説教「神の御心を行う人こそ、神の家族」(マルコ3:20~35)

2017年5月28日           主日礼拝・説教要約
   説教「神の御心を行う人こそ、神の家族」(マルコ3:20~35)

◎5月最後の主の日、復活節最後の主の日を迎えました。来週は聖霊降臨日・ペンテコステです。昇天日から祈り続け聖霊が降りました。私達も今週、「主よ、聖霊を与えたまえ」と祈りつつ、過ごして参りたいと思います。

 

◎今日取り上げる聖書の箇所は、マルコ3:20~35です。前半には主が悪霊を追い出しているのは悪霊の力によると断定した律法学者と主の論争記事が、後半には神の家族とは何かについて主が語られた話が書かれています。共通するテーマは「家」「家族」です。今日は、主が「私という家」にどのように関わり、また、働いてくださったのか、さらに、私達の家族・神の家族とはどうあるべきかというメッセージに聞いて参りたいと思います。

◎まず前半の記事を見ていきましょう。冒頭の3:20には「イエスが家に帰ると群衆がまた集まって来た」とあります。この「家」とはガリラヤ湖の畔の町カペナウムにあった弟子ペテロの家でしょう。主はペトロの家を伝道の拠点としておられたようです。その家に群衆が集まってきたため、主は教え、また、癒し、食事をする暇もありませんでした。そういう群衆の中に主の身内の人達が来て主を取り押さえに来たと言います。「あの男は気が変になっている」と言われていたからです。そう言われていたのは故郷ナザレにおいてでしょう。「故郷では預言者は敬われない」という言葉があるように、主は故郷では理解されず、悪く言われていた。それで主の家族は主を捜しに来て、取り押さえ、故郷に連れて行こうとしたのです。続きは3:31以下の所でお話をしましょう。

◎一方、群衆の中にはもう一つ、主のことを否定的・批判的に見ていた人達がいました。それは、エルサレムから来た律法学者たちです。かれらは主のことを聞き、主がいかなる人物かを確かめるためにエルサレムから来たのです。彼らは悪霊を追い出す主をどう見たのか。彼らは「あの男はベルゼブルに取り付かれている。悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」、そう判断したのでした。ベルゼブルとは「家の神」の意味を持つ言葉で、「悪霊の頭」を意味する言葉として使っています。つまり、彼らは主が悪霊を追い出しているのは神の霊の力によってではなく、悪霊の頭の力によると断定したのでした。主イエスを神の子・神の使いと絶対に認めたくない彼らは、そう断定せざるを得ませんでした。ここに彼らの頑さがあり、偽りがあり、不信仰があり、不幸があります。

◎そのような彼らに対して主はたとえを用いてこう答えます。「どうしてサタンがサタンを追い出せようか。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、成り立たず、滅びてしまう」と。主は御自分がサタンによってサタンを追い出しているのではないことをはっきりと否定されます。その上でこう言われます。「まず強い人を縛り上げなければ、誰もその家に押し入って家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってからその家を略奪するものだ」と。つまり、主は悪霊の頭を縛り上げてから悪霊を追い出し、人間を救い出しているのだと言うのです。これは悪霊に対する主の勝利宣言だと言っていいでしょう。主は悪霊に対する勝利者なのです。このことは1章の「荒野の誘惑」の記事でも明らかに示されています。主は洗礼を受けられた後、荒野に導かれ、サタンの誘惑・試練を受けられましたが、その誘惑を退けました。そして、十字架の前のゲッセマネの祈りにおいて最後の誘惑を退け、自ら十字架に架かり、神の使命を全うし、三日目に復活され、サタン・罪・死に勝利されたのです。そのことがここでも宣言されていると言っていいでしょう。私達もまた主によって悪霊を追い出していただきました。今、私達の心の家の主人はイエス様です。主イエスが私達の心・魂を支配しておられる。そのことをこの主の言葉から知るのです。

 

◎ただ、この後の3:28~30で難しい言葉が語られています。これは後の教会が書き加えた言葉とも言えますが、ここには神の恵みの深さと厳しさが語られています。前半の「人の子が犯す罪やどんな冒?の言葉もすべて赦される」は、主イエスによる罪の赦しの深さを教えています。後半の「しかし、聖霊を冒?する者は永遠の赦されず、永遠の罪の責めを負う」は、主の働きをサタンの働きと見ることへの戒め・警告の言葉と言えます。聖霊は私達の内に生きる神です。私達は聖霊の導きの下、信仰の道から踏み外すことがないよう祈りたいと思います。

◎では後半の3:31~35を見ていきます。ここには主の家族が再び現れ、人をやって主を呼んだことが書かれています。家族としては息子、兄としての主が心配で連れ戻しにきたのです。家族への無理解の問題、社会の評価や価値観に左右される家族の問題が示されています。家族は時に自己本位に陥る弱さを抱えます。そのような家族が現れた時、主は「私の母、私の兄弟とは誰か」と問われ、「ここに私の母、兄弟姉妹がいる」と言われ、周りの人を見回したと言います。そして、こうおっしゃいました、「神の御心を行う人こそ、私の兄弟・姉妹、母なのだ」と。神の御心を最も大事にする人が神の家族だと言うのです。神の御心を第一とする時、家族は再生します。主の家族も後に神の家族になっていきます。神の御心に生きる者の集まりが教会です。教会は神を父とし、イエス様を主とする神の家族です。主は私達の心の家の主であり家族の主です。主を仰いで歩んで参りましょう。