2017年 7月2日 主日礼拝・説教要約
説教『豊かな実を結ぶ神の言葉』(マルコ4:1~20)
◎7月最初の主日を迎えました。先週は教会創立41周年を記念する礼拝を捧げました。小田部進一先生からルターの信仰について深く学ぶことができました。特にルターの信仰を「神に愛されるが故に美しい」と表されて神の無条件の愛を受けて生まれる信仰と勇気について語られ、改めて信仰の豊かさを学びました。
◎今日の聖書の箇所、マルコ4:1~20も信仰の豊かさを教えています。今日は、この有名な「種まきのたとえ話」を通して信仰の深さと豊かさを学んで参りたいと思います。今日の箇所は3部構成になっています。第1部はガリラヤ湖畔にいる群衆に向けて語られた主のたとえ話が、第2部は「なぜ、たとえで教えるのか」という弟子達の質問に対する主の答えが、第3部は、第1部のたとえ話の深い意味が語られています。
◎まず第2部の4:10~12からお話します。ここには、弟子達の問い「なぜ、主はたとえで教えるのか」に対する主の答えが語られています。主は答えます。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられている」、つまり、「弟子達には神の国の秘密・奥義が直接、語られている」と言われた後、「しかし、外の人にはたとえで語る」と言われ、その理由は「彼らは見るには見るが認めず、聞くには聞くが理解できず、立ち帰って赦されることがない」からだと言います。つまり、群衆が理解して、立ち帰り、赦されるようになるために、たとえで語ると言うのです。主は、神様について、また、神の国について群衆が分かるようにするためたとえ話で語られたのです。ここに群衆に対する主の思いやり・愛の深さを見ることができます。
◎続く第3部の4:13~20には、第1部の4:2~9のたとえ話の意味が語られています。4:3「種を蒔く人が種蒔きに出て言った」は、4:14では「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」といいます。「種を蒔く人」、これはイエス様か、弟子達・伝道者、あるいは牧師・伝道者を指します。彼らは神の言葉を蒔く、つまり、多くに人に伝えます。その蒔かれた種は4カ所に落ちたと言います。最初に種が落ちた所は道端です。しかし、鳥が来て食べてしまいます。これは神の言葉が蒔かれてもサタンが来てそれを奪っていくことだと言います。サタンとは神に敵対する者です。だから、私たちに語られた神の言葉を奪っていきます。それは神の言葉への不信・疑い・反発・拒否という形で現れます。例えば「敵を愛しなさい」という主の言葉を受け入れる人もいれば、反発する人もいます。御言葉を受け入れることは難しいことなのです。
◎次に種が落ちた場所は石地です。しかし、根がないために太陽が照り付けるとすぐに根が焼けて枯れたと言います。これは何を意味するのか。それは神の言葉を受け入れるが、根が浅いために患難や迫害があるとすぐに信仰を捨てる人を指します。では、「根のある信仰」とはどういう信仰でしょうか。それは神の言葉によって自己を深く見つめることから始まります。例えば「敵を愛せ」という御言葉によって私達は自分の愛のなさ、罪深さを自覚します。しかし、同時にそういう自分が主に赦されていることを知ります。そのようにして私達は御言葉を通して主イエスの愛と赦しに出会い、主に深く根差す信仰が生まれます。ルターの信仰もそうでした。彼は神の御言葉によって神の前に立ち、罪ある自分を知ると同時に罪ある自分を赦す主イエスの愛、神の愛を知りました。根の在る信仰はキリストに根ざし、キリストの生ける水と豊かな栄養分を受けてさらに根が伸び、やがて実をつけます。キリストに根ざす信仰が求められるのです。
◎種が落ちた第3の場所は茨の中です。茨の中に落ちた種は伸びていきますが、茨が伸びて覆いふさいだので実を結ばなかったと言います。主によると、これはこの世の思い煩いや富の誘惑、色々な欲望が心に入り込み、御言葉が実らないことを教えています。信仰がある所まで成長しても、この世の思い煩い、心配や不安、恐れ、また、富の誘惑や様々な欲望によって信仰が失われていくことがあります。思い煩いに対しては、野の花・空の鳥を見よと言う主の教えにあるような神への心からの信頼と信仰によって守られ、様々な誘惑や欲望に対しては、エフェソ書6:10~18にある「信仰による武装」、御言葉と祈りによって信仰を守り、育てていかなければなりません。道端・石地・茨のたとえは私達への主の警告と言えます。
◎最後に種が落ちた場所は良い土地でした。良い土地に蒔かれた種は芽生え育って実を結び、30倍、60倍、100倍にもなったと言います。普通、一粒の麦から10粒の麦が実るといいますから、神の御言葉がいかに豊かな実を結ぶかを主は教えています。それはキング牧師やマザーテレサなどの生涯を見ると分かります。しかし、豊かな実を結ぶためには、まず、キリストにしっかりと根を下ろし、キリスト様から日々、生ける水と豊かな栄養分、命と力、愛を受け続けなければなりません。また、この世の思い煩い、様々な誘惑や欲望から守られなければなりません。守って下さるのは主イエスです。茨に打ち克つのはキリストのみです。そのように日々、主に祈り、結ばれ、主に守られた時、想像を超える実を結ぶことができるのです。