説教『弱い人こそ必要なのです』(Ⅰコリント12:14~26)

2016年11月13日    子ども祝福・全体礼拝・説教要約

◎今日は、大人の人と子ども達が一つになって礼拝を捧げます。いつもはそれぞれに礼拝を捧げていますが、教会に集う人は皆、家族です。神様がお父さん、イエス様がお母さん、私達はその子どもです。大きいお兄さんやお姉さん、小さい弟や妹からなる兄弟姉妹であり、家族なのです。特に今日は、子ども達に神様の祝福があるようにと、共に祈る祝福式があります。一人一人の子どもたちの上に神様の恵みと祝福が豊かにあるように祈ります。

◎さて、先ほど、聖書の言葉を読んでもらいました。その言葉は、パウロさんがコリントという街の教会にあてて書いた手紙の中の言葉ですが、私達の体のことが書かれていました。「体は、一つの部分からではなく、多くの部分からなっています」とあります。例えば、私達の体は上から頭・胴体・両手・両足があります。頭の部分は、頭があり顔がありますが、顔には、まゆげ・目・鼻・口・耳があります。私達の体は多くの部分からなっているのですね。しかも、そのどれもが大事な働きをしています。目は見る働き、耳が聞く働き、鼻は臭いをかいだり、呼吸する働き、口は食べたり、飲んだり、話したり、呼吸をしたりする働きがあります。手は物をつかんだり、握ったり、押したり、引いたりする働き、足は立ったり、歩いたり、走ったりする働きがあります。どれも大事な働きをしていて、どれもなくてはならない、とても大事なもので、一つでもなくなったら大変、困ります。

◎だから、パウロさんはこう言っています。「目が手に向かって『お前はいらない』とは言えず、頭が足に向かって『お前はいらない』とは言えない」と。一つ一つが大切な働きをしており、いらない者はない、みんな必要だと言うのです。しかも、パウロさんは「体の中で弱く見える部分が必要なのです」と書いています。体の中でも頭や足や手は強いでしょ。それに対して耳や鼻は弱いかもしれません。パウロさんは、そういう弱い部分が必要なのですと言います。耳や鼻がなくなったら大変、困ります。そして、最後に、互いに苦しみや喜びを共にして仲良くしましょう、お互いを大事にしましょうと言っています。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」と書いているように、苦しみと悲しみ、喜びを共にする。一つにする。そして、仲良く協力して一つの体を作っていく。それが私達の体ですよと教えています。

◎でも、なぜ、パウロさんはこんなことを書いたのでしょうか。この「体」とは何を指しているのでしょうか。実は、この「体」とは「教会」を指しています。「教会」は「キリストの体」というように、「体」と言えます。「頭」はイエス様ですが、その他の体の部分は教会の一人一人が担っています。目の役割をする人、耳の役割をする人、口の役割をする人、手の役割・足の役割をする人など、教会に集う人がすべて、一つ一つの役割を担う大切な人であり、そのすべての人によって教会が作られ、働いているのです。教会に集う人すべてが役割を持っていて、一つの体のように教会を造っています。しかも、弱い部分が必要であり、すべての人が必要なのです。

◎このことは教会だけでなく、学校や幼稚園、会社でも同じことが言えます。クラスの中にいる人はすべてが役割を担っていて、そのすべての人によって一つのクラスが成り立っています。みんな大切な人であり、必要な人なのです。皆の中で「この人はいない方がいい」「こんな奴はいない方は言い」と思ってことがありますか。もし、そのように考えたことがあったなら、それは間違いです。皆、必要なのです。大切な、大切な存在なのです。

◎このことは、もっと広く世の中全体、社会全体、世界全体においても言えます。色々な人がいるけれど、みんな、必要な人・大切な人なのです。特に弱く見える人、病気の人、ご高齢の人、様々な障がいを持っている人は必要です。そのように弱く見える人は、私達に大切なことを教えておられます。一人一人が大切な存在であること、互いを大切にし合い、優しくすること、他に助け合うこと、共に一緒に生きて行くことなど教えておられます。そのように弱く見える人を助け、弱く見える人と一緒に生きて行く時に、神様に喜ばれる世界になっていきます。

◎最後に、静子さんの話をしましょう。静子さんという6歳になる女の子がいました。静子さんは、3歳の時に、高い熱が一週間続いたために、手足が動かなくなり、話すことも食べることも、トイレも自分でできなくなり、体が動かせない不自由な体になりました。お父さんとお母さんは悩み、苦しみました。そして、お母さんは伊藤先生の所に相談に行きました。すると、伊藤先生は「お母さん、笑ってください。お母さんが笑うんですよ」と笑うことを教えました。お母さんは、最初、笑えませんでしたが、食事の時やお風呂の時など、笑うように努力しました。すると、数カ月して静子さんが笑うようになりました。静子さんの家には笑いが溢れるようになりました。それを知った近所のお母さんたちが静子さんの笑顔を見るために、静子さんの家に来るようになりました。近所の子ども達も集まるようになり、中高生のお兄さん・お姉さんがリヤカーに静子さんを乗せて遊ぶようになりました。静子さんは次第に近所の人の人気者になりました。静子さんは、20歳の時に天国に行きましたが、その時、400人が集まったと言います。静子さんは、その地域を優しい地域にした天使と言っていいでしょう。