説教『あなたの灯をこの世に照らせ』(マルコ4:21~33)

2017年7月16日                  主日礼拝説教  
説教『あなたの灯をこの世に照らせ』(マルコ4:21~33)

◎7月の第3主日を迎えました。先日の九州北部の集中豪雨は多くの犠牲者と被害が出ました。ご遺族の上に深い慰めを祈ると共に一日も早く安心して暮らせる日がくるように祈りばかりです。先週のアジア・アフリカ礼拝ではソンプジャさんがお話してくださいましたが、差別を受けて死ぬことばかりを考えていたプジャさんが御言葉によって大きく変えられ、76歳の今もなお日韓・日朝の和解のために歴史図書館建設のために全国を奔走しておられるとのお話に大きな励ましを与えられ、私達自身の課題も示されました。

◎さて、今日も聖書のみ言葉を通して生きる命と力を受けて参りましょう。今日の御言葉は、マルコ4:21~33です。前回は4:1~20の「種まきのたとえ」を取り上げ、その話を通して御言葉が育つことの難しさと、御言葉を聞いて受け入れた時、その御言葉が想像を超えた実に豊かな実りを結ぶことを学びました。今日の箇所はそれに続くものですが、ここには4つのたとえ話が描かれています。その4つの話はどう関係しているのでしょうか。前半の2つの話「ともしびたとえ」と「秤のたとえ」は種の成長に関連しての注意・警告と位置づけ、また、後編の2つの話「種の成長のたとえ」と「からし種のたとえ」は、前回の「種まきのたとえ」に続くもので、種の成長に関しての補足と位置付けることができると言えるでしょう。

◎まず「ともし火のたとえ」が語られます。「ともし火を持ってくるのは、枡の下や寝台の下に置くためであろうか。燭台の上に置くためではないか」。原文では「ともし火が来る」となっています。これは「その光は真の光で、世に来て、すべての人を照らす」(ヨハネ1:9)を思い起こさせます。この「ともし火」はイエス様を指すと言えます。前回のマルコ4:20で「御言葉を聞いて受け入れる人たち」とある「御言葉」とはイエス様と言えます。イエス様を受け入れた人たちは、イエス様をともし火として受け入れた。そのともし火であるイエス様を「枡の下に置く」、つまり、消してはいけない、また、「寝台の下の置く」、つまり、床の下においてはならない。そうではなく燭台に掲げて部屋全体を明るく照らせ、世の中を明るく照らせと言うのです。私たちがイエス様を受けいれたのは、イエス様を世の光として明るく照らすためなのです。これがイエス様を受け入れた目的です。その目的のために生きる時、豊かな実を結ぶのです。

◎それでは、イエス様という光は何を照らすのでしょうか。「隠れているものであらわにならないものはなく、秘められたもので公にならないものはない」とあります。「隠れているもの」「秘められたもの」とは何でしょう。一つは人間の罪です。イエス様という光は、私たちの罪を明らかにします。しかし、もう一つ明らかにするものがあります。それは罪の赦し・神の救い・神の愛です。イエス様は私達の罪を明らかにしながら罪の赦しという救いをもたらしてくださったのです。イエス様という光・ともし火を受けた私達がなすべきことは、イエス様という光をこの世に照らすことです。これが私達の目的だと言うのです。

◎二つ目のたとえは「量る秤(はかり)のたとえ」です。主は「何を聞いているかに注意しなさい」と教えます。私達には様々な声・音が聞こえます。誘惑の声・否定的な声・呪いの声・悪魔の声があり、他方、肯定的な声・慰めと励ましの声・祝福の声・神の声が聞こえてくる。私達は神の声を聞くべきです。神の声・肯定的な声・祝福の声を聞く時、祝福の内に生きていける。その「聞く耳」を決めるのは「秤」です。それは「信仰という秤」と言っていいでしょう。「信仰という秤」によって神の声を聞く時、あらゆる試練・困難・疑い・不信・誘惑をはねのけ、祝福の内に生きていけます。逆に「不信仰という秤」によって悪魔の声を聞く時、疑い・不信・誘惑・絶望の中に生きることになります。「信仰という秤」に従って生きる時、持っているものは更に与えられ、それを持っていない人は持っているものまでも取り上げられます。「信仰という秤」をもって「神の声」を聞いて生きていける。そこに豊かな恵みの生があるのです。

◎以上、二つの注意・警告に続いて語られるのは、「種のたとえ」の補足です。第一の補足は、「神の国」「神さまの恵みの支配」においては、「種は知らない内に成長する」ということです。人は、成長の秘密を知りません。知らず知らずのうちに種は成長します。種を成長させてくださるのは神様なのです。だから、すべてを神様に委ねるのです。「土はひとりでに実を結ばせる」とあるように、私達の内には「ひとりでに実を結ばせる」力があります。私達を信じ、神様を信じ、神様を信頼し、すべてを神様にゆだねて生きる時に、種は芽・穂・実というように秩序をもって成長し、豊かな実を結び、収穫と時を迎えるのです。

◎第二の補足は、「からし種のたとえ」です。からし種は「地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に鳥の巣を作れる」ほどになる。小さな種が大きく育ち、他の人まで幸せにすることができる。私たちに蒔かれた種・福音は、それほど豊かな木に成長していくのです。