説教『すべての人を照らす救いの光を受けながら』(ルカ2:21~38)

2017年1月1日            新年礼拝・説教要約
説教『すべての人を照らす救いの光を受けながら』(ルカ2:21~38)

◎明けましておめでとうございます。新年・2017年が始まりました。このようにして元旦に会堂に集い、神様に礼拝を捧げることによって新年をスタートできることを心より感謝します。教会歴では待降節から降誕節に入っています。救い主を待つ時から救い主と共に歩む時へと移りました。先週、クリスマスを祝いましたが、新年はクリスマスの喜びを抱きながら迎えます。この1年もクリスマスの喜びを携えながら共に歩んで参りましょう。

◎今日も御言葉を通して新たな命と力、愛と恵みを受けて参りましょう。先週は、主のご降誕のニュースが天使によって羊飼い達に伝えられたこと、また、その知らせを聞いて羊飼い達が主の元に駆けつけ、主を拝んだことを見てきました。今日は、その後、主が両親に連れられてエルサレムの神殿に参り、そこで二人の老人に出会い、二人が「この方こそ救い主だ」と証言した場面を取り上げます。まず、2:21に「イエス様がお生まれになった後、8ケ目に割礼を受け、イエスと言う名がつけられた」ことが記されています。主は律法に従って割礼を受け、イスラエルの民となります。同時に「イエス」という名を付けられます。イエスとは「神は救い」という意味です。その名は父親が付けたのではなく、マリアの胎内に宿る前に天使から示された名、つまり、神様が与えた名でした。その名がつけられたのは御降誕から8ケ目、今の暦で言えば1月1日、この日が主の命名日です。これも意味深いことです。主の名がつけられた元日から1年が始まる。主の名と共に歩むのが1年の歩みなのです。

◎その後、主は、清めの期間が過ぎた後、両親によってエルサレムに連れて行かれたといいます。律法によると、清めの期間とは、出産後、女性は汚れているとされ、男児の場合は40日間、家の中に留まらなければなりませんでした。今でいう産休でしょうか。律法の中に秘められた知恵といえます。恐らく、マリアはベツレヘムの家畜小屋で出産し、そこで清めの期間を過したものと思われます。清めの期間を過ぎて故郷のナザレに帰る途中、ベツレヘムの北8キロにあるエルサレムの神殿に行き、神に幼子を献げたのでした。律法によれば最初の男の子を神に献げる時には子を献げるしるしとして羊1頭を神に献げることになっていましたが、貧しい両親は山鳩一つがいか家鳩の雛二羽を献げました。両親は貧しいながらも律法に従って我子を神に献げようとしたのでした。

◎その時に出会ったのがシメオンとアンナの二人の老人です。最初に迎えてくれたのはシメオンです。彼は「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められることを待ち望んで」いました。イスラエルの民の救いを神殿において毎日祈り、待ち望んでいました。この姿はイスラエルの民の姿です。イスラエルは長い間、新バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国と大国に支配され苦難の歴史を歩んできました。その民を救い救い主をずっと待ち望んで来たのです。また、シメオンの姿は子や孫などの次世代の祖国や世界の幸福を願う老人の姿を代表しています。老人ができることは祈りです。私達もまた、この世界の救いを求めて主の再臨を待ち望んでいます。その意味でシメオンは救いを待ち望む人間の姿を象徴しています。しかも、シメオンは「主が遣わすメシア・救い主に会うまでは決して死なない」というお告げを聖霊によって受けていました。シメオンは、救い主に出会うまでは死ぬわけにはいかない、そういう強い覚悟をもって救い主を毎日切実に祈り、待ち望んでいたのでした。

◎そういうシメオンがついに救い主で出会う日が来ました。「シメオンが霊に導かれて神殿の境内に入ってきた時、両親がいけにえを献げようとしてイエスを連れてきた」。その時、彼は両親に抱かれた幼いイエス様を見て「この方こそ久しく待ち望んできた救い主だ」と確信したのでした。これは聖霊による導き、神の導きと言えます。

 

◎その時、シメオンが幼子イエス様を抱いて神を讃えたのがシメオン讃歌「「ヌンク・デュミトウス」です。これは冒頭の「今こそ去らせてくださる」のラテン語に由来します。これまで主の誕生物語にはマリア讃歌「マグニフィカート」、ザカリヤ讃歌「ベネディクトウス」、天使の讃歌「グロリア」と続きましたが、最後のシメオン讃歌がその頂点・冠と言えます。シメオンは「今こそ、あなたはお言葉通り、この僕を安らかにさらせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです」と証言します。「安らかに」には、救いを見た平安と死を超える永遠の命を得た平安が込められています。「この目で見た」には強い確信が込められています。しかも、その救いは「万民のために整えてくださった救い」、つまり、イスラエルのみならず全世界の人々のために準備された救いであると証言します。これはザカリヤ讃歌の「罪の赦しによる救い」「暗闇と死に坐している者達を照らす光」「我らを平和の道へと導く光」としての救いと重なります。シメオンはその救いを見たのでした。

◎この後、登場するアンナもまた長年にわたって神殿で祈りながら救い主を待ち望んでいましたが、このイエス様こそ救い主だと確信し、人々にそのことを知らせたのでした。このようにして救い主を待ち望んで来た二人の老人がイエス様こそ全世界のすべての人を救う救い主だと証言したのです。この二人の証言が主の誕生物語を締めくくります。この証言は福音記者ルカの証言とも言えます。ルカはイエスこそ救い主だと私達に証言するのです。