説教『人は皆、神によって永遠に生きる』(ルカ20:27~40)

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◎今日は1月17日。阪神淡路大震災から21年を迎えました。昨日、テレビ番組「こころの時代」で防災学者の室崎益輝(よしてる)さんがお話しておられました。震災に遭って4つのことを感じたと言います。一つは自然の脅威・怖さ、二つ目は人間の愚かさ、三つ目はこの悲しみを後世に伝えていくべきこと、四つ目に人間のすばらしさです。私達は多くの貴い犠牲者を出した震災から学んだ教訓を後世に伝え、生かしていかねばなりません。
◎さて、今日も聖書の御言葉から神様の御声・メッセージを聴いて参りましょう。今日取り上げるのは、ルカ20:27~40です。イエス様はエルサレムに入られてから神殿で教えておられましたが、そのイエス様に対して宗教指導者達が論争を挑んできました。今日は復活を巡っての論争記事です。冒頭の20:27には「復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄りイエスに尋ねた」とあります。サドカイ派とは祭司や貴族からなる党派で、神殿宗教を特徴とし、モーセ五書だけを正典とします。保守的で現実主義的、合理的な考え方をします。ですから、霊や天使の存在、死後の裁き、復活などを否定します。復活を信じるファリサイ派とは異なります。

◎そのサドカイ派の人々が尋ねます。7人の兄弟がいて長男が妻を迎えて結婚した。子どもがないまま死んだので、次男の妻となった。次男も子どもがないまま死んだので3男の妻となった。次々に7人の兄弟と結婚して、遂に妻も死んで復活した時、その妻は誰の妻かと。これは律法の規定(レビラート婚)に基づく話ですが、何か実に軽薄な論理を持って来た感があります。愛する人の命、あるいは、自分の命は、死後どうなるのかといった真剣な問いとは異なる、議論のための議論、ためにする議論と言えます。同じ話がマタイ福音書とマルコ福音書にあ
りますが、そこでは、イエス様がこう言われます。「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのだ」と。確かに、サドカイ派の人達は、復活の問題をこの世の現実の延長線上で考えようとしています。これは私達もやりがちですが、復活とはこの世の現実の延長にあるものではありません。人間の能力や知力を超えた出来事です。サドカイ派の人達の問題点は、彼らが復活を人間の理解可能な枠組みで考えようとしたことです。それは、聖書も神の力も知らないことを暴露するもの、聖書読みの聖書知らず、と言えるでしょう。

◎そのような質問に対してイエス様は二つのことを語っておられます。最初に語られたのは、20:34~36にあるように、「この世ではめとったり嫁いだりするが、次の世ではめとることも嫁ぐこともない。復活にあずかった者達は天使のようなもので、神の子であり、もはや死ぬことはない」ということです。パウロはコリントⅠの15章で「霊の体に復活する」「最初の人は地に属し、第二の人は天に属する者だ」と書いています。復活とはこの世の現実を超えた出来事であり、この世の人間の在り方を超えた存在となることをイエス様は教えるのです。

◎ここで気になる表現があります。「復活するのにふさわしいとされた人々」という表現です。換言すれば、救われる人と救われない人、復活する人としない人がいるということです。確かにそのように人間を二分する考え方は聖書の中にありますが、他方、信じる・信じないにかかわらず、すべての人が救われるというのも、もう一つの真理です。コリントⅠ15章には「アダムによって人が死ぬようになったように、キリストによってすべての人が生かされる」とあります。たとえ福音を知らずに死んだ人にも主は福音を告げ知らせ、霊において生きるようにしてくださいました(ペテロ4:6)。ルカ20:38に「すべての人は神によって生きている」とあるように、すべての人に永遠の命・復活の命が与えられているのです。私達は、このことを心に留めておきたいと思います。

◎さて、これまでが主イエスの答えの前半部分ですが、後半の20:37・38では、こう言われています。「死者が復活することは、モーセも柴の箇所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は神によって生きているからだ」と。確かに出エジプト3章で神は「私は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語っています。「であった」という過去ではなく「である」と神ご自身が語っておられる。であれば、神様は、今、生きておられるのだし、
アブラハム・イサク・ヤコブも生きている。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。そしてその神によって死んだ者も今、生きている、生かされている。すべての者は今なお生きており、永遠の生きるのだ。そうおっしゃるのです。私達は永遠に生きる神とつながっています。そうであれば私達も永遠に生きるのです。

◎17世紀に活躍した科学者・哲学者、パスカルは熱心な信仰者・クリスチャンでした。彼は1654年11月23日、31歳の時に決定的な回心をしています。死後発見されたメモには「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者及び科学者の神にあらずして。イエス・キリストの神。永遠の命とは、唯一の真の神であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」とあります。主イエスの復活により、私達には復活の命が約束されました。主イエスを知ることにより、復活の命・永遠の命は私達に確実に与えられるのです。