説教『クリスマスの大きな喜び』(ルカ2:8~20)

2016年12月25日       クリスマス礼拝・説教要約

◎今日、私達は主イエスのご降誕を祝うクリスマスを迎えました。待降節に入ってから4週間、私達は「主イエスよ、来てください!」との熱き祈りを捧げながら過ごしてきましたが、今日、その日を迎えることができました。今日は、それに加えて3人の方が私達の教会に加えられました。このことも大きな喜びです。3人の方を導かれたのは神様です。私達は主のご降誕と3人の方の転入を機に、新たな思いで信仰の歩みを始めたいと思います。

◎さて、先週の主日礼拝では、主イエスの道を備えた洗礼者ヨハネが誕生し、父ザカリヤが神を讃え、我が子の行く末を預言した記事を取り上げました。そして、昨日のイブ礼拝では、家畜小屋でお生まれになった主イエスの誕生の場面を取り上げ、主が誰のために、また、何のためにこの世に来られたのかを心に留めました。それに続く今日の記事は、その救い主誕生のニュースが天使によって羊飼い達に伝えられた場面を取り上げます。今日は、この記事を通してクリスマスの意味を深く知り、クリスマスの大きな喜びを共に分かち合いたいと思います。

◎まず2:8によると救い主であるイエス様の誕生のニュースが最初に告げられたのは、野宿をしていた羊飼い達であったといいます。羊飼いは旧約聖書ではアブラハムやダビデ、モーセもそうであったように大切な仕事でした。しかし、当時は貧しい仕事・賤しい仕事されていました。では、なぜそのような羊飼い達に救い主誕生の知らせが告げられたのでしょうか。それは彼らが貧しく虐げられていたからです。神様は世の貧しい人達・虐げられた人々・小さく弱くされた人達を深く憐れみ、救いの手を差し伸べられます。福音は低き人々に与えられるのです。

◎さらに天使が現れた時、彼らは非常に恐れたとあります。この恐れは何を表しているのか。それは畏れ多い神の前に立てない人間の弱さ・小ささ・無力を表しています。また、裁きの神の前に立てない人間の罪深さを表しています。しかし、天使は彼らに「恐れるな」と呼びかけます。裁きの神は、同時に愛と憐れみの神、救いの神、恵みと祝福の神である。これから告げるのは「救い」の知らせである。だから「恐れるな」と呼びかけるのです。

◎そして、天使はその救いを告げる前に「民全体に告げる大きな喜びを告げる」と呼びかけます。民全体とはイスラエルの民全体というより全世界のすべての民ということです。福音記者ルカが伝えようとする福音は全世界に向けられているからです。その「救いの知らせ」は悲しい知らせでも、恐ろしい知らせでもなく「大きな喜び」であると告げます。ではどのような知らせなのか。それは「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主が生まれた。この方こそ主メシアである」というものでした。「ダビデの町で」とは、救い主がダビデの故郷・ベツレヘムで生まれると預言されていたことを指します。これまで待ち続けてきた「救い主」が生まれた。しかも、「今日」生まれたこと、さらに「あなた方のために」生まれたことを告げます。これは歴史の大きな事件、転換点、「救い」がこの世界についに到来したことを告げる大事件であり、大きな喜びであることを知らせたのです。

◎さらに、その救い主のしるしは「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」だと告げます。最も貧しい所に生まれた弱く小さく無力な赤ちゃんが「救い主のしるし」だというのです。ここには神様がこの世の弱く貧しく苦しむ人々を深く憐れみ、その苦しみを担い、そこから救い出すために救い主をお送りくださったことが示されています。そのような救い主とは、世の弱く貧しく苦しむ人々と共に歩まれ、最後はそのような人々を救い出すためにその重い罪を背負って十字架にお架かりになった救い主イエスを指し示していると言えないでしょうか。

◎そのように救い主がこの世に誕生をしたことが告げられた時、大勢の天使達が神を讃美したと言います。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」と。救い主の誕生によって「天には神に栄光あれ、地上には平和があれ」と神を讃えたのです。しかし、「御心に適う人に平和あれ」とは、「御心に適わない人には平和はない」ということでしょうか。「御心」とは「善意」とも訳せます。従って「地には平和、人々には善意あれ」とも訳せます。救い主の到来によって「地上に平和、人間には善意が実現する」と理解することができます。しかも、天の軍勢が賛美したという所に、救い主の到来が神の御心に適う出来事だったことが示されています。救い主の到来は、神に栄光を、地上に平和を、人々に善意をもたらす神の出来事だったのです。

◎この天使のお告げと讃美を聞いた羊飼い達は主の元へ向かい、そこで主イエスに出会い、主を拝みました。そして、そのことを人々に知らせました。しかし、それを聞いた人々は不思議に思ったと言います。疑問に思った、疑ったというのです。彼らはつまずきました。救い主は力強い王として来ると信じていたからです。しかしなぜ、神様は弱く貧しい無力な救い主を与えたのでしょうか。救いと平和は力や権力、富からは生まれない、救いと平和は愛と信頼、謙遜と柔和から生まれるからです。真の平和は神との平和から生まれます。神との平和の障害となっているのは人間の罪です。罪を取り除くことによって神との平和が生まれ、そこから自分との平和、隣人と平和が生まれ、地上の平和が実現します。この平和を実現したのがイエス様です。これがクリスマスの喜びです。