説教『救いの道を備えた人』(ルカ1:57~80)

2016年12月18日    アドベント礼拝(4)・説教要約

◎待降節第4主日を迎えました。早いもので、あと1週間でクリスマスを迎えます。待降節は悔い改めの時です。日々悔い改めつつ、主イエスの来臨を心から待ち望みつつ、この1週間、祈りをもって過ごして参りましょう。
先週は、主イエスを身籠ったマリアが、同じように神様の働きかけによって洗礼者ヨハネを身籠ったエリサベトを訪問し、その祝福を受け、マリアが喜びに満たされて神をほめたたえた讃歌からマリアの信仰を学びました。今日は、それに引き続いて主イエスに先立って洗礼者ヨハネが誕生し、その父ザカリヤが神を讃えた場面を取り上げ、そこに込められたメッセージを聞いて参りたいと思います。まず前半のヨハネ誕生の記事を見て行きます。

◎マリアはエリサベトを訪問し、そこに三か月滞在しますが、その後、エリサベトは男の子を産みます。初産で、高齢出産であったこともあり、近所の人達や親戚が集まり、主がエリサベトを大いに慈しまれたと喜びあったと言います。命の誕生はいつの時代でも、またどこにおいても大きな喜びです。周りの人々は大変、喜びました。しかし、子どもを授かったエリサベトの思いは周囲の人々の思いとはまったく異なっていました。それは8日目に命名する時に明らかになります。周囲の人達は父親の名前を付けると思っていたのですが、エリサベトは「名前はヨハネとしなければならない」と言います。人々は「あなたの親類にそのような名のついた人は誰もない」と言って反対します。それで人々は夫のザカリヤに尋ねます。すると、口の利けないザカリヤは「神から与えられたヨハネという名を付けなければならない」と板に書きます。人々は驚くのですが、ザカリヤとエリサベトにとって、この子の名は神から授かったヨハネ以外にはなかったのです。ここに二人の信仰を見ることができます。

◎この時、10か月程の沈黙の生活を強いられていたザカリヤの口が開き、舌がほどけ、神を讃美したと言います。ある人は、この時、ザカリヤは回心したと書いています。神殿で天使から「あなたの妻は男の子を産む」と告げられた時、彼はそれを信じなかった。それ以来、ザカリヤは口が利けなくなりました。その沈黙の10か月の間、ザカリヤは自分の信仰を問い直し、回心したのでした。私達にも信仰の試練の時があります。しかし、その試練を経て、私達の信仰は深められ強くなります。私達の信仰が鍛錬されることがあることをこの話は伝えています。

◎この時、ザカリヤが讃えたのが、冒頭の「ほめたたえよ」のラテン語訳「ベネディクトウス」と呼ばれる讃歌です。この讃歌は、前半で救いの到来を告げて神をほめたたえており、後半で救い主の先駆者としての我が子のことが預言されています。まず前半から見て行きましょう。冒頭の68~69節で「神は我らのために救い主を地上の送られた」と神を讃えられています。その際、「主はその民を訪れて、解放し」とあります。「訪れる」とは、ただ民に「目を留める」だけでなく、民に近づき「訪ねる」ほどの強い神の愛の強さを表しています。「解放し」とは「贖う」とも訳されます。「贖(あがな)う」とは「お金を出して奴隷を買い戻し、自由にすること」です。主イエスがご自分の命によって罪人であった私達を買い戻し、罪から解放してくださったことを表しています。

◎では、救い主がもたらす「救い」とはどのような救いなのでしょうか。それは「彼らの敵の手からの救い」です。「我らの敵」とはサタンのことであり、私達の内なる罪を指します。救いとはサタンと罪から救いです。77節の「罪のゆるしによる救い」を指しています。ここには主イエスの十字架による罪の赦しが先取りされていると言っていいでしょう。しかも、この「救い」は、アブラハムへの神の誓い「あなたを祝福の基とする。あなたの子孫は敵に勝利し、その子孫によってすべての民は祝福に入る」に約束されていたこと、また、預言者が預言していたことの実現と言えます。では、なぜ、神様は誓いを忘れず、私達を救おうとされたのでしょうか。それは「神の憐れみ」、自分の独り子を犠牲にするほど真実な神の愛によってです。これがクリスマスが告げる福音です。

◎そのようにして神の深き憐れみによって救われた者は、人間性も生き方も大きく変えられます。73~74節にあるように「生涯、主の御前に清く正しく」「恐れることなく主に仕える」者にされます。これはパウロがローマの手紙12章以下に書いている「キリストによる罪の救いに与ったキリスト者の新しい生き方」と言えます。

◎讃歌の後半において、父ザカリヤは我が子の行く末を預言して神を讃えます。生まれたヨハネは「主に先立って行き、その道を備え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」と言います。ルカ3章以下にヨハネの活躍が描かれていますが、父の預言通り、洗礼者ヨハネは救い主であるイエス・キリストの救いの道を備えたのでした。今日の説教題は「救いの道を備えた人」です。「道を備える」ことは大事なことです。私達もまた、救いに至るまでの「道を備えて」下さった方がおられます。今度は私達の方が誰かの救いの道を備えなければなりません。

◎そのような救いの計画は「我らの神の憐れみの心による」ものです。真実な愛とはらわたが痛むほどの愛によって救いは到来するというのです。その救いの光は「暗闇と死に座する者達を照らし、我らを平和の道に導き」ます。この救いの光こそ主イエスです。主こそ暗黒の中の光です。その救いの光がやがてこの世に到来するのです。