説教『夕べになっても光はある』(ゼカリヤ14:1~9 )

2017年9月17日              敬老の日・主日礼拝説教  
説教『夕べになっても光はある』(ゼカリヤ14:1~9 )

◎今日は敬老の日を覚えて礼拝を捧げ、ご高齢の皆さまの健康と平安、ご長寿を共に祈りたいと思います。今日は80歳以上の41人の皆さんをご招待しましたが、台風の接近や御病気、お身体のご不自由などの御事情で出席できない方もおられますが、それらの方々のことも祈りに覚えて礼拝を捧げたいと思います。

◎さて、私達の人生は誕生に始まり、子ども時代・思春期・青年期を経て大人になり、壮年期・老年期を過ごし、死をもって終わりますが、その一つ一つの時期にはそれぞれの課題があり、その課題を果たすことによって充実した人生が築かれていきます。今日は、敬老の日ということもあり老年期の課題は何か、又、老年期をどう過ごすか、どう過ごすことが神様の御心なのかを聖書を手がかりにして考えて参りましょう。

◎老年期をどう過ごすか。その手掛かりを与えてくれるのは、ゼカリヤ書14:7「夕べになっても光はある」という聖句です。これは、終わりの日・裁きの日・救いの日である「主の日」の光景を描いた黙示にある御言葉ですが、老人に希望と恵みを与えてくれる言葉です。なぜなら、夕べとも言える「老年期にも光はある」と告げているからです。老年期にも神様の光はある、老年期は光の中に輝いていると言うのです。

◎それでは老年期をどう過ごしたらいいのか。今年の7月に105歳で召天された日野原重明医師は「老年期は衰退の時ではなく成熟の時だ」と書かれていますが、まずこのことを心に留めましょう。老年期は人生の総まとめの時、統合する時と言われますが、言い換えれば「成熟の時」です。それでは、成熟に向けて老年期をどう過ごすのか。今日は、日野原先生が書かれている3つのことをお伝えしたいと思います。

◎その第一のことは「新しく創めること」です。そんなの無理だ、現状維持で精一杯だと言う方もおられますが、新しく創めることが充実した老年期を過す秘訣です。「老いることは楽しからずや、創めることを忘れなければ…」というブーバーの言葉を引用して「年老いていることは、もし、人が創めるということを忘れなければすばらしいことだ」と日野原先生は言います。考えてみると、神様は私達に対して与えた
能力・賜物を最大限生かすことを求めておられます。私達は神から与えられた賜物を最大限生かして来たでしょうか。人間の脳は生涯、三分の一しか使っていないと言います。私達は神から受けた賜物を最大限生かさなければなりません。そのために私達は新しいことにもチャレンジしていかなければなりません。

実際、日野原先生は98歳から俳句を始めておられます。新しいことを始めることによって神様の恵みの広さ、深さを再認識するでしょう。最期まで挑戦して成長し続けることによって私達は成熟していくのです。

◎第二のことは「耐えること」です。老年期には、身心の衰え、痛み、辛さ、不自由を覚えますし、愛する人との別れ、様々な不安や心配、恐れが襲い、辛さに耐えなければならないことが多くなります。しかし、苦悩に耐える態度がその人の生き方を決定します。苦難に耐える模範はイエス様です。主が十字架の苦難に耐えられたことによって救いがもたらされました。苦難に耐えることによって真実・真理・救い・希望が明らかになっていきます。だから主は「私に従いたい者は自分を捨て自分の十字架を背負って私に従いなさい」と教えました。苦難に耐えることによって真の命を得るのです。他方、苦難に耐えることによって自分を支えてくれている人の存在が見えてきます。夫や妻、子どもたちなどの家族、友人知人など多くの人が自分を支えていることが見えてきます。また、見えない神様が自分を支えておられることも見えて
きます。イザヤ書46:3~4にある「私を背負う神」の姿が見えてきます。「足跡」という詩にあるように主は私達をいつも背負って下さっています。そのことを覚えると感謝の思いが溢れてきます。そのように苦難は真実・真理・救い・愛・希望・信仰を教えてくれる。苦難に耐えることが老年期の大事な課題です。

◎第三のことは「愛することと祈ること」です。「愛すること」は、聖書の中でも最も重要なこととして「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい」、また「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と教えています。私達を深く愛してくださっている神様の愛に満たされ、その神の愛に応えて神を愛し、人を愛することは、人生の最後まで課せられた課題です。しかし、年老いてくると「良きサマリヤ人のたとえ」が教えているように愛の行為を行うことは難しくなります。しかし、年老いても愛することはできます。微笑むこと、人の話を良く聞くこと、うなずくこと、「大丈夫だよ」「ありがとう」「すばらしい」などの暖かい言葉をかけることによって愛を伝えることはできます。「祈ること」も愛の表れです。「最上のわざ」という詩も、人生の最期に残された「最上のわざ」として「祈ること」を教えています。元YMCA会長の関屋綾子さんは、真夜中に祈られた祖母の祈りを書き記しています。家族・親族・友人・知人・教会の仲間・世界のために祈ること。祈りは最期に残されたわざです。