説教『恐れるな、わたしはあなたと共にいる』(イザヤ43:5)

2016年11月6日 神学校日礼拝(井口拓人兄)・説教要約

◎不況のあおりを受け、かりそめの繁栄の後に残される、仏壇屋。担がれる神輿、神社になだれ込む夏の夜。小さい頃、家に帰ると、両親の取っ組み合いの喧嘩に、心閉ざされ思う。「ああ、人間にはひとかけらの愛などない」と。今は思う、解き放れるような思いで、「主イエス・キリストこそが愛なのだ」と。キリスト教とは全く無縁で育ち、しかし思えば、神様イエス様は僕に語り掛けていた、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」と。きっと皆も思い出す瞬間がある。神が共にいることを。

◎イザヤ書の民は複雑な国際関係に揺れ、闘いに翻弄され、大国バビロニアに屈服した。神殿は廃墟と化し、異国へと強制連行されていく民。新年に異教の神像の、神輿担がれ、神殿になだれ込む祭りの熱狂と興奮。商売繁盛の神々に、連行された民の中の、生き延びるための商売の繁盛にひれ伏す人々。沈黙のうちに、故郷も忘れ、神様も忘れていく。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」。この言葉は、虚しく諦めという名の空に消え去っていく。もし、7今の自分の信仰がなくなったとしたら?イエス様も神様もいないと、ある日宣言され、実際見せられたら?神様イエス様に大事に大事にされてきた自分の、歩んできた足跡を振り返る時、一緒に歩いたイエス様の足跡がかき消されるとしたら?それは言葉にできないはず。民は、まさにその現実の中に捨て置かれていた。否定される神、沈黙の中、ただ佇む。だが、荒れ野で叫ぶ声がする、「恐れるな。私はあなたと共にいる」。聖書を貫く、言葉が沈黙を突き破って発せられる時、今、あなたに、はじけるような勇気を与える。神様はいる、私達と共に。

◎洗礼を受けた十年前。応援団長としての闘いの連続。勝利と同時に、負ける相手の選手の涙を何度も見、気づく。真に応援しなければならないのはスポットライトを浴びる選手たちではない。この世界でスポットライトを浴びることなく人生の舞台の裏で沈黙させられ、立ち尽くしている人達なのだと。その時僕はひとり聖書を手にした。人間としてどうあるべきなのか必死に手探りで探すように。自分こそが実はイエス様からずっと応援され続けていたと分かった。神戸の山の上の小さな教会の、心癒す光満ちる場所で「ああ、神様は本当にいる」。説教がなければ生きることはできなかった。神学校に行きたいとの思い。自分は
死んだ、イエス様に全てをかけていこう!と。洗礼を受ける前日、神戸の海、オレンジに輝く海を眺め、夕陽落ちて、空と海の境目が分からない漆黒の闇を見つめていた。洗礼を受けたから今こうして生きている。今ではわかる。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」心が折れる時、神様がいつも一緒にいると信じて何度も立ち上がり、神様に委ねて祈ったことがきっと誰にもある。敗北の絶頂の中で生み出された旧約聖書。信仰を確かに抱きしめ、何度も立ち上がろうとした旧約聖書の福音書イザヤ書を書き残した人の叫び。たとえその声は小さくとも、神様には必ず届くと信じて。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」この言葉はあなたへの言葉。いつの日か救い主が現れる預言。この救い主はイエス様でしかありえない。

◎来月はクリスマス。「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は「神は我々と共におられる」。マリアに呼びかける天使の言葉、「恐れることはない。主があなたと共におられる」。…聖書を貫く鍵、人々を立ち上がらせ、勇気をもって突破口を開いた神の約束は、決して過去のものではなく2016年の皆さまへの約束、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」という事実は揺らぎはしない。「恐れるな」、とは新しい地平を切り開く勇気の言葉。心配いらない。あなたを支え、助け出す。私たちも信仰が試されるときがある。人生劇場という舞台の袖の暗がりに捨てられ、もはや語ることができず、ただ、それを生きうるだけの、乗っていた船が座礁する時があると。

◎去年の夏ごろから始まる人間不信に、疲れ切って深夜、深い霧立ち込めた寮に帰ってくる。理由もわからないままで、学校では誰とも口をきくことができず、教会にもいけない。しかし、たとえ言葉を失ったとしても、失ってはならないもの、主イエス・キリスト。今それを必死に守ろうとうずくまる。イザヤ書の民と共に。鶴北の皆に支えられて生きている自分に本当に申し訳なく思い、その破れを抱えながら神様に支えられながら生きている。「自分は牧師になる資格がありませんので、学校を辞めます」。校長は唇を震わせて叫んだ「牧師に資格なんかない。みんな神様に支えられてやっているんだ!」。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」。そう元気づけ、イエス様自らは十字架にかかり、あなたを生かす。皆と今を生きぬきたい。卒業する時には、ただ穏やかに微笑みをうかべながら、皆さまに安心して送り出されるように。神様イエス様は共にいると笑って言えるように。残された日々を鶴北の皆様と共に神様イエス様に委ねていこう。なぜならば、「恐れるな、私にあなたに神様はイエス様と共にいる」のだから。