説教『神のものは神に返せ』(ルカ20:20~26)

2015年12月27日            年末礼拝・説教要約
説教『神のものは神に返せ』(ルカ20:20~26)

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◎12月最後、今年最後の主日を迎えました。先週はクリスマス礼拝・祝会・集会が続きました。その一つ一つが祝されたことを感謝します。委員を初めとする教会の皆様のお祈りとご協力に感謝します。今年は戦後70年を迎えて、国内では、戦後、大切にしてきた憲法の土台・立憲主義、その柱である民主主義と平和主義が問われました。世界的にもテロが多発するなど不安と恐れが広がっています。しかし、そのように厳しい現実がある中、クリスマスのメッセージが告げる平和を胸に、確かな希望と信仰を持って、新たな年へと歩んで参りましょう。

◎今日、取り上げる聖書の御言葉はルカ20:20~26です。特に「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」は、大切な御言葉です。今日はこの御言葉を中心に語って参りたいと思います。さて、イエス様は故郷ガリラヤからの長い旅を経て都エルサレムに入られた後、神殿から商人を追い出したり、神殿で群衆に教えたりしておられましたが、宗教指導者達はそれを憎々しく思い、機会を狙ってイエス様を捕えようと考えていました。

◎そのような中で起こったのが、今日の論争・問答です。指導者達は民衆を恐れて、回し者を主の所に遣わして、主の言葉尻を捕え、主をローマの権力者に引き渡そうと論争を挑んできます。彼らは媚びを売るようにして主に語り掛けた後、こう尋ねます。「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」と。当時、ユダヤは、ローマ帝国の支配下にあり、ユダヤ人は帝国から人頭税を徴収されていました。ユダヤ人は異教徒であるローマ人の支配に反発し、納税にも反対していました。そのような中で尋ねられたこの問いには罠が仕掛けられていました。納税が律法に適っているといえば、イエス様は民衆の怒りを買い、主は民衆の袋叩きになります。異教徒であるローマ人は偶像崇拝者であることから、彼らに税を納めることは真の神を裏切ることだ考え、民衆は納税に反対していたからです。しかし、逆に、納税は律法に適っていないと言えば、主はローマの当局者に訴えられ、捕えられることでしょう。どう答えても窮地に追い込まれる汚い罠だったのです。

◎その問いに対してイエス様は、「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには誰の肖像と銘があるか」と尋ねます。デナリオン銀貨とは、一日の賃金に相当する額のローマ貨幣で、そこにはローマの2代目皇帝ティベリウスの名前と肖像と初代皇帝アウグステュスの銘が刻まれていました。彼らが「皇帝のものです」と書たえると、主は、こう言われました。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは返しなさい」と。この答えに、彼らは驚き、黙ってしまった。これが今日の話で菅、今日、私達が受け止めなければならないメッセージは、この最後の一言、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」に込められています。この言葉について、ある人は「イエスの言葉でこれくらい価値があり、歴史的に影響を与えたものはない」と言い、別の人は「ヨーロッパにおける国家観が根本的に転換した、そのきっかけになった言葉である」と言いました。しかし、この言葉は政治と宗教、国家と教会の関係を考える上で重要であるばかりでなく、信仰の在り方を教える上で、大変、大事な言葉です。今日は、この言葉から、イエス様が私達に対して教えられた、二つのメッセージを聴いて参りたいと思います。

◎その第一のメッセージは、皇帝のものと神のものを混同してはならない、区別せよということです。皇帝とは、この世の権力者・地上の権力者・世俗的な権力者です。それに対して、神とは、この世を越えた超越者であり、聖書的に言えば、この世の創造主であり、この世の究極的な支配者です。その両者を混同してはならない、区別せよというのがこの言葉が教えていることです。これは大変、大事なことです。例えば、当時、ローマ帝国の中では皇帝を神として崇拝する皇帝崇拝が行われていました。これは後に、皇帝を神と認めないキリスト者に対する迫害・弾圧の火種になっていきました。それはヨーロッパでは王・君主を神のように従うことを強要することが起こり、日本でも天皇を神と崇める天皇崇拝が起こりました。そうなった時、信教の自由はありません。クリスチャンは神ならぬ神とすることを拒否し、命懸けで抵抗し、その中から信教の自由を獲ち取ってきました。政治権力と宗教が結び着くと、政治も宗教も横暴になり、腐敗します。そこから政教分離の規定が生まれました。それは歴史的な教訓から生まれたものです。このように世俗的権力と神とを区別することは大事なことなのです。

◎第二のメッセージは「神のものを神に返す」ということです。「神のもの」とは何を意味しているでしょうか。創世記の1章に「神はご自分にかたどって人を創造された」とあります。我々人間は、神の像が刻まれた存在、「神のもの」なのです。私は私のものではなく、神のものである。この体・頭・心・魂、すべて神のものです。であれば、私達は私達自身を神に返さなければなりません。これはすべての人に言えることです。夫・妻・子どもすべてが神のものであり、神に返さなければなりません。この世界もそうです。神のものを私物化してならない。すべて神様にお返ししなければなりません。神の支配・主の支配を信じている私達は、政治・経済等すべての領域でそれを神の御心に適ったものにしなければなりません。神のものを神に返すことが求められるのです。