説教「母の涙、母の祈り」(創世記21:9~20)

2017年5月14日       母の日・全体礼拝・説教要約
   説教「母の涙、母の祈り」(創世記21:9~20)

◎5月第二主日を迎えました。今日は「母の日」です。今日は、「母の日」を覚えて、子ども達と大人の人と一緒に全体礼拝を捧げます。「母の日」はアメリカの教会で始まりました。ある女性が亡くなったお母さんに感謝するために、お母さんが好きだったカーネーションを飾って教会で集会をもったところ、集会に集まった多くの人が感激し、やがてそれは母の日としてアメリカ中に広がり、世界に広がり、今は世界中で母の日はお祝いされています。お母さんというのは、私達をこの世に生んでくださった方であり、深い愛情をもって大切に育ててくださった方です。今も毎日、ご飯を作ってくださり、お掃除やお洗濯をしてくださいます。何よりも私達のことを一番心配してくれる存在であり、私達のことを一番支え励まし、助けてくれる存在であり、一番大切な存在です。

◎聖書の中にも、お母さんが登場するお話がいくつかあるのですが、今日は、旧約聖書の創世記という書物の中に登場するハガルさんというお母さんのお話をします。ハガルさんのお話は、さきほど司式をされている坂西さんが読んでくださいましたが、元々、アブラハムさんの妻・奥さんのサラさんの召し使いをしていた人です。

◎ところが、アブラハムさんとサラさんの間には赤ちゃんが生まれませんでした。それで、サラさんは自分が年をとってしまい、自分には子どもは授からないだろうと思って、夫であるアブラハムさんに対して自分の召使いのハガルさんと結婚して子どもをもうけてくださいとお願いをしました。アブラハムさんは、サラさんの言う通りハガルさんと結婚しました。そして、アブラハムさんとハガルさんとの間にイシュマエルという男の子が生まれました。ところが、その後、不思議なことにアブラハムさんとサラさんとの間に男の子が生まれ、イサクと名付けられました。その時、アブラハムは100才、サラは90才でした。二人はイサクを大変、かわいがりました。

◎そういうある日のこと、イシュマエルがイサクをからかいました。それを見たサラは大変、怒りました。召使のハガルの息子イシュマエルが我が子のイサクをからかったからです。それで、サラはアブラハムに訴えました。「あの女とあの息子をこの家から追い出してください。あの子はこの家の相続人にはなれません」と。アブラハムは、大変、困り、悩みました。イシュマエルも自分の子どもだったからです。アブラハムは、どうしたらいいか分からず、神様に必死に祈りました。すると、神様はアブラハムにこういわれました。「アブラハムよ、苦しまなくてもいい。すべてサラの言うとおりにしなさい。ハガルとイシュマエルは私が守る。そして、イシュマエルも一つの国民の父とする」と。アブラハムは神様の言う通りハガルとイシュマエルを家から出す決心をしました。

◎アブラハムは、その翌朝早く、パンと革袋に入った水を用意して、ハガルに背負わせ、ハガルと息子イシュマエルを家から出します。この時、アブラハムはどんな気持ちだったでしょう。家を出されたハガルとイシュマエルは荒野をさまよいます。やがて持って来たパンも水もなくなりました。喉は渇き、お腹がすき、日が経つにつれ、体もやせ細ってきました。ハガルは息子イシュマエルの姿を見ながら自分達はこのまま死んでいくことだろうと思い、涙を流しました。そして、一本の木の下にイシュマエルを寝かせました。弱っていくイシュマエルが死んでいくのを見ていることができず、ハガルはよろよろとそこから離れて座ると、「この子がこのまま死んでいくのを見るのは耐えられない」と大声を挙げて泣いたのでした。そして、神様に向かって叫ぶのでした。「神様、私達はもう生きていけません。どうすることもできません。神様、私達を助けてください、救ってください」と。

◎すると、神様は天使をつかわしてハガルにこう言われました。「ハガルよ、どうしたのか。大丈夫だ。恐れることはない。神様はあの子の泣き声を聞かれた。立って子どものところに行き、あなたの腕でしっかり抱き締めてあげなさい。わたしはあの子を大きな国民とする」と。ハガルは、その天使の声を聞いてはっとします。今まで泣いていた目は開かれ、周囲のことがはっきりと見えました。すると、そこには井戸があるではなりませんか。ハガルは急いで革袋に水を入れ、イシュマエルに水を飲ませました。そのようにして、ハガルとイシュマエルの母子は生き返り、その井戸の傍で暮らしました。やがて、イシュマエルも大きく育ち、たくましい若者になり、その後、結婚して家庭を持ち、神様が約束された通り、その子孫からは一つの民・国民が生まれたのでした。

 

◎このような話ですが、私が一番心に残ったのはハガルさんの涙です。息子イシュマエルと母ハガルはアブラハムの家を出されて荒れ野をさまよい、パンも水もなくなり、どうすることもできませんでした。母ハガルは、息子が死んでいくのをただ泣いて見守るだけでした。そのように、お母さんは子どものことで涙を流します。母親は子どものことで何度も何度も涙を流します。子どものことで一番、涙を流すのはお母さんではないでしょうか。なぜ、母は子どものことで涙を流すのでしょう。それは子どものことを愛しているからです。しかし、その涙を見ている方がおられる。それは神様です。神様は涙を流す母と子を見ておられる。その泣き声を聞いておられる。それは神様がお母さんと子どもを愛しておられるからです。この話からは母の愛と神の深い愛が伝わってきます。