説教『救いと平安をもたらす復活の主イエス』(ヨハネ20:19~29)

2017年4月16日    復活日・イースター礼拝・説教要約

◎今日、私達はイエス様が復活されたことを記念する復活日・イースターを迎えました。今年は3月1日から受難節に入り、その日から昨日まで主の御受難を思い、十字架を見上げながら歩んできましたが、今日、主のご復活を祝う日を迎えることができたことは大きな喜びです。今日はまた、公原博さんが転入会されたことも大きな喜びです。小学校の時にカトリック教会で洗礼を受けられましたが、中高生の頃から教会から離れておられました。 しかし、2年前から本教会の礼拝に出席され、今日、転入会され、新たな信仰生活が始まりました。感謝です。人生には苦しみが多いのですが、神様はどの人生にも喜びの時を与えてくださる。そのことを思わされています。

 

◎さて、今日、私達は、イースターを迎えて、聖書の御言葉を通して復活の出来事とはどういう出来事だったのか、復活とはどんな意味を持っているのかを改めて心に刻んで参りたいと思います。今日取り上げるのは、ヨハネ福音書20:19~29です。ここは大きく二つに分かれます。前半20:19~23と後半20:24~29に分けてお話します。

 

◎まず、前半の20:19~23、主が復活された日の夕方、弟子達の前に復活の主が姿を現わされた場面です。20:19によると、「その日」、つまり、主が十字架に架かり、息を引き取られて、ご遺体が墓に納められてから3日目、今の日曜日の夕方、弟子達は自分達も捕まるのではないかと恐れ、家の戸に鍵をかけて閉じこもっていました。この時、主が生前、十字架の後に復活すると予告しておられたことを彼らは忘れていましたし、また、その日の朝、復活の主に出会ったことをマリアが伝えたにもかかわらず主の復活を信じることができず、ただ恐れを抱き家の中に隠れていたのです。私達も、誰をも何をも信じられず、ただ恐れと不安の中に閉じこもる時があります。

 

◎そのような弟子達の前に復活の主は姿を現わします。主は弟子達の真ん中に立たれたと言います。主は弟子達の目の前にはっきりとご自分の姿を現わしたのです。弟子達は腰を抜かすほど驚いたことでしょう。そういう弟子達に向かって主は「あなた方に平和があるように」とおっしゃったと言います。「平和」とはヘブライ語でシャローム「平安」とも訳せます。原文では「平安、あなたがたに」の二語からなります。ですからボンヘッファーが言うように「平安あれ」ではなく「平安あり」とも訳せます。平和・平安の主が共にいませば「平安あり」です。主は「私だ、大丈夫だ、安心しなさい、平安あり」と、弟子達に安心と平安を与えようとされたのでした。

 

◎しかも、主は手と脇腹を見せたと言います。主は十字架に架かった時に打たれた手の釘の跡と槍で刺された脇腹の傷跡を見せ、自分は確かに十字架に架かった主であること、十字架という激しい戦いを経て、罪と死に勝利し、復活したことを示そうとされたのでした。この十字架の傷を見た時、弟子達は確かに主が十字架を経て復活されたことを知り、初めて喜んだのでした。主は喜ぶ弟子達に再び「平安あれ」と言われた後、「父が私を遣わされたように、私もあなたがたを遣わす」と言って弟子達を派遣されます。ここに救いに与った者の道が示されます。さらに主は派遣する弟子達に聖霊を注ぎます。人間の創造の際の神の息・霊を注がれた場面を思い起こします。これは主イエスの聖霊の注ぎが第二の誕生であることを表しています。聖霊が私達に愛と命と力を与えるのです。十字架と復活の主により私達の罪が赦されました。主は主の赦しの中に生き、福音を伝えるように遣わします。このように十字架と復活の出来事により罪の赦し・罪と死への勝利・永遠の命・復活の命がもたらされたのです。

 

◎続いて、今日の後半、20:24~29を見ていきます。ここには復活の主と出会って大きく変えられたトマスの話が描かれています。12弟子の一人、ディドモ(双子)と呼ばれたトマスは、主が復活された日の夕べ、その場にいませんでした。主が復活した話を聞いたトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて見なければ、この手をその脇腹に入れて見なければ決して信じない」と言って、主が復活したことを信じようとしません。「疑い深いトマス」という言い方がありますが、トマスは私達を示しています。トマスの双子は私達と言えます。疑うことは必要な時があります。疑いから真実・真理が発見されます。しかし、疑うばかりで信じることができないということは不幸なことです。人も神様も信じられないというのは不幸です。どうしたら不信・不信仰を克服できるのか。トマスはどのように不信仰を信仰に変えたのか。それは主の方からトマスに働きかけたからです。

◎聖書によると、それはが復活されたから8日目、次に日曜日の夕方に起きました。主は再び弟子達の真中に現れ、「平安あれ」と言われ、トマスに向かってこう言われました。「あなたの指をここに当て、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく信じる者になりなさい」と。ここにはトマスの心の底の底までご存じの主がおられます。主はトマスを責めることなく、叱ることなく十字架の傷跡を見せます。主はトマスに信仰を与えるために姿を現わし、傷跡を見せたのです。ここに主の謙遜と深き愛があります。

 

◎この時、トマスは主に向かい「わが主、わが神よ」と呼びかけます。この言葉には悔い改めと感謝、懺悔と讃美の思いが込められています。これが最初の信仰告白となりました。復活の主が彼の信仰を復活・新生したのです。