説教『信仰の新たな旅立ち』(創世記12:1~9)
◎明けましておめでとうございます。2016年、最初の主の日を迎えました。この1年が皆様にとって神の恵みと祝福に満ちた1年になりますようにお祈りします。新年を迎えると新たな思いになり、何か新しいことを始めてみよう、新たな旅に出てみようという思いになります。人生は旅だといいますが、毎日・毎週・毎年、私達は、新たな旅に出ています。毎週の礼拝では祝福・派遣により新たな1週の旅に出ます。旅の連続が人生と言えます。
今日は新たな一年の旅立ちの時として、創世記12:1~9を取り上げてアブラハムの信仰に学びたいと思います。
◎アブラハムは「信仰の父」と呼ばれます。それはユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通しています。その信仰は旅立ちの時に良く表れています。まず冒頭の12:1は「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私が示す地に行きなさい」と言う言葉で始まります。唐突な感じがしますが、ここでは有無を言わせない神の命令の言葉が神に選ばれた人・アブラハムに下されます。人間の事情や思いに先立って神の言葉が先立つことを表しています。
もちろん、11章の最後の所には、父テラがカルデヤのウルを出てカナンに向かい、ハランまで来てそこで生涯を終えたことが書かれています。アブラハムはその父の思いを受けてカナンに向かったことが考えられますが、聖書では、アブラハムの旅立ちは人間的な思いからではなく、神の言葉・命令によってなされてことが示されています。ここから私達は、神様の言葉・命令・御計画は私達の思いに先立つこと、神の言葉が示す現実は私達の現実に先立つことを教えられます。たとえ厳しい現実があっても神の言葉が示す現実はある。たとえ闇が覆っていても神の光がある。闇を光に変える神の言葉があることを私達は教えられます。何と力強い教えでしょうか。
◎続く12:2~3には「あなたを大いなる国民にし、あなたを祝福しあなたの名を高める。祝福の基となるように。
地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」とあります。ここにはアブラハムを祝福の基としてこの世界のすべての民が祝福に入るという神の御計画があったことが示されています。この神様の壮大な御計画を実現するためにアブラハムが選ばれたのです。神の言葉・命令の背後には必ず神の御心・御計画があります。その御計画を実現するために私達は選ばれます。それが神の召し・召命です。神様は私達一人一人を召しておられるのです。
◎ところで、ここには「祝福」と言う言葉が5回出てきます。これは創世記に記されている5回の「呪い」に対応している、とある人は言います。創世記3章の禁断の木の実を食べた罰として蛇と大地が呪われる話、弟アベルを殺した兄カインに対する呪いなど、人間が罪を犯したことによって呪われる存在となった人間と大地、生き物達に祝福をもたらすため、この世界のすべての人・世界全体に祝福をもたらすためにアブラハムは選ばれたのです。神様の恵みと祝福は、日の光が注ぐようにこの世と人々に垂直的に注がれると同時に、人から人へと横に、水平的に広がっていきます。使徒言行録16章に「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます」とあるように、神の救いと恵み・祝福は一人の人から次の人へと横に広がっていきます。いわば神の祝福のネットワークが全世界に造られていきます。その祝福の拠点・基としてアブラハムが選ばれたのです。
◎そのような神様の言葉・命令が与えられ、また、神様の御計画・約束が語られた時、アブラハムは「主の言葉に従って旅立った」と書かれています。ここにはアブラハムの思いなど一切、書かれていません。聖書はただ一言、「主の言葉に従って旅立った」と書くのです。後の人々は、ここにアブラハムの信仰を見ました。心に去来する様々な思いをしまい込んで、ただ彼は召し出す神を信じ、頼りとして旅立ったのでした。旅立つということは故郷を離れることです。故郷を離れるには様々な夢や希望があり、決断が必要です。私達もまた故郷を離れた者です。
ただ、アブラハムが私達と異なるのは、彼がただ神の言葉によって故郷を離れ、旅立ったということです。神の言葉・命令に従った旅立ちだったのです。しかも、神が行けと命じた地はカナンです。カナンはウルやハランと異なり、乾燥した荒野や砂漠の多い地であり、民族間の争いが激しい紛争地です。生きるのに厳しい土地になぜ、神様はアブラハムに行けと命じられたのか。それは、呪いを祝福に変えるためです。祝福から最も遠い所に祝福
をもたらすために神はアブラハムを選ばれたのです。ここで思い起こすのは、イエス様のことです。イエス様もまた、罪ある世界、私達・罪人の元に来てくださいました。それは、罪の赦し・救いをもたらすため、祝福をもたらすためです。私達も過酷な地に行けと命じられる時があります。しかし、それは神の救い・愛・平和・祝福をもたらすためです。家庭や職場、地域、国、世界に神の愛と恵み、祝福をもたらすことが私達の使命なのです。
◎ヘブライ書には「信仰によってアブラハムは、行先も知らずに出発した」とあります。「自分は行先を知らないけれど、神様はご存じだ」、という信仰によって知らない地にも出て行ったのです。信仰は冒険でもあります。冒険によって人生と世界は拓かれていきます。この時、アブラハムは75歳でした。年齢や能力は関係ありません。ただ神に従うことが大事なのです。神様は必ず約束を実現されます。私達も新たな旅に出て行きましょう。