奨励『愛する時、民族差別のない平和が創られる』(マタイ22:34~40)

2017年7月9日 アジア・アフリカ礼拝(ソン・プジャさん)奨励要約  
奨励『愛する時、民族差別のない平和が創られる』(マタイ22:34~40)

◎アンニョンハセヨ。(アンニョンハセヨ)。きれいな発音ですね。さきほどの讃美も大きく力強い讃美で、驚きました。これまで多くの教会を訪ねていますが、これほど力強い讃美は日本の教会では初めてです。

◎今日の聖句の教え、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい」と「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」は、よく知られた教えですが、宗教とは何かを教えている言葉です。「神を愛すること」と「隣人を愛すること」は切り離せません。神と人間は表裏の関係、切り離せないからです。これはクリスチャンだけでなく、世界のすべての人が学ぶべき愛の教えであり、平和の教えであり、すべての宗教の基本だと言えます。ユダヤ人は常に御言葉に触れて生きてきました。そのユダヤ人にとっても、この愛の教えは大切な教えでした。これ以上に大切な教えはありませんでした。

◎私は、31歳の時に在日大韓・川崎教会の李仁夏(イ・インハ)牧師に出会うまで日本人名で生きてきました(在日コリアンの85%は日本人名です)。私は、奈良県の飛鳥地方の被差別部落に在日コリアンとして生まれ育ちました。2歳の時に父がなくなり、母は廃品回収をして6人の子どもを育てました。小学生の時は「チョンコー、チョンコー、くさい、あっちいけ」といじめられました。運動会の時、誰も手をつないでくれませんでした。辛く悲しく毎日でした。31歳まで、毎日毎日、死ぬことばかり考えていました。20歳の時に川崎に行き、結婚しましたが、夫は酒を飲むと私に暴力をふるいました。夫は自動車修理工をしていました。夫の両親は日本の植民地政策によって土地を奪われたために日本に渡り、事業を初め、成功しましたが、敗戦で財産を失い帰国しました。しかし、生活ができないために再び、日本で生活を初め、密航して来た夫を引き取り、暮らしていましたが、貧しい生活で夫も随分、苦労しました。そのうっぷんが暴力となったのでしょうが、まだ信仰の無かった当時の私には夫を理解することができませんでした。

◎その頃、出会ったのが李仁夏先生です。李先生は保育園の園長もしておられて、キリスト教保育について話されました。そして、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という御言葉を教えてくださいました。隣人を愛するためには自分を愛することが必要だ。自分を愛することの基本は、自分の本名を名乗ることであると教えられた時、私は心を打たれました。それまで朝鮮人であることが恥ずかしかったからです。私は李先生から自分を愛することと自民族である朝鮮人を愛することを初めて教えられました。そして、自分と自民族を愛することによって初めて隣国の人も愛することができるということを教えられたのです。

◎翌日から聖書を教えてくださったのは小杉先生でした。小杉先生は愛に溢れた人で聖書を教えてくださいました。先生は人生で選択する時は損する方を選びなさいと教えてくれました。聖書を学びながら、私はイエス様に愛される人間になりたいと思いました。イエス様は「平和を作りだす人は幸いである」と教えました。イエス様は日本で平和を作りだすために私を選んでくださった、日本から民族差別をなくすために私を選んでくださったと思っています。「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することである」。私は信仰を与えられることによって希望が与えられました。心から感謝しています。

 

◎聖書には「愛する者達、神がこのように私たちを愛されたのだから、私たちも互いに愛し合うべきです」とあります。互いに愛し会うためには、お互いの歴史を知らなければなりません。平和を作りだすためには歴史を知らなければなりません。日韓、日朝の間に平和を築くためには歴史を学ばなければなりません。日本と朝鮮の間にはすばらしい歴史がありました。今から1500年前には日本と百済の間には麗しい関係があり、朝鮮から様々な文化・技術が伝わりました。聖徳太子との関係、広隆寺の弥勒菩薩像、暦の渡来、明日香寺の大仏、奈良・東大寺の大仏など、朝鮮との友好的な交流が盛んにあったことを教えています。

◎しかし、日本と朝鮮の間には悪い歴史もありました。特に幕末期から明治期にかけて欧米諸国の影響を受け、アジアへの植民地政策をとるようになると、中国や朝鮮は劣っていると言い始めました。神功皇后の「三韓征伐」や豊臣秀吉の「朝鮮征伐」などが語られ、朝鮮の支配は当然のことと教えられました。しかし、日本と朝鮮の正しい歴史を知ってほしいと思います。私は、歴史を知ることによって日本を愛さなければならない、民族差別をなくさなければならないと思うようになりました。そして、高麗博物館の初代館長となり、9年前にはアリラン文化センターの副理事長になりました。つぶれそうな図書館を抱え、運営が大変でしたが、理事になるように要請されました。損する方を選びなさいとの教えに従い、副理事長になり、全国に図書館を作るために全国を奔走しています。辞めたい思った時には思いがけない献金をいただき、元気をいただきました。今、キリスト教の各派にお願いしています。平和のために御協力ください。