説教『いつも私と共に歩まれる復活の主イエス』(ルカ24:13~35)

2017年1月15日           主日礼拝・説教要約
説教『いつも私と共に歩まれる復活の主イエス』(ルカ24:13~35)

◎新年に入って3回目の主日を迎えました。今朝は全国的に寒波が襲い、寒い朝となりました。この寒さは身体にこたえますが、寒さの中にあっても心身を温めてくれるのは神の言葉です。今日の聖句に「私達の心が燃えたではないか」とあります。今日も御言葉から私達の心を燃え立たせていただき、寒さを乗り越えて参りましょう。

◎今日、取り上げるのは、ルカ24:13~35の主の復活の記事です。前回、取り上げたのは、その前の話、十字架から三日目の朝、主のご遺体が納められた墓に女性達が行ったところ、ご遺体がなかったという話でした。今日の話はその後、エルサレムからエマオという村に向かって歩いていた二人の弟子に復活の主が現れたという話です。エマオという村はエルサレムから60スタディオン(約11キロ)離れた村です。そのエマオに向かって二人の弟子が歩いていました。弟子とは広い意味の弟子、信徒と言っていいでしょう。その一人がクレオパといったといいます。もう一人の名は書かれていませんが、その妻であったと思われます。恐らく、この二人はイエス様のことを聞き、その話、振る舞い、様々な奇跡などを見聞きして、この方こそメシア・救い主だと確信を得て、主の御後に従っていたと思われます。ところが、主は十字架に架かり処刑されてしまった。二人は深く失望し、失意と悲しみを抱えて、エルサレムから故郷のエマオに帰っていく。その途中であったのではないかと思います。

◎その二人に復活されたイエス様は近づき、二人と一緒に歩き始めます。そして、二人の話に耳を傾けておられた。二人は目が遮られてそれがイエス様だと分かりません。二人はエルサレムで起こったことを話していました。そこで主は、二人に「それはどういうことですか」と尋ねます。すると二人は暗い顔をして立ち止ったと言います。愛する先生であり、救い主と信じたイエス様が十字架に架かった訳ですから、暗い顔をしていたのも当然です。そういう暗く悲しい思いの中にあった二人に主は近づき、共に歩み、話に耳を傾けられた。ここにイエス様がどういうお方であったが記されています。主はいつも私達と共に歩んでくださる方である。特に、暗い気持ち・悲しい気持ちの時に私達に近づき、共に歩み、話を聞いてくださるかたであるということが良く記されています。

◎しかし、イエス様は、そばにいてお話を聞いてくださるばかりではなく、私達に元気を与えるように神様の話をしてくださり、慰めと励まし、立ち上がる力を与えてくださる方です。イエス様は話をする前に何を話していたのかと尋ねます。すると二人は、この方こそ救い主だと確信していたイエス様が十字架に架かり、処刑されたこと、そして、その日の朝、女性達が墓に行ったところ、ご遺体がなかったこと、天使が現れ「イエスは生きている」と告げたこと、しかし、仲間が墓に行ったらイエス様がおられなかったことなどを話します。ここから二人が、イエス様から十字架に架かった後、復活することを聞いていたにもかかわらず、それを信じていないこと、また、天使から主が生きていると聞いていながら主が復活したことをまったく信じていないことが分かります。

◎そういう二人に対して、主は「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く、預言者達の言ったことをすべて信じられない者達よ、メシアはこういう苦しみを受けた後、栄光に入るはずではなかったか」と嘆かれます。そして、聖書全体にわたってご自分について書かれていることを説明されたと言います。これはどういうことでしょうか。これは、最初、神様が祝福をもって創造した世界を人間にゆだねたのに、人間は罪に陥り、世界を悪くしてしまった。神はいったん、世界を洪水で滅ぼしますが、再度、祝福を取り戻すためにノアを選び、アブラハムを選び、その子孫であるイスラエルの民に期待したが、やはり、罪に陥ってしまった。そこで最後に神の独り子イエス様をこの世界に送り、人類の罪を担わせ、その罪を赦し、神と和解させることによってこの世界に祝福を取り戻そうとされた。そのようなことを聖書全体にわたって解き明かしたのでした。そのような聖書の解き明かしを聞いた時、二人は「私達の心は燃えたではないか」と述べているように、心が燃えた。主の復活を確信したのでした。

◎その間に3人はエマオに到着します。主は先に行かれるようでしたが、二人は主を自分の家に招きます。そして、夕食を共にし、主がパンをとり、讃美の祈りを捧げ、パンをお渡しになった時、二人の目は開け、その方がイエス様であることが分かりました。ところが、その瞬間、イエス様の姿が見えなくなります。主は二人に御自分が復活したことを知らせるためにその姿を現したのでした。二人は驚き、主が復活されたことを伝えるためにエルサレムに引き返します。そして、そのことを他の弟子達に伝えたのでした。これが今日の話の内容です。

◎この話は何を伝えようとしているのでしょうか。それは第1に、主が確かに復活されたということです。主は十字架に架かり、復活された。そして、罪と死に勝利された。そのことを主ご自身が身をもって示されたのです。第2に、主が復活されたことを聖書の解き明かしと食卓の主であることをもって示されたということです。そして、第3は、主は私達に近づき、私達と共に歩んでくださり、私達の話を聞いてくださり、私達を慰め、励まし、生きる力を与えてくださる方だということです。主はどんな時も私達と人生を共に歩んでくださっているのです。