言った大国に支配され続けました。それだけに、ユダヤの自由と独立を確立するメシア・救い主が切実に待望されました。そのような待望の信仰を、主イエス歓迎の姿の中に見ることができます。それはルカ2章のシメオンとアンナという二人の老人の信仰に見ることができます。もちろん、イエス様は政治的な独立を実現する王としての救い主ではありませんでした。そうではなく、十字架に架かることによって人類を罪から解放し、救い出す救い主でした。そのことが分かるためには、十字架と復活の出来事が起こり、十字架の信仰が生まれるまでの時が必要でした。実際、歓呼して迎えた群衆は「イエスを十字架につけよ」と叫びます。しかし、この時、群衆が歓呼して主を迎えたことは間違いではありませんでした。それは、19:39で主ご自身が「この人たちが黙れば、石が叫び出す」とおっしゃった言葉からも分かります。では、彼らは何と叫んだのか。それは、「天には平和。いと高き所には栄光。」です。「天の平和」とは、神の御子による救いの実現を意味します。主イエスが十字架に架かり復活することにより、神の御計画であった人類の救いが実現することを指しています。この「天の平和」は「地の平和」をもたらします。羊飼い達に主の誕生を知らせた天使たちは「いと高き所には栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」と讃美しました。主がもたらしたものは地の平和です。主によって心の平和、地上の平和は樹立されました。私達はそのことを信じて地上の平和のために尽くすのです。