◎9月最初の日曜日・主の日を迎えました。子どもたちは夏休みも終わり、2学期が始まりました。まだ夏休み気分が抜けきらないと思いますが、この2学期もそれぞれの目標に向かって元気に歩んでほしいと思います。教会でも、この秋は、色々な行事が予定されています。敬老の日礼拝、40周年記念講演会、教会修養会、バザー、餅つきなど、その一つ一つが祝福され、実りあるものになるように教会が一つになって取り組んで行きたいと願っています。さて、この夏、私達の記憶に残っているのは、リオオリンピックのことです。ここに何人か、メダルをとった選手の写真を持ってきましたが、日本の選手もよく頑張りました。このメダルを得るために選手たちは毎日毎日、苦しい練習を積み重ねてきました。何年も目標に向かって全力で走り続けてきたのですね。
◎さきほど読んでもらった聖書の言葉にはこうありました。「なすべきことはただ一つ、うしろのものを忘れ、前のものに全力を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」。つまり、「目標を目指してひたすら走れ」と教えているのです。このように教えているのは、パウロという人です。パウロは、今から2千年前、命を懸けて世界中にイエス様のことを伝えた人で、各地に教会を建てた人でもあります。今日は、パウロという人についてお話します。そして、パウロのいう「目標」とはどういうことかを学び、私達の目指す本当の目標とは何かについて一緒に考えていきましょう。
◎ ここに紙芝居を持ってきました。これを見ながらパウロのお話をしましょう。パウロは、若い頃、サウロと言ったのですが、その頃、サウロはイエス様を信じる人達を迫害していました。イエス様を信じるクリスチャンを次々に捕えて牢屋に送り込んでいました。そして、ダマスコと言う町にクリスチャンが多くいることを聞き、大祭司に手紙を書いてもらい、大勢のクリスチャンを捕えようと考え、仲間と共にダマスコの町に向かいました。その途中、サウロは突然、天からの強い光に照らされて地面に倒れ伏しました。その時、誰かの声が聴こえました。「サウロ、サウロ、なぜ、私を迫害するのか」。サウロは尋ねました。「あなたは誰ですか」。すると、その声はこう答えました、「わたしはあなたが迫害しているイエスです。さあ、町に生きなさい。そこであなたがすることがわかります」と。つまり、復活したイエス様がサウロに出会ってくださったのでした。
その後、サウロはアナニアという人に出あい、イエス様のことを教えられました。そして、イエス様のことを信じ、世界中にイエス様のことを知らせるようにと告げられました。すると、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになりました。その後、サウロはアナニアのすすめで洗礼を受け、イエス様を信じるクリスチャンになったのでした。そして、サウロはパウロと言う名前に変えて、世界中にイエス様を伝える伝道者になったのでした。あのパウロの働きによって各地に教会が生まれ、教会の基礎を作ったのでした。
◎このようにパウロは、イエス様のことを伝えるために一生懸命に祈り、また、働きました。その途中でパウロは迫害にあったり、捕えられて牢屋に入れられたり、鞭を打たれることもありました。また、船で海を渡ろうとしていた時に、嵐にあって船が沈んでしまい、死にそうになったこともありました。しかし、パウロは、世界中の人達にイエス様を伝えるために命をかけたのでした。それは何のためだったのでしょうか。それは、神様から賞を得るためでした。さっきの言葉の中に「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために目標を目指してひたすら走ることです」とありました。パウロは、神様からの賞を得るという最終的な目標を目指して、イエス様のことを世界中に知らせるために、自分の命をかけて、ひたすら走り続けたのでした。
◎皆さんも、一人一人、それぞれの目標をもって、その目標をめざしてがんばっていることと思います。ある人は勉強に励み、ある人は野球やサッカーなどのスポーツに励み、ある人はピアノやギターなどの音楽に励み、毎日、頑張っていることと思います。でも、私たちの最後の目標は、神様にほめていただくこと、神様に喜んでもらうこと、神様からの賞を得ることです。そして、神様の栄光を現すこと、これが私たちの最終的な目標です。
◎そのためには、どうしたら神様は喜んでくださるかを考えなければなりません。けんかをしないで仲良く過ごすこと、人に親切にすること、人のことを思いやり優しくすること、間違ったことをせず、正しいことをすること、そのようなことが神様に喜ばれることではないかと思います。そのように神様に喜ばれることはどういうことかをいつも考え、聖書を読み、また、神様に祈ること。そうすることによって神様の思いが分かるようになります。
◎また、「ひたすら走ることです」とあるように、まわりの人に左右されず、また、過去のことでくよくよせず、また、将来のことで不安に持ったり心配しすぎたりせず、ただ前にある目標に向かってひたすらに走ることです。ただ目の前に神様とイエス様だけをみつめながら、ひたすら走ることです。この2学期も、途中で、いろいろと大変なことがあるかもしれませんが、ただただ神様とイエス様を見つめながらひたすら走ってまいりましょう。